憲法改正 ②
国是である憲法。しかし我が国では丁寧に対処されていない。
例えば首相や国務大臣が任命されても、皇居で認証されるだけで、任務追求を誓うことはない。
米国なら、聖書に手を置いて宣誓する。その行為は、完全者であり絶対者である神や仏という宗教者と一体であるという連座感を持っていると言えるだろう。
それが我が国では、一片の認証状を天皇陛下から受けとるだけで、全権を委ねられたとの思いでいる。責任感が希薄といってよく、それだからパーティー券裏金事件が起こり、それを「知らぬ存ぜぬ」と言い逃れるばかりで、ここで連座している。そこには無宗教になっている生活態度があると言っていい。
宗教は「して良いことと悪いこと」のケジメを付けられると同時に、「したいのにしてはならないことであり、したくないのにしなければならない」と言う側面も持つ。そして憲法で唄う「信教の自由」とは、宗教を持つも持たぬも自由ということではなく、正しい宗教なら自由に選んで良いという意味を現している。そこに真実の憲法感がある。
人はみな孤独な個人であると同時に、周囲のものと連立し、連携し、連座していくと言う宗教的要素の元に成り立っている。
意見
憲法改正とどう言う関係性のご意見ですか
ちょっと僕の頭では理解し難い内容です
何を言いたいのかよく理解できません
後段の5行ですが宗教的要素でしょうか?
人間の性、持って生まれた競争心とか自分が中心になりたいと言う気持ちからではないかと思います
返答
憲法改正との関連は、次号以降に述べるつもりです。
競争心とか個性を整えることは、宗教的要素ともいえる忍耐心で持って、制御すべき事と思います。
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