首相、遊説最終日はアキバ…無党派層にアピール(読売新聞) - goo ニュース
68年前の今日は、こちら福井市が大空襲を受けた日である。この大空襲で1万発ばかりの焼夷弾が投下されて、死者1500人余の犠牲者の上に、市街地は焼け野原になってしまっている。
とかく東京大空襲が取り上げられたりするが、何の軍事施設もない地方都市にこれほどの爆撃をうけたところは、他にはないだろう。
こうした米軍の非人道的行為を我々は非難したりするが、非難されなければならないのは我々が我々を非難しなければならない。
太平洋戦争末期に、南方戦線は玉砕や敗退していき、更には沖縄線も悲惨な敗残で終始している。ところがこの国の人々は、これでもまだ降参しようとはしなかった。降参するどころか「一億玉砕、本土決戦」と叫び、その果てに「広島、長崎への原爆投下」という憂き目に遭っている。
いたずらに我を張り、犠牲を多くしていっている。
これは丁度、犯罪を犯した者が車で逃走しているのを追いかけられて、その果てに交通事故で死亡してしまうのに似ている。
我が国はこの戦争の敗戦で、連合軍による憲法を制定された。今の政治家たちの多くは、この憲法を「押し付け憲法」といってはばからない。
ではそれ以前の憲法が自主憲法かというと、その憲法が故に何百万もの犠牲を出す戦争に走らせるものでしかない。いわばそういう犠牲を抑制できる憲法ではなかったといわなければならなくなる。
そして敗戦の果てに成立した憲法が「押し付け憲法」というならば、何のための犠牲だったのかといわなければならない。というよりも、今度の参院選で「改憲」が遡上しているが、ここには「自衛隊の国防軍化」が盛り込まれている。という事は、またしても他国に進駐していこうという事を意味している。
これは北朝鮮の核やミサイル、また尖閣島や竹島問題といったことでのことではあるが、すぐに反応するという機敏さが災いしている。「柳に風」と受け流しておけばいいのに、それができない。過敏に反応してしまっている。
ところがそれでいて、「憲法」を尊重としようとはしない。恐らくそれは、どんなに改憲しても飽き足らないであろう。
というのは、世界の趨勢となっている主権主義の「民主主義」は、「三権分立」が建前になっている。ところが「改憲」は政府と国会で決められようとしており、司法はカヤの外に置かれてしまっている。それはこれまで多くの「疑獄事件」が発生していたが、それらは法務大臣の「指揮権発動」で闇の中に押し込まされてしまっている。「指揮権発動」ではあっても、それは「三権」の合意で発動されるものでなければならない。
こういった「指揮権発動」というような法律を阻止できないものに、改憲論を論ずる資格はない。
論ずれば論ずるほど、また多くの犠牲を払う事になる。
http://news.goo.ne.jp/article/yomiuri/politics/20130718-567-OYT1T00976.html