我々が生きるということは、「 行動を秩序づけるためのおきて。さだめ。」の秩序を維持していくということであり、それを「生き通しに生きる」ということが、人生と言わなければならない。
この方法として前述したように「宗教」があるものなのだが、しかし我々は普通、天災災害や、健康障害とか事故被害にあった場合、「天や神仏は、こうした我々を憎い」からこうした目に合わせているかのように思ってしまう。
そしてそれで我々は、恐れ、恨み、嘆き、世を呪い、世をはかなんだりする。
だがしかし、こうした「恐れ、恨み、嘆き、世を呪い、世をはかなんだり」させられる出来事は、「 行動を秩序づけるためのおきて。さだめ。」の秩序を維持していく為なのである。云わば我々は、このための道連れなのである。
「道連れ」とは云っても、それは何も「恐れ、恨み、嘆き、世を呪い、世をはかなんだり」させることが目的ではない。「 行動を秩序づけるためのおきて。さだめ。」の秩序を維持していくためであり、そして「天や神仏」は、こうした「恐れ、恨み、嘆き、世を呪い、世をはかなんだり」させる出来事に遭遇しても耐え忍び、誇り高く生きていくことを願っている。
我々はこうした「恐れ、恨み、嘆き、世を呪い、世をはかなんだり」させる出来事の中で耐え忍びつつ誇り高く生きていくには、この「 行動を秩序づけるためのおきて。さだめ。」の秩序を維持していくために現れる「恐れ、恨み、嘆き、世を呪い、世をはかなんだり」させる出来事を、素直に受け入れざるをえない。素直に受け入れて、それも素直に受け入れるだけでなく、「ありがとう」と戴いて受け入れていこうとしていかなければならない。
「ありがとう」と受け入れる時、「律正論」は完成への道を歩み、「宗教」も円熟した豊かさに巡り合える。
しかし「不平不満」だらけだと・・・・・。
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