我々は平和を願っている。しかし平和は、願うだけでは実現しない。実現するための働きを必要とし、その犠牲も差し出さなければならない。何もしないでいて、ただ口に出して待っていても手に入れる事はできない。
今日の世界は、各地において争いや戦闘が行われていて、多くの人たちが犠牲になったり避難民になっている。こうした状態に世界は、非難の応酬や報復復習制裁ばかりを口にするだけで、少しも実効が上がらない。戦闘が静まるどころか、反対に拡大の一途を辿っている。
争いなどはボヤの内に、小さな内に消し止めるべきなのだ。
だがこれを拒んでいるのが、民主主義の基本的人権であった。
例えば犯罪を侵しても、人権尊重から取り調べの可視化や死刑廃止論があり、被害者よりも犯罪者の方に法は味方をしている。
一昔前なら勧善懲悪論が幅を利かせていて、悪事を働くことを許さない世相があった。それが世の乱れを改善する一番の方策だったからだし、犠牲も最小限に抑えるためのものだった。
今日においても、自国の平和と安全は、世界の平和と安全でなければ平和であり安全ではないと知り、世界の平和に貢献する気概を持つべきだろう。
今日求められるのは、それぞれの国のしがらみを離れた国連軍の創設に参加が必要だ。身を捨てて子孫の平和のために、地球の平和を乱す者達に鉄槌を下すべき時を迎えている。
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