二葉鍼灸療院 院長のドタバタ活動日記

私が日頃行っている活動や、日々の鍼灸臨床で感じたことなどを綴っていきたいと思います。

死後の「いのち」 1

2012年04月11日 | 日常

今日、90歳のお嬢様 のところへ往診に行きました。

「こんにちわ~」ってお部屋へ入り、襖を開けたところ、お嬢様が椅子によりかかり、顔は天井に向け…結論から言うとお昼寝していたわけです。

しかし、私はというと  「え~っ ○○さん」って感じでビックリしたわけです。いつも治療しているときの口癖である、「はよ、お迎えが来てほしいわ」が本当になったのか と思ったわけです。
近づいてよくみると遠くからでは確認できませんでしたが、胸郭が動いており、呼吸もあるので一安心でした。話を聞くと、今日は午前中お風呂へ入れてもらい、部屋が暖かいのと合わせて眠ってしまったとのことでした。

良かった でも、そこで「死」について,、フッと考えたわけです。

人生で必ず訪れる出来事は「死」です。「死」とはどういうことなのか。「死」をどう捉えて人生を歩むことが大切なのか。そんなことをこの出来事をきっかけに考えようと思ったわけです。

当院では、不妊症(未妊症)の人が多く訪れ、人の「誕生」に関らせて頂いています。
また、成長期のスポーツ障害の若者も多く訪れ、人の「成長」に関らせて頂いています。
また、がん治療後のケア、再発予防にも訪れて頂いています。「がん」=死ではありません。しかし「死」を最も意識する疾患であることは間違いありません。そして、「死」をどう捉えるかの認識を持つことで、人生に向き合う姿勢が変わってきます。そんな意味でも、この疾患を治療する場合は、施術者はその認識や知識がないと、対応が難しくなります。また施術者自身にもストレスが溜まる結果となります。そんな貴重な経験をさせて頂き、学ばせて頂いています。

さて、「死」は必ず来る現実であり、それをどう認識するかで、人生も変わってくるようです。
少し長くなりますが、エリザベス・キューブラ―・ロス 『人生は 廻る 輪のように』から引用させて頂きます。長いですぜ

  ~引用開始~

 それまで私は、死後の世界などまったく信じていなかった。しかしデータが集まるにつれて、それらが幻覚でも、偶然の一致でもないことを確信するようになった。自動車事故で医学的に死亡が確認されたある女性は、生還する前に「主人に会ってきた」と証言した。その女性はのちに医師から、事故の直前に、夫が別の場所で自動車事故を起こして亡くなっていたことを知らされた。30代のある男性は、自動車事故で妻子を失い、失意のあまり自殺したときのことを証言していた。やはり死亡が確認されたが、その男性の家族に再会し、みんな元気そうであることを知って、生還してきた。

 死の体験にはまったく苦痛がともなわないこと、二度とこちら側に帰ってきたいと思わなかったことも、すべての症例に共通する体験だった。かつて愛した人、愛された人たちと再会し、あるいはガイド役の存在と出会ったあと、彼らは世にも素晴らしい場所に到達して、もともとの世界には戻りたくないと感じる。ところが、そこで誰かの声を聞くことになる。「まだ、その時期ではない」という意味の声を、事実上、すべての人が聞いていたのである。5歳の男の子が母親に死の体験の素晴らしさを説明しようとして絵を描いている場面は、いまでもよく覚えている。男の子は光り輝くお城を描いて、「ここに神様がいるんだよ」と言った。それから、あかるい星の絵を描き足した。「ぼくが、このお星さまをみると、お星さまが『もう、おかえり』っていったんだ。


 こうした驚くべき発見の数々から導き出されたのは、さらに驚くべき科学的結論、すなわち、従来のような死は存在しないという結論だった。どんな定義になるにせよ、死の新しい定義は肉体の死を超越したところまで踏み込まなければならないと、私は感じていた。それは、肉体以外のたましいや霊魂といったもの、いのちに対する高度な理解、詩に描かれたもの、たんなる存在や生存以上のなにか、死後も連続する何かを吟味しなければならないということであった。

 死の床にある患者は五つの段階を経過していく(否認→怒り→取引→抑うつ→受容)。そして、そのあと、「地球に生まれてきて、宿題を全部すませたら、もう、からだを脱ぎ捨ててもいいのよ。からだはそこから蝶が飛び立つさなぎみたいに、たましいを包んでいる殻なの」というプロセスをへて、…それから、人生最大の経験をすることになる。死因が交通事故であろうとガンであろうと、その経験は変わらない(ただし、飛行機の衝突事故のような、あまりに唐突な死の場合は、自分の死にすぐ気づかないこともある)。
 死の経験には、苦痛も、恐れも、不安も、悲しみもない。あるのはただ、蝶へと変容していく時の、温かさと静けさだけなのだ。

 ~引用中断~

エリザベス・キューブラ―・ロスは、医学博士で、精神科医。ターミナルケア(終末期医療)、サナトロジー(死の科学) のパイオニアです。

彼女が数万人という面接から導き出した臨死体験のデータ。イヌイットから、アメリカ先住民、プロテスタント信者から、イスラム教徒、また年齢も2歳から99歳まで、文化的にも、宗教的にも、年齢的にも多種多様な症例を検討しました。

彼女は、「そのすべての症例の臨死体験には共通性があり、体験の真実性を強く示唆していた」
と話しています。

~引用再開~

 面接のデータを分析して、私は死亡宣告後の経験をいくつかの特徴的な段階にまとめた。

(第一期)
 まず最初に、肉体から抜け出し空中に浮かびあがる。手術室における生命徴候の停止、自動車事故、自殺など、死因のいかんにかかわらず、全員が明瞭な意識を持ち、自分が体外離脱している事実にはっきりと気づいている。さなぎから飛び立つ蝶のように、肉体からフワッと抜け出すのだ。そして、自分がエーテル状の霊妙な体をまとっていることに気づく。何が起こったのかは明晰に理解している。その場にいる人たちの声が聞こえる。蘇生を試みる医師チームの人数を数えることも、つぶれた車から自分の肉体を救出しようとしている人たちの姿を見ることもできる。自分の死の瞬間にベッドサイドで親族がいった言葉を覚えている人はたくさんいる。
 
 第一期で経験するもう一つの特徴は「完全性」である。例えば、全盲の人も目が見えるようになっている。全身が麻痺していた人も軽々と動けるようになり、喜びを感じる。病室の上空で踊り始め、それがあまりに楽しかったので、生還してからひどい抑うつ状態になった女性もいる。実際、私が面接した人たちが感じていた唯一の不満は、死んだままの状態にとどまれなかったということだった。

(第二期)
 肉体を置き去りにしてして、別の次元に入る段階である。体験者は、霊とかエネルギーとかしかいいようのない世界、つまり死後の世界にいたと報告している。ひとりで孤独に死んでいくことはないのだと知って、安心する段階である。どんな場所で、どんな死に方をしようと、思考の速度でどこにでも移動することができる。自分が死んで、家族がどんなに悲しむだろうかと思ったとたんに、一瞬にして家族に会うことができたと報告する人は数多くいる。たとえ地球の反対側で死んでも、その事情は変わらない。救急車の中で死亡した人が友人のことを思い出したとたんに、仕事場にいるその友人のそばに来ていたと報告する人もいる。

 この段階は、愛した人の死、とりわけ、突然の悲劇的な死を嘆き悲しんでいる人にとっては大きななぐさめになる時期でもあるということが分かった。ガンなどで次第に衰弱して死を迎えている場合は、患者も家族も死という結末に備えるだけの時間がある。しかし、飛行機の衝突事故はそうはいかない。飛行機事故で死んだ本人も、最初は残された家族に劣らず混乱している。ところが、この段階に入ると、死んだ人自身にも何が起こったかを解明するだけの時間が持てるようになる。
 面接をした全員が、この段階で守護天使、ガイド―子どもたちの表現では遊び友だち―などに出会ったことを覚えている。報告を総合すると、天使もガイドも遊び友だちも同一の存在であり、包むような愛で慰めてくれ、先立った両親、祖父母、親戚、友人などの姿をみせてくれる。その場面は生還者たちに、喜ばしい再会、体験の共有、積もる話の交換、抱擁などとして記憶されている。 

(第三期)
 守護天使に導かれて、次の第三期に入っていく。その始まりはトンネルや門の通過で表現されるのが普通だが、人によってそのイメージは様々である。橋、山の小道、きれいな川など、基本的にはその人にとって一番気持ちのいいイメージが現れる。サイキックなエネルギーによって、その人自身がつくり出すイメージである。共通するのは、最後にまぶしい光を目撃することだ。

 ガイドの導きで近づいていくと、その強烈な光となって放射されているものが、実は、温もり、エネルギー、精神、愛であることが次第に分かってくる。そして、ついに了解する。これが愛なのだ。無条件の愛なのだ。その愛の力は途方もなく強く、圧倒的だったと生還者たちは報告している。興奮がおさまり、安らぎと静けさがおとずれる。そして、ついでに故郷に帰っていくのだという期待が高まってくる。生還者だちの報告によれば、その光こそが宇宙のエネルギーの究極の本源である。それを神と呼んだ人もいる。キリストまたはブッダと呼んだ人もいる。だが、全員一致したのは、それが圧倒的な愛に包まれているということである。あらゆる愛のなかで最も純粋な愛、無条件の愛である。何千、何万という人からこの同じ旅の報告を聞くことになった私は、誰一人として肉体に帰りたいと望まなかったことの理由がよく理解できた。
 
 しかし、肉体にもどった人たちは、異界での体験がその後の人生にも深遠な影響を与えていると報告している。それは宗教体験とよく似ていた。そこで大いなる知恵を得た人たちもいた。預言者のような警告メッセージを携えて帰還した人たちもいた。まったく新しい洞察を得た人たちもいた。それほど劇的な体験をしていない人も、全員が直感的に同じ真理をかいまみていた。すなわち、その光から、いのちの意味を説明するものは唯一つ、愛であるということを学んだのである。

 ~引用中断~

長くなりましたので、第2部に移りま~す。 長いでしょ

では、次へ

二葉鍼灸療院 田中良和

コメント
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