青い鳥の世界へ

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福田首相辞任

2008年09月03日 | 短歌に政治や社会

福田首相が辞任、退陣を表明した。
その理由、事由を愚痴みたいに述べているが、なんとも幼稚な釈明をしているものだ。こういう人物が国家の舵取りをする宰相だったのかと思うと、げんなりしてしまう。
この幼稚さを、辞任理由表明の中から、二つばかり取り上げてみよう。

その初めに、辞任理由表明では、始めにこう述べている。
「積年の問題が顕在化し、処理に忙殺され、常に困難を極めた」からだと言う。
このことは、政権党の総裁選挙に立候補したときから、判っていたものだろう。当たり前のことに過ぎない。
だがこの辞任理由で聞くと、本音は「総裁椅子や総理大臣椅子」にふんぞり返り、桜の女王とか何とかの女王などの表敬訪問などを受けてニヤニヤしていたかったのに、と言いたげである。

また「民主党が重要案件の対応に応じず、審議引き延ばしや審議拒否を行い、苦労させられた」からなどという事であった。
これは「民主制度」というものを、理解していないことにある。政府も政権党も官僚達も。
「民主制度」とは、「法案などの重要案件」を提出するばかり、即ち「意見」を出すばかりではなく、相手の意見も聞き入れ、より良き案件に纏め上げていく事である。
しかし野党の肩を持つ訳ではないし、野党もそうだが、政府などは法案などの案件を出したら、それを、議員構成の多数を背景に、「これに従え」的に押し付けようとしている。
このごり押しが「再議決」の連発となっている。
だが「ねじれ国会」下、そうした事ももう使えなくなり、かといって相手の意見を取り入れようとするには身内の党内事情も民主制度的ではないしで、投げ出すように辞任表明している。

この二つのことを見てみると、こういう風に見られる。
男女が、
「好きだ、愛してる」
といって結婚した。しかし夫婦生活に身が入っても、実生活は「苦労が多い、面倒くさい」といってしないのに似ている。それはまた、子供が産れても、「泣いてばかりいる、言う事聞かない」といって「面倒見たくない」とか「世話したくない」という「育児放棄、養育放棄」するのと似ている。
と言うよりも、そのものといえる。

首相の「辞任、退陣」表明は、こういう内面の幼稚さを表したものといえる。自分の幼稚さを棚に上げ、愚痴り、恨み節っている。
こういう人物を、国の舵取りとして宰相に選んだ政権党の資質も、こういう人物を国会議員として選出した国民の資質が疑わしくなる。
今の私達は、国民自らが、国民自らに正しき資質のあり方を問い直していかなければならない。

コメント
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