青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

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2020年08月15日 | 宗教観


75回目の終戦記念日の今日の新聞記事には、「戦争が人を悪魔にした」という一文があった。しかしこれは間違った思いであり考えと言わざるを得ない。
戦争が起き発生するのは、人類が「知恵」を持ったことに起因する。
知恵を持ってして、「便利で快適で豊かな生活」を目指していった。それは自然から資源を採集し、加工製品化していき、それは便利豊かさを得るとともに、その加工技術や製品は軍事転用され戦争を激化させていく。
これは資源没収と権力拡大を目的にしている。
ところがこうした行為は、自殺行為といっていい。それというのは、資源採掘は自然環境を破壊する行為に他ならないからだ。その上に製品への加工行為は、更なる環境破壊行為を行うことになる。大気汚染、水質汚染、温暖化らにより、台風や大雨、地震等の自然災害の多発をもろに受けてる。これは自然と戦争していて、巨大な攻撃に晒されているといえる。自然に対する尊厳と尊崇が亡くなっているからだ。自然を人間だけのものという思い上がりから、人と人との争いに止まらず、人類の行為が自然を敵に回していることの自覚が求められる。
 これは宗教の世界によって、開かれていく。

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終戦記念日で与野党談話

2020年08月15日 | 宗教観


75回目の終戦記念日

 私たちが生まれ、育ち、生きていくこの世という世界には、厳しくも侵してはない「理、真」がある。この「理、真」を「真理」という。
「真理」には、形もなく、音もなく、臭いもなく、触れることもできとるこまてない。
どこまでも深遠にして広大な世界を形成している。
ではこの広大無辺にして深遠なるこの世界は、どのような世界なのだろうか?
これは、形、形状のことではない。形状でいうなら、巨大にして深遠な空間の中に、無数の素粒子が飛び交い、その素粒子同士が結合して物質となり、その物質が巨大化して天体となっていく。
ここで言いたい「どのような」というのは、こうした形状、形態のことではなく、「この世はどのような思いを持ち、気持ちを持ち、望みや願いを持って存在しているか」を問い掛けようとするものである。
何の思いも持たずにいるとは思えない。何らかの思いや願いを持って存在しているに違いないと思わずにはいられなくなる。
「思い」ということは、「心、精神t」とも言える。
この世はどのような「心で精神」で存在しているのか?
まず言えるの、物事を「活かす」ことを望んでいるのが知れる。滅びることは望んでいない。
ついで言えるのは「和合と融合、調合」への願いがあり、だからこそ変化に富む森羅万象の姿を見せている。そしてこの「和合」を成り立たせるには、勝手を通そうとするところからはでてこない。
「和合、融合、調合」といったものは、厳密にいえば「感謝」の心と思いとから発しして来る。それは別に言えば「お蔭様」という心からくる。
しかしそれが「してやってる、やってやってる」という傲慢さの何と甚だしいしいことか。ここには「心と精神」を育む「信仰心、宗教心」の不在化にある。
私には読書という趣味がある。また難聴者のためにテレビを見ても会話が分からないけれども、それでインターネットで字幕付きの洋画をよく見る。
そうすると、邦画や洋画の違いとも言うべきものが見て取れる。
それは邦画の時代物や洋画には、宗教語や聖書の言葉が述べられてるのに対し、邦語作品にはあまり見られない。それが政治や社会生活にも関係している。
 「感謝やお蔭さま」という思いは、教育や道徳では育たない。何故かというと「感謝の心やお蔭さまという心」は、他から得られるものではなく、その心を自らの手で育てていかなければならないからである。そこからこの世に生きる、「真理」に近づいていける。愛が生まれ、幸せが満ち、平和が訪れる。それができないと、世の中に混乱が起こってく。
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