四柱推命≪詩子の推命日記≫

四柱推命に関する日々の命理的考察およびフリートーク

自己中で過保護

2011年07月11日 09時15分42秒 | インポート
昨日は月一度の中ノ島教室でした。唯一の楽しみと言ったところですね。やはり、最新の「最新四柱推命理論」は中ノ島教室で聞けるのです。陽先生の直伝ですもの。で、今回の課題命(ここで公開はできません)が私にとっては問題というか興味津々であったわけです。男命ですが、非常に良く似ているので・・・その命の解説が始まるや、どこかでクスクスと忍び笑いが(仲間数名は知っている)・・・「先生、その命、私と似ているんですよ!」と申し上げますと、「それじゃあ、男命と女命では違うから、比較しながらお聞きください!」でした。ふんふんとお聞きしているうちに、へえ~、なかなか似ているじゃないかと我ながら、苦笑しましたよ。まず、自己中。次いで、無神経。そして、幼少時が超過保護。これ、以前から自分の命を見るたびに認めたくなかったんですが、どこかで「あんた、やっぱりそうだったね!!」と肯定せざるを得ない気分でした。自己中は治らないけど、無神経は長じては治ったかと・・・で、超過保護についてですが、ちょっとお聞きください。
 私の実家も婚家も養子家系なんです。実家の両親は夫婦養子。つまり、祖母に子がなかったので祖父と祖母の双方から縁組みをしたわけです。祖母は祖父を養子に迎えていますので祖祖母と祖母は実の母娘でした。わかります?私は実家では50年ぶりに生まれた子だというので祖祖母の関わり様がすごかったのです。2歳前から、寝食はともにしますし、夜は祖母と祖祖母の間で川の字でした。冬でも冷たい水で顔を洗ったことなどありませんでしたし、過保護でわがまま放題であったようです。両親が口をはさむ余地はなかったとか聞いています。親戚や知り合いなどが私の育ち方を「わがまま放題で言うことを聞かない子」と定義してましたので、自分ながら、悪い子のようだな!とは時たま、不安になることがあったのです。ところが官殺の抑えが利いてないものですから、そこは常にお構いなしで気分良く過ごしていました。田舎ですから、長男を大事にするはずが祖祖母と祖母は弟よりも私!だったのです。これは両親にとっては不服であったと思います。ものすごいエピソードがあります。
 弟と私は自転車を買ってもらったのは同時期であったのです。私が小学二年生で弟は幼稚園でしたね。ふたりで練習をするのですが、運動オンチの私は下手で長い練習の末、弟が先にスィ~と乗れたのです。それを見た私はうれしくて「うわあ~、あんた、すごいやないの!」と感激したものの、自分が乗れないことに感情のコントロールが利かず、うわ~~~んと泣き出したのです。それを見ていた祖祖母がサッとその場から、いなくなったと思いきや、忙しいはずの母を引っ張ってきて、「さっさとこの子の練習みてやらんかな!!」みたいなことを言って、怒ったようです。それから、母と私は数日間、家ではムリだという祖祖母の意見で近くの神社の広い境内で練習することになったのでした。
どんくさい私が祖祖母の意に添えなかったという思い出でした。幼い頃の通信簿もそうでした。なんでできが悪かったのか?母が私と弟の懇談会に行って通信簿をもらい、祖祖母に報告するんですね。母にとれば弟は長男ですし、成績がよいとつい、有頂天になったのでしょう。弟が先生に褒められ、成績も良いという話を延々とするのです。祖祖母は「それで、あの子(私)はどうなんな?」と聞くのですが・・・イマイチでしたので、そのうちに祖祖母が不機嫌極まりなくなっていくのです。嫌な雲行きであったと母が話すのを聞いたことがあります。
 こんな調子でしたから、私の幼少時は悲惨なのかもしれません。この性格を自分でコントロールしなくてはならなかったのは事実です。周囲が見え出すには時間がかかったということですね。今でも片鱗は自分の中に潜んでいるはずと思います。みさな~ん、仲良くしてくださいね。今後ともよろしくおねがいしま~す!!!!

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松井選手をもう一度!!

2011年07月06日 20時36分22秒 | インポート
ここ数日間というもの食神制殺をみてまいりました。特に松井秀喜選手などは有名人なのであれやこれやと突かれてますが、よくみると食神制殺の前に官殺は力を失っていましたね。復習です。
 甲寅
 庚午
 甲申
 乙丑 の八字でした。
八字の段階で年月の甲と庚は剋で力を失っています。こんな感じ・・・
 ○寅
 ○午
 甲申
 乙丑 です。○で表しましたが全くないというわけではないですよ
便宜上、こうすると見やすいでしょ!午は寅に生されてますから、強力ですね。
もし、制殺なら、午も力を失って、日干はやれやれ~というところなんですが、午は元気です。したがって、日干は午の火に洩れることになります。日干弱のときは洩れるのは忌でしたね。そういった意味で、この午火を抑え、日干の洩れるのを防ぐのが壬水の病薬用神です。第ニ運18歳からでしたね。壬申運です。
もう一度、大運を・・・
 08辛未 18壬申 28癸酉 38甲戌 48乙亥 58丙子・・・です。
ある流派の解説をたまたまですが、うちの生徒さんたちとつい、読んでしまったのですが、「月干の庚は午の食神に制殺されて・・・・」とか「壬申運は月干の庚に根がでて、よいプレッシャーとなり、庚は職場ですから、野球に鍛えられ・・・」などなど・・・でした。うん???ですよね。壬申運は官殺を化殺生身でもいいですけど、それだけでは甘いですね。そうではあるんですが、八字は食傷が強ですから、壬の薬を望んでいるんですね。申はその水源です。水源ある壬ですから、これほど強いものはありません。ですから、申の官殺もここでは喜神なのです。こういうふうに噛み砕くのが妥当だと思います。ホント、良い運でしたね。
 そしてもうそろそろ入るであろう、第四運の甲戌ですがこれについて少し丁寧に見たいと思います。戌については金旺が4年、土旺が6年ありますね。天干の甲についてですが、八字の
 甲○
 庚○
 ○○
 ○○ として甲と庚の剋にさらに大運の甲が来ます。どちらの甲も寅に根で強いです。庚も申に根がありますが、ここは2対1で庚は去。甲が一つ残こる勘定です。結果
 ○寅
 ○午
 甲申
 乙丑 に甲戌運です。八字と大運をあわせるとわずかに丑が湿土ですが場所悪く午火を納めることはできません。申と午の剋は気勢としてはあるでしょうか、表面上ではすれ違います。つまりぶつかっている剋とは見ません。あくまで気勢・・・です。結果、この運は火燥土強となるのがわかります。よって金旺であっても戌中の辛金は無効です。年運で水がくれば話は違いますが・・・実際には木火年が多いようです。土旺も同じく火燥土強です。土旺の後半は水の年が来ますのでほんの数年ですが、食傷財には任じられません。奥様のことかもしれませんし、または花粉症などがあるようですのでアレルギー、アトピーなどの病ですかね。鼻水が出そうな数年ですね。きっと鼻がツマッテ、野球どころじゃないかも・・・!!こんなときは早めの対策をしておくのが四柱推命のよい利用のしかたですね。
 今回は少し、ダブりましたがもっとわかりやすくという気持ちがどこかから伝わったように思えたので、再度、取り上げました。

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蛙の合唱

2011年07月03日 22時38分25秒 | インポート
ここ讃岐平野はため池が点在しています。池の近くの茂みの中などにはウシガエルが「ウ~っ、ウ~!」と呻っています。いいえ、ただおしゃべりしているだけかも。夕方の散歩中にはしょっちゅう耳にします。家の周囲は田植えの終わった田畑に蛙がゲコゲコとうるさいこと極まりないです。寝る前にテレビ、電気を消しますとさらに耳に障ります。私は不眠症じゃないからいいですけど、眠れない人はいかがなものでしょうね?実家の周りもこんなものなので幼いころからずっと聞きなれてはおりますが、こどもの頃から、わからない問題を解いていたりすると余計に暑苦しくなったものです。今になってもわけのわからないような命に出会うと何日も頭の中で反すうしながら生活しているのですが、蛙のゲコゲコには気が散ります。でも、今日は一つ面白いというか、非常に素朴な良き時代の授業風景を思い出したのです。それはわが父のエピソードです。
 父は今では80歳を越え、英語など忘れた!みたいなことを言っていますが、かつては英語教師でした。昭和30年代のことではないかと思うのですが・・・
当時の英語の授業にはCDとかはなく、テープレコーダーはあったようです。でも英語の発音テープなどは品薄だったのでしょうか?教師がテキストの本文を読んで吹き込み、それを授業で使っていたこともあるようです。私が中学生のころはちゃんとネイティブの発音でテープレコーダーでしたけどね・・・!父はその録音テープを作る役を仰せつかっていたらしく、夜、自宅で吹き込んでいたようです。こんなふうにニュープリンスリーダーズですと「ハロ~、アイム パ~ル!」「ハロ~、アイム ロ~イ!」だったと思います。自己紹介からはいりましたね。ここで注意しなくてはいけないのは録音室ではないということです。つまり、雑音だらけということですね。この時期、蛙の声は防げなかったようです。父はそれには気がつかず、授業でテープをかけるんです。すると生徒たちがクスクスと笑って仕方がなかったというのです。「センセ~、蛙が啼きよるで~!!」みたいなことを言ったようですね。そりゃあ、どう考えたって可笑しくて・・・・今になっても懐かしそうに父が話すことがあります。当時は英語もホント読み書き中心でしたから、話せる英語なんてやってなかったですものねえ。生徒たちも塾なんか行かなかったし、のんびりしていたのでしょうね!!父の影響か、私も英語は大好きでしたね。でも、一度も教えてもらったことがないのが不思議で・・・ホントに不思議に思うんです。何故、父に質問したことがないのか・・・・意固地な性格ってこの頃から、ずっとだったのですね。

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