
私は毎日、治療院の便所掃除をしています。以前は1週間に1回はしっかりやって、後は軽く…なんてやってましたが、今は毎朝、これが日課みたいになり、やらないと気持悪いな~なんて感じになってきました。
たわいのないことなのですが、つい最近、便所掃除をしていて気づいたお話をしたいと思います。
私は便器を洗うのに、柄のついたスポンジを使用してずっと掃除をしていましたが、先日、そのスポンジのこする部分ペラ~ンと剥がれてしまいました。最近、生活も慌ただしく買いにいく暇がなかったので、
「スポンジはまだ使えるから、手で便器をこするか」
ということで直接便器に手を入れてこすったところが…なんと、なんと

「こんなところに汚れがあるな」「手でこすったほうが汚れがしっかりとれるな」「磨いた後の光沢が違うな」「大便を流した時に汚れが残りにくいな」など気づきがたくさんあったのです。
手で直接洗うということは、手に意識を集中し、手で探っていくことでもあり、自分の掃除に対する意思が現れやすいのだと思いました。また、腰をさらに低く屈め掃除をしますので、さらに謙虚に便所に向かうことができ、様々な自分の至らなかった所が発見できたとも言えるのかもしれません。
本当に人生常に勉強だと思いましたし、どんな場所にも人生に、仕事に繋がる学びが存在するんだな~と思ったのでした。
また、便所掃除をしていると、例えば、公衆トイレや旅行先のトイレに入った時でも次に使う人が気持よく使えるように、掃除をする人が嫌な思いをしないように使うようになってきました。これ銭湯の洗い場でも同じなんですよね。
相手を思う心、気遣う心、今の時代に最も大切なことは”便所掃除で養われる
”のかもしれませんね
≪トイレ掃除というのは、他の掃除よりも下を向き、身をかがめて行う場面が多くなります。つまり、掃除をする形そのものが謙虚な姿といえます。
さらに、身をかがめることで普段は気づかなかった汚れに気づき、その汚れを手で拭くことによって「きれいになっていく」状況を全身で感じることができます。
手というのは、特にその指先は人間の感覚の中でもっとも敏感なものであり、自分の意識が集中する部分だと思います。
そこから感じ取ることも多いのと同時に、自分の意思が指先に伝わる中で、どこをどう拭けばきれいになるかということが自然にわかってくるのです。≫
『鍵山道場 人間力を磨く法則』 鍵山秀三郎 著
まさしく鍵山さんが言われるような体験でしたね
また、
拭くことは=福こと
なのかもしれませんね。
いくつになっても、この仕事を続ける限り、死ぬまで
掃除を続けていきたいと思っている「今」2009年の晩夏、初秋なのでした。
※ちなみに上記写真は、頂きものの胡蝶蘭を撮影したものです。
明るい時に撮ればいいのにね~
二葉鍼灸療院 田中良和

たわいのないことなのですが、つい最近、便所掃除をしていて気づいたお話をしたいと思います。
私は便器を洗うのに、柄のついたスポンジを使用してずっと掃除をしていましたが、先日、そのスポンジのこする部分ペラ~ンと剥がれてしまいました。最近、生活も慌ただしく買いにいく暇がなかったので、
「スポンジはまだ使えるから、手で便器をこするか」
ということで直接便器に手を入れてこすったところが…なんと、なんと


「こんなところに汚れがあるな」「手でこすったほうが汚れがしっかりとれるな」「磨いた後の光沢が違うな」「大便を流した時に汚れが残りにくいな」など気づきがたくさんあったのです。

手で直接洗うということは、手に意識を集中し、手で探っていくことでもあり、自分の掃除に対する意思が現れやすいのだと思いました。また、腰をさらに低く屈め掃除をしますので、さらに謙虚に便所に向かうことができ、様々な自分の至らなかった所が発見できたとも言えるのかもしれません。
本当に人生常に勉強だと思いましたし、どんな場所にも人生に、仕事に繋がる学びが存在するんだな~と思ったのでした。
また、便所掃除をしていると、例えば、公衆トイレや旅行先のトイレに入った時でも次に使う人が気持よく使えるように、掃除をする人が嫌な思いをしないように使うようになってきました。これ銭湯の洗い場でも同じなんですよね。

相手を思う心、気遣う心、今の時代に最も大切なことは”便所掃除で養われる


≪トイレ掃除というのは、他の掃除よりも下を向き、身をかがめて行う場面が多くなります。つまり、掃除をする形そのものが謙虚な姿といえます。
さらに、身をかがめることで普段は気づかなかった汚れに気づき、その汚れを手で拭くことによって「きれいになっていく」状況を全身で感じることができます。
手というのは、特にその指先は人間の感覚の中でもっとも敏感なものであり、自分の意識が集中する部分だと思います。
そこから感じ取ることも多いのと同時に、自分の意思が指先に伝わる中で、どこをどう拭けばきれいになるかということが自然にわかってくるのです。≫
『鍵山道場 人間力を磨く法則』 鍵山秀三郎 著
まさしく鍵山さんが言われるような体験でしたね

また、


いくつになっても、この仕事を続ける限り、死ぬまで


※ちなみに上記写真は、頂きものの胡蝶蘭を撮影したものです。
明るい時に撮ればいいのにね~

二葉鍼灸療院 田中良和
でも、大丈夫ですよ。胡蝶蘭の立派さはとても伝わってきました。こんな凛とした縦に長い胡蝶蘭はなかなかなさそうですね。とっても綺麗ですね^^
前に先生がトイレ掃除のブログを挙げた時、たしか手でトイレを掃除するまではいかないといったようなことを書いてらした記憶がります。そして、今回、とうとう手で掃除するところに行き着いてしまったんですネ!!あぁ~わたしはまだ、自分の手で掃除をすることにすごく抵抗感があります。このきもちがなくなり、自然に手でできるようになったころには、NEW宥伽が誕生するんだろうなぁって思うのですが・・・。
コメントありがとうございます。
この胡蝶蘭、実は頂きものの頂きものなのですよ。頂いた方が、「部屋に飾るには大きすぎるから、先生のところで患者さんに観てもらってね」ということで頂いたのです。今は3分の1くらい花が落ちましたがね。
患者さんには「先生、何かいいことあった!」なんて聞かれます。適当に応えてますが(笑)。
さて、お掃除のことですが、やっぱり時期があるんでしょうね。私も初めは汚いとは思っていなかったのですが(潜在的には思ってた?!)何か直接手を入れて磨くのは抵抗があったんですよね。でも、ひょんなことから自然とできてしまったのです。その後は、「このほうがいいな」って感じです。人生、どんな場面にもきっかけがあり、そして、タイミングがあるんではないかと思うのです。
宥伽さんが自然に手で便器の掃除ができるようになった時、それはサナギから蝶へ”変~身”する時なのかもしれませんよ!!顔晴ってね!!