柴田典子の終活ブログ「エンディングノート知恵袋」

エンディングデザインコンサルタント柴田典子のブログ。
葬儀に関わらず「賢い老い支度」として終活全般のお話もしています。

父との別れで・・・

2010年12月12日 | sibatanoriko?
来るべき時が、きました。
昨日、父が亡くなりました。
脳死状態になって、25日目です。

この間に何度も血圧が下がり、また持ち直し
その繰り返しに、家族が慣れ始めた時に
まるで私たちを驚かせるように、あっという間に息を引き取りました。

11月16日に誤飲から心肺停止になりましたが
救急救命センターの迅速な処置により、父の心臓は動き出しました。

しかし脳の機能は回復せず
体力の尽きるのを待つ日々でしたが、私たちは貴重な25日を与えられました。

死を待ちながら、どの様に父を送るべきか
家族で何度も何度も、話ができたのです。

家族葬を希望していた母は
長男の立場やこれまでの父の人生を考え始めてくれました。

父の友人は皆、亡くなった。といつも言ってましたが
じっくり思い起こせば、知らせる先はいくつも頭に浮かんだようです。

危篤中に、父の古い友人からお歳暮が届きました。
お礼の電話を入れながら、父の状況を話すと
その方は翌日に、意識のない父を見舞ってくれました。
父を見るなり、涙を流しながら
一生懸命に話しかけてくださいました。
その様子は、何より母にとって嬉しい姿だったようです。

もう高齢だから、見えないわよ!と判断されそうなお歳です。
自分より年上の89歳になる友人の見舞いを受けて
意識のない父も喜んだはずです。

このブログでも、父をわがままじいさん、と書き続けてきましたが
この印象は、私だけでなく家族全員が持っています。
痴呆が進み、自分のしたい事だけを訴え続ける父に
穏やかに接する事が、難しくなった頃に父は倒れています。

そして、25日間の時間が、家族の記憶をさかのぼらせてくれました。

父には憎めない可愛さがあるのです。
それを十分に家族が承知していたからこそ
むっとしながらも、無理難題を聞いてきた事を、皆が思い出しました。
自分勝手な愛情表現をする人でしたが
確実に家族を愛してくれました。

その思い出も家族の中で話し合い
孫たちも、おじいちゃんの個性を十分に解っていたのを知りました。

何より変わったのは母です。
倒れる前の父の行動は、母の手に余るものでした。
介護度も高くなり、24時間一緒にいる母には
父への嫌悪感さえ見え始めていました。

しかし、今の母には
良い面を持つ父しか存在していません。

今、皆が父を大切に送ろうと計画をしていますが
父を送るには難問があります。
小さな会社を経営する弟は
会社の決算が目前に迫り、おまけに年末前の繁忙期に入っています。

葬儀を簡単に済ますつもりにはなれず
結局12月24日、25日の葬儀日程としました。

父が興した会社の問題で、自らの葬儀を伸ばす事に
反対する事はあり得ない、と家族で決定しました。

24日は通夜会式前に親族だけで読経を済ませます。
通常の通夜時間に来ていただいた会葬者には
父の姿を見ていただき、直接家族から、お世話になったお礼をお伝えすることにします。

25日の葬儀告別式は通常の形式です。

葬儀では故人と親しんでくれた方にお礼も言えない遺族
葬儀には、焼香だけしにくる会葬者
この双方とも、これで良いのかと?ずっと思っていました。

ご住職にもご理解を頂きました
「とても、いいことだ」と言ってくださいました。

人に囲まれる事が好きだった父です。
それらしい見送り方ができそうです。

葬儀社の方にも見ていただきたい・・・
そんな葬儀を、とりあえず、私の家族で実践してみます。