四季の彩り

季節の移ろい。その四季折々の彩りを、
写真とエッセーでつづって参ります。
お立ち寄り頂ければ嬉しいです。

走水の海

2023年11月18日 18時41分02秒 | 日々の歩み

かつて、このブログでは横須賀 走水(はしりみず)神社について幾たびか触れて
参りました。

     「秋薔薇 ソリドール」

『古事記』『日本書紀』では、日本武尊が相模から上総に向かった際、海上で暴風雨に遭い、弟橘媛が海へ身を投じて暴風雨を鎮めたとの記述があります。数日後、海岸に弟橘媛の櫛が流れつき、村人は旗山崎(御所ヶ崎)に社を建てて櫛を納めたとされています。この社が弟橘媛を祀る「橘神社」ですが、明治18年(1885年)に旗山崎が軍用地になった為、「走水神社」の境内へ移されたとのことです。

     「走水神社 全景」

走水神社公式ホームページでは、この弟橘媛命と走水とを『古事記』を引用し、
次のように記しています。
 ―日本武尊は、上総国へ軍船でいっきに渡ろうと船出されましたが、突然強い風が
  吹き、海は荒れ狂い軍船は波にもまれ進むことも戻ることもできず転覆するかの
  危機に遭いました。
  日本武尊に付き添ってこられた御后の弟橘媛命が「このように海が荒れ狂うのは、
  神の荒ぶる心のなせること、尊様のお命にかえて海に入らせて下さい。」と告げ、
   ★さねさし さがむのおぬにもゆるひの ほなかにたちて とひしきみはも
  との御歌を残し、海中に身を投じられました。
  たちどころに海は凪ぎ、風は静まり日本武尊一行の軍船は水の上を走るように
  上総国に渡ることが出来ました。以来、水走る走水と言われております。―

この弟橘媛命の歌碑は走水神社の裏山に建てられています。

     「弟橘媛命の歌碑」

この走水の海岸を過日訪ねてみました。房総半島を望む浦賀水道は、かの弟橘媛命が身をもって鎮めた荒れ狂う海とは打って変わって、秋空の下でどこまでも静かに凪いでいました。海岸の砂浜からは横須賀の街並みの背後に、遠く白銀をまとう富士山も望め、一幅の絵のような景観が広がっていました。

     「走水海岸からの 冠雪の富士山」


     「東京湾を挟んで 横須賀の街と富士山」

横須賀から東京湾を挟んで富士山が眺められると申し上げると「信じられない」と、おっしゃる方もあまたおられます。しかし、この地から上記の画像の通り四季折々に鮮明な富士山の雄姿が眺めることができます。ただし、距離の関係もあり、気象の影響もありますので、11月から2月は比較的眺めることが可能ですが、他の月は結構難しいとの印象があります。機会がありましたら、お立ち寄り頂ければ幸いです。

     「走水海岸から 横須賀の街、富士山を望む」

この景観に寄せて即興で一首短歌を詠んでみました。
 ☆いにしえの弟橘媛(おとたちばな)の歌さえも
               今は遥かに 海は凪ぎいる 

コメント (4)
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