青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

選べない時と処

2017年09月13日 | 作詞

昨日のどこの番組でのニュースでだったか、「人生の最後の死」をどこで迎えたいかというアンケート集計が放送されていた。
「自宅で、老人ホームで、病院で」などというものが上げられている。
私はこれを見ながら、「なんだこれは」と思わないではいられない。

人であれ生物あれ、岩石や水や空気などこの世にあらわれているもの全ては、時と所戸を選んで産まれ来るものではない。みなそういう切っ掛けによって、この世に生まれ来ている。
それならば、最後の時も所も、自分の望み通りの時と所を選ぶことはできまい。
それなのにこんなアンケートを取ること自体が無意味なことで、ただ人心を混乱させ迷わせるものにしかならないだろう。

孫悟空はトンキン雲に乗って、世界の果てから果てまで飛び回られると自慢していた。ところが実際は、お釈迦様の台の上での、一人遊びのようなものであった。
それと同様に、我々が生きていくのもお釈迦様の台の上、死んでいくのもお釈迦様の台の上で、決してそこから落ちることはなく、地獄にも魔界にも落ちていくことはない。
だから恐れることなく、安心していればいいのだ。
それなのに、そんなことを言いふらしている宗教家がいる。金儲けのために。


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