少し前の話ですが、今村市長が大規模災害発生時のことを書いたブログが、色々と物議を醸しているようでして。
以下、ご参考。
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【災害支援】ボランティアは行政の下請けか?!
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というわけで、その内容に関連して思うことを、つらつらと。
あ、ちなみに本日のブログの「 」の中は、断りがない場合、いずれも市長ブログからの引用です。
その点、ご了解下さい。
事の発端となったのは、以下のブログ。
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被災地への支援は、行政ないしは信頼できる団体の要請を受けておこなうべきものです@2016年4月の市長ブログ
市長自身は後日のブログで、この記事の趣旨は「専門性も準備もなく被災地にボランティアとして"外から"駆けつけるのはせっかくの善意も迷惑になりうるので、被災地や行政機関の『要請を受けて』していただきたい」ということだと述べています。
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【ご参考】
しばしばその情況を悪化させるのは悪意ではなく、独り善がりな善意による混乱なのです。@2016年5月の市長ブログ
私も「専門性も準備もなく被災地にボランティアとして"外から"駆けつけるのはせっかくの善意も迷惑になりうるので、被災地や行政機関の『要請を受けて』」行った方が良い、というのはその通りだと思います。
ただ、一発目のブログの冒頭に書かれている「あらゆる『支援』は、被災地行政機関(他、類する信頼できる団体)ないしは、国県他の行政機関(他、類する信頼できる団体)の照会と要請を受けて為されるべきものです。」というのは、後日のブログに書かれた内容とはビミョーにニュアンスが異なると思うんですよね。
「あらゆる『支援』」と「専門性も準備もなく被災地にボランティアとして"外から"駆けつける」のとでは、明らかに話が大きく異なるわけで。
で私、ここの違いは、きわめて重要だと思うのですよ。
阪神淡路大震災後、様々な地域において、複数の災害が発生しました。
そのそれぞれにおいて行政とは別に対応し、様々なスキル・ノウハウを積んでいるNPO等の団体も存在しています。
そうした団体は経験を積んでいる分、むしろ、多くの場合被災した経験自体がないか、あっても数十年前という自治体より優れたスキル・ノウハウを持っているという面もあるはずだと思うのです。
ここは市長や多くの西宮市民が体験した、阪神淡路大震災の時代とは大きく違うところかと。
市長がブログで述べている通り、「行政は万単位の被災者の状況を細大漏らさず把握し、常に適切に対応」することを「要求され」ているという側面はあるでしょう。
だからこそ行政内部において「そういった自覚と責任を持つべきだ!」という話をするのは重要なことだと思います。
でも、はたして、本当に「"地域の”ボランティア」の力だけで、それを出来るのでしょうか?
私は議員でもありますが、消防団員でもあり、地域の自主防災組織の役員でもあります。
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【ご参考】
「業務量に応じた適正な人員配置を徹底する」ことが重要なのは、誰が見ても当然の話な訳で。@2016年1月のブログ
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そして、その責任において、万が一、大規模災害が発生したときには、「『地域愛』と『責任感』で動」くつもりでいます。
でも正直なところ、本当に大規模災害が発生したときに、「万単位の被災者の状況を細大漏らさず把握し、常に適切に対応」することが出来るのか?
もちろん行政と力を合わせてという前提ではありますが、自分達の力だけで、それが出来るのか?
むしろ、より多くの力が必要ではないのか??
そう考えれば考える程、不安に思わずにはいられません。
そういうことを考えたときに「善意の(←もちろん、専門性や準備を持っていることが前提ですが)」「"外から"のボランティア」を拒絶しているとさえ取られかねない、こうした発信を行政の長が行うことには、きわめて慎重であるべきだと思うのです。
あと本題からは外れますが、わざわざ新聞社の名前や相手の肩書き・名前を特定した上で、「誰も読んでいないとは思いますが」といった、無駄に憎しみを生むような言葉をなげつけるのはやめた方がいいと思うんですよね、行政の長として。
そういうことをして、良いことなんてなんにもないわけで。
でも、そういうことをせずにはいられないんやろうなあ、と改めて。
と、まとまりのない話ですみません。
それでは今日のブログは、このへんで失礼します。