拉致調査、北朝鮮に継続要求=岸田外相「極めて遺憾」と非難
極めて簡単なものだ。
極めて遺憾、厳重抗議などと言って済ませれば、もうそれで終わりにしている。
それにしても先見の明がない。
核実験や弾道ミサイル発射で、独自制裁すれば、たちまちの内にこういう結果になるのは目に見えていたはずなのに、米国に対していい顔をしたがった、その結果がこれだ。
余りにもお粗末・・・・・・・・・・
http://news.goo.ne.jp/article/jiji/politics/jiji-160213X582.html
【不倫・宮崎議員辞職表明】「なんちゃってイクメン」「育休整備は国民が先なはず」…有識者ら悪影響を懸念
人間は誰しも、自分ほど可愛いものはあるまい。それだけ自分自身を、大事にし大切にしようとしている。
そうした掛け替えのない大切で大事な自分を、このような不倫事件を起こして辞職に追いやられるようなことをしている。
そこには真に自分を大事にし大切にしていこうとする厳しさを、自分自身自らに対して持っていないことにある。
ただ辞職すれば、いいものではない。本当に心からの詫びを思うなら、坊主になれ。また二度と不倫をしないように、去勢してしまうべきだ。
こうした自分自身に厳しく挑まないものは、たにもたくさんいる。
甘利明・経済再生相も閣僚を辞任したものの、議員は辞職しようとはしない。そうした自分に対して厳しくない社会が蔓延していくことにより、世の中は索漠としていく。
http://news.goo.ne.jp/article/sankei/politics/sankei-plt1602130009.html
宗教が必要なのは、人間においてだけである。他の生命を持つものは、必要としていない。なぜ必要としていないかというと、これらの生命は、自然の摂理と条理に即した生き方をしているからである。
しかし人間はそうではない。なぜそうでないかというと、人間は知恵というものを持っているからである。この知恵を持つが故に、人間は自然の摂理に従った生き方ができない。
どうして自然の摂理、条理に沿った生き方ができないのかというと、自分の思う通りに生きようとするからである。そこに不条理な人生を描くこととなり、苦難に満ちた中で苦しんでいくことになる。
ところで宗教を見つめるうえで、時間的観念が必要ではないかと思う。
過去、現在、未来という風にである。
宗教ではこれを、前世、現世、来世という。
このうちの前世などは、「前世の因果」などという風に使われ、そこから悪業が今に現れたなどと言って惑わせている。
そうではなくて、これはお釈迦様の説法の中にあるものだが。
大海に盲目のウミガメが泳いでいたところ、古木と遭遇した。こうしたことが、遥かなる未来にも同じような現象として起こる。
これは現在と同じようなことがズーッと先の未来にも起こるということであり、翻って言うならば、ずーっと以前の過去にも起こっていたといえることでもある。
この過去に起こっていたことが因縁としてなって、今に姿を現している。
かといって、この過去の因縁のままにあればいいということではなく、過去の因縁は因縁のままに、そうしておいて今を、将来の良き因縁にしていくようにすべきというところに宗教の意義がある。
それは例えていうならば、今夫婦である者も、遥かな過去世、前世においても夫婦であったとして今の夫婦があり、遥か彼方の将来にも夫婦となる身であるものであり、そうであるならば今の夫婦生活を良きものにしていかなければなるまい。
よって時間はこうした長いものというものではなく、今の一瞬をいかに良く生きるかであり、それが因果になって1秒後にも結果が結実していく。
育休宣言の宮崎議員に女性問題、与野党に波紋
安倍政権の政治姿勢が、このように次々に暴かれ、化けの皮が剥がれてきている。
政治資金疑惑に引き続いて、議員論理ときた。ここには新教育基本法による成果が、このような形で表れている。
それはまた、何のことはない道徳教育必須化の正体でもあり、いくらいい言葉で言うにしても、その中身はこういう様になっている。
まだまだこんな化けの皮が、露呈していくようだ。いくら身体検査しても、駄目だな。
http://news.goo.ne.jp/article/yomiuri/politics/20160210-567-OYT1T50127.html
高市氏、電波停止改めて言及 菅長官「従来通りの見解」
公平性も中立性も、政府のさじ加減にしようとしている。
第一この公平性とか中立性は、憲法の前でのことである。
しかるに現政権は、憲法を占領軍の押し付け憲法とみなし、改憲しようとしている。
そこには何らの公平性も中立性もなく、ただ自己本位になっているにすぎない。
芯に公平性とか中立性というならば、国是たる現憲法「日本国憲法」の前に、厳粛であれ。
http://news.goo.ne.jp/article/asahi/politics/ASJ293FPRJ29ULFA00C.html
今日の地球人類には、最早民主主義はない。平和主義もない。
いわんや資本主義もマルクス主義も、共産主義も社会主義もない。元より積極的平和主義もない。
あるのは絶望主義だけになっている。
民主主義で歌われている「基本的人権」。それはもはや、風前の灯火になっている。
資本主義に脅かされ、働いても働いても報われない庶民。非正規社員や生活保護者、母子家庭や父子家庭の人々。そこには平等な人権が与えられずに、無視されている。
チベットなどでは国家による差別化が進み、少年少女までもが抗議の焼身自殺を遂げている。
そこにみなぎる絶望感。
北朝鮮のミサイル発射にしても、それを受けて過激なまでの反応を示すだけで、平和的な対話での解決の道を探ろうとしていない。
まるで世界中が絶望主義に侵されていて、この地球人類に将来をどうするつもりなのだろう。