第一部「口語短歌・水曜サロンの会」(その110) 短歌の投稿を歓迎します!!
☆☆☆ 楽しく、和やかな短歌の交流広場を目指したいと思います。
☆☆☆ 短歌の投稿と共に、投稿歌の歌評、感想、ご意見等もお寄せください。
☆☆☆ 10月18日(水)以降、以下の通り第一部、第二部構成に区分して運営致し
ていますので、それぞれに詠歌、返歌を出詠願います。
第一部 「口語短歌・水曜サロンの会」:従来通り三首まで出詠願います。
第二部 「ネット短歌」 :返歌専用です。
「口語短歌・水曜サロンの会」は、このブログにお立ちより頂いている皆様の
詠まれた短歌を、毎週水曜日に掲載し、その作品の鑑賞を行うサロンです。
短歌の初心者の方から、ベテランの方まで、所属する短歌会等を越えて、自由に
短歌を投稿し鑑賞しあえる「賑わいのあるサロン」を目指したいと思っています。
皆様の短歌の投稿と、歌評、ご意見、ご提案等をお寄せ頂ければ幸いです。
「小紫式部」
「ブログ友の投稿短歌 交流コーナー」
【詞書】神棚の真榊を購入したのですが、そのおまけに紙垂と紙が付いていて、
その紙に「ほんのきもち」と記されていたことが、粋なはからいだと思い
詠ませて頂きました。
☆真榊のおまけに附いた紙垂と紙 「ほんのきもち」と記されてあり
【詞書】薬の服用で相当状態はよくなったのですが。まだ、寝返りをしたとき等
グルグル天井が回るので、次の二週、服用で完治するぞと思い詠ませて
頂きました。
☆七日間服用するも完治せず あと二週にて完治をめざす
【詞書】大谷選手のMVP獲得は、「天は二物を与えず」なんて言葉は
当てはまらないと思い詠ませて頂きました。
☆大谷のMVPで思うのは 天は努力で二物を与ふ
西BOOさん
【解説】
一首目の歌、「神棚の真榊」を購入した際に、そのおまけについていた紙垂に
「ほんのきもち」と記されていたとのこと。その「粋」を詠んで頂きました。
売り手の心遣いと、粋な計らい。それを粋と感じる作者、双方の心が通じ合った
温かな歌と感じます。
皆さんも、ご存知のように紙垂(しで)は、注連縄や玉串、御幣などにつけて
垂らす、特殊な断ち方をして折った紙ですが、古事記の天の岩戸伝承のなかで
既に書かれているとのこと。
二首目の歌、未だ症状が続いている旨、お見舞い申し上げます。薬で治療可能と
伺い、サロンの皆さんもホッとしていることと思います。「完治するぞ」との想い
も大切ですが、くれぐれもご自愛ください。ただ、いつも前向きな作者の姿勢には
私達も励まされる思いです。
三首目の歌、この歌は、彼を知り、誇りに思うすべての人の、共通の想いでも
ありますね。下の句の助詞を「努力に二物も与ふ」と少し変えて、「三物」以上
への含みを持たせてみましたがいかがでしょうか。
【ご参考】
★大谷のMVPで思うのは 天は努力に二物も与ふ
【詞書】23年10月23日から11月2日まで軽井沢の紅葉を撮影しました。
名所ごとに紅葉を題材に詠みましたのでご指導願います。
註)軽井沢プリンスホテルの紅葉
☆趣きはもみじ盆栽紅葉で 赤や黄色の芸術アート
註)タリアセン(塩沢湖レイクランド)の紅葉
☆秋深し紅燃ゆる塩沢は 文豪愛す文化の香り
註)八ケ岳倶楽部の紅葉」
☆八ケ岳豊かな自然散歩には 落葉松の木々秋のざわめき
浅間山明鏡止水さん
【解説】
京都同様に、軽井沢、八ヶ岳山麓も紅葉の名所には事欠きませんね。そんな
スポットから、今回も厳選し、それぞれの紅葉を詠んで頂きました。
二首目の歌、タリアセンの湖畔にある「睡鳩荘」は、軽井沢別荘建築史の中でも
最上質のもので、昭和6年(1931)にアメリカ人ヴォーリズの設計により建てられた
歴史的価値ある建造物とのことですね。この建物の所有者でもあった父から
譲り受けた、フランス文学者、朝吹登美子はこの別荘を愛し毎夏この別荘を
で過ごしたようですね。
自然と調和し長い歴史の中で、軽井沢の良き伝統を守り伝えてきた文学者の
魂と志。これらを「文豪愛す文化の香り」の句で簡潔に表現された歌は見事です。
文豪を旧朝吹山荘の所有者、朝吹登美子に置き換えて詠んでみましたが、
いかがでしょうか。
【ご参考】
★湖畔には もみじに埋まる睡鳩荘 魂 燃えいるや 朝吹登美子の
【詞書】私の父が亡くなったのは7年前の冬の夜です。寒い冬が来ると、
可愛いがってくれた優しい父を思い出します。
☆父逝きし寒夜(かんや)の月を見上ぐれば 凍へんばかりに我が身震へし
☆亡き父の温き胡座に包まれて 可愛ひがられし 我 今もなほ
☆父と子の影重なりし肩車 夕焼けよ その 懐かしき歌よ
みっちっちさん
【解説】
三首の歌、いずれも可愛がって頂いたお父様との思い出と、「寒夜の月」に
結びつけられた哀しい別れを、しみじみと詠って頂きました。
いずれも、静かで深い情趣を湛えた良い歌ですが、三首目のリフレーンが
良いですね。
「肩車」は、父と子の親密さや楽しさを表し、「夕焼けよ」という句は、一種の
呼びかけとなっていますが、夕焼けに対する感嘆や慕情が伝わってきます。
「その 懐かしき歌よ」という句は二人で聞いていた歌、あるいは作者ご自身が
歌った「夕焼け小焼け」かもしれません。この歌では、何の歌なのか、という
具体的な表現はされていませが、それがかえって私達の想像力をかきたてます。
また、「その」という言葉は、父と子にとって特別な歌であったことを示して
いるとも察しられます。
このように、この歌は父と子の幸せなひとときを描きながら、同時にその儚さや、
今は亡きお父様への追慕を感じさせる味わいのある作品と考えます。
「白いさざんか」
【詞書】暑かった秋も短く冬は一気にやって来たようです。そのような一日を
詠んでみました。
☆秋去りて冬の気配の濃くなる日 優しき小花のパジャマを縫いぬ
☆一輪の白いさざんか坪庭の 葉陰に咲きぬ立冬の朝
☆水曜日「短歌空間」に身をおきて歌詠むことはわが活力に
夕庵さん
【解説】
炎暑の夏から、一気に冬となる、目まぐるしい気象の変化について行けない
ものも感じますが、晩秋の何気ない一日を三首の歌で味わい深く詠んで
頂きました。
二首目の歌は、一見すると素直に白い山茶花を詠んでいるように感じますが、
実は作者の今の心情を暗示しているとも感じますが・・・。
例えば、一輪の白い花は、作者ご自身の清らかな心情を象徴しているとも
感じられますし、坪庭の葉陰に咲くという表現では、喧騒から離れて静かに
生きたいとの願いも読み取れます。
これらから、この歌は、立冬の庭に咲く白い山茶花を通して、作者の願いや、
祈りを表わしており、冬の寒さや孤独さに耐える人々にとって、心に寄り添う
一首だとも考えます。
三首目は、このサロンに集う皆さんの共通の想いと考えますし、そのような
活力を高める「広場」を目指したいと思います。
【詞書】松島の瑞巌寺にて
☆地藏には紅葉を飾れ
わたつみに
沈みしひとを
お救いねがうと
自閑さん
【短歌説明】自閑さんご自身の説明です。
一人で宮城の歌枕を訪ね、松島の瑞巌寺に行って来ました。あちらこちらに、
東日本大震災の津波の傷跡が有りました。
松島は、島々が防波堤の役割をして、大津波にはならなかったが、陸前、
陸中は多くの人々が海中に没しました。
多賀城市の末の松山は、でも波が越えなかったと
古今和歌集の歌枕となり、当時の都人にも驚きで伝説となりました。
東日本大震災でもその伝説は生きたが、津波は多くの地点で被害の
傷跡を残しました。
地藏菩薩は、六道に生きる衆生をお救いになる。地蔵に、お救いを
祈念するしかないとその時思いました。
本歌は、西行の
佛にはさくらの花をたてまつれわがのちの世を人とぶらはば
です。この仏を西行と解する訳も見掛けますが、亡くなった人を仏とするのは、
法然の浄土宗もかなり経ってからで、西行時代には無かった概念。
下二句の字余りで、3週間も悩んでいましたが、四句を解消しました。
テーマが余りに重かったからです。
【解説】
西行法師の歌を「本歌」として詠まれたと、歌の説明をして頂きましたが、
本歌以上に深い想いを湛えている歌と考えます。
地藏は冥界の救済者として知られておりますが、紅葉を地藏に飾ることで、
あの大震災の津波で、わたつみに沈み冥界に落ちた人々の御魂の救済を祈り、
供養を願うという重い内容を静かに詠っています。
この歌は定型に従っていますが、その中で「お救いねがうと」という句を最後に
持ってきています。これは、歌の結びとして「字余り」がむしろ活き、強い
印象を残すとともに、作者の切なる願いを表す、深い祈りの歌となっていると
考えます。本歌取りの成功例として学ばせて頂きました。
なお、ここで触れられた多賀城市では、平安時代の貞観11年5月26日
(869年7月13日)、三陸沖を震源とする推定マグニチュード8.3の貞観地震が
発生しました。この地震による津波が襲い、城下だけでも1,000人を超える
人々が溺死したと記録にあります。
この時期、京都平安京でも、疫病が続き、不穏な状況となり、死者の怨霊などを
払い鎮めるため御霊会などの儀式が行われました。これが、現在の祇園祭の
起源と言われています。
「地蔵にもみじを」
【詞書】過日電車で神戸に参りましたが、朝はラッシュの混雑、帰途は下校の
学生で混雑していました。が、帰途の混雑の中で大学生と思しき青年に
席を譲ってもらって、同じ大学生の東京の孫のことを思い出して詠いました。
☆思ひやりあふれる青年つと立ちて席ゆずりくれしときの嬉しさ
☆わたしにも優しき大学生の孫ゐること思ひださせてくれる
☆東京の大学生の孫もまた人に親切する人であれ
suisenさん
【解説】
ラッシュ時、神戸へ往復され、その混雑の中で、大学生に席を譲って頂いたとの
こと。その模様を詠まれた三首の歌は、親切な大学生と、ご自分のお孫さんの
姿が重なり、この世代への共感と、評価、さらに希望をも表現されています。
今の若者たちのもつ思いやりや、優しさへの感謝も滲む良い歌と思います。
殺伐としたニュースが溢れる世情の中で、このような「優しさ」に触れると
ホッとします。
歌は、社会の片すみで日々行われる、このようなさりげない善意を拾い上げて盛る
大切な器でもあると考えます。このような分野こそ、大いに詠って参りましょう。
特に一首目、「席ゆずりくれしときの嬉しさ」は、素直に想いが表現され、
ほのぼのとした良い歌と思います。
【詞書】少~し口が開きかけのサザンカ(元は白く先は少し濃いめのピンクの花びらで、
名前が未だに判りません。「朝倉」でないのだけは確かなんですが)の花に頭を
突っ込むようにしたり、花のそばにとまって枝をしならせたりとてもかわいいです。
☆まだ咲かぬ山茶花の蕾のぞき込み
二羽のメジロは枝を行き交う
【詞書】ヒヨドリが来るんですよ。ヒヨそのもの様子は、目元の赤いところとか可愛
いんですが、サザンカが咲き出すとメジロたちが蜜を吸いに来ていたりするのを
「どけどけどけっ!」って感じで蹴散らすように来るんですよ。
「あ~あ、来よった」とか言いつつ、毎年その攻防を見るともなく見て楽しんでます。
ヒヨドリよ、すぐそばに南天の実が赤くなってるで~、とか思うんですがヒヨドリ
もたまには甘いもんの方がええねん、的な感じなんでしょうか?
☆山茶花の蕾の膨らみ見届けて
ヒヨドリ一羽 睨みきかせて
ちがやねこさん
【解説】
蕾の膨らむ山茶花を訪れる、メジロとヒヨドリの様子を正確に写生し、ちょっぴり
ユーモアを交えて詠って頂き、彼らの生態が良く分かる歌となっていると考えます。
ここにも星の観察で鍛えた眼が活きていますね。
なお、メジロやヒヨドリは蜜を求めて椿や、山茶花にやってきますが、彼らは蜜を
吸っているわけではないようですね。舌を使って、蜜をのどの奥まで運んでいる
ようです。くちばしを花粉で黄色に染めているヒヨドリは、蜜を求めつつ受粉に
貢献しているとのこと。鳥が受粉を媒介する花を鳥媒花と呼び、日本の鳥媒花
では、ツバキや山茶花が代表的だと、ものの本から学びました。
一首目は、二羽のメジロが枝を行き交う様子は、初冬の静けさと対比されるもの
ですが、同時に「蕾のぞき込み」に、メジロの可愛らしさと生命力が感じられます。
二首目の歌、花の蜜をめぐってヒヨドリとメジロのバトルは見ていても微笑ましい
ですね。最も彼らにとっては死活問題かもしれませんが、いずれにしろ良い学びに
なりました。
☆滅びにも あらがい燃ゆるもみじ葉よ 森の夕映えその身に集め
ポエット・M
【解説】
秋の訪れが遅いと言われる関東のこの地でも、少し標高の高い丘陵地帯の
もみじ葉はくれないに染まり始めています。いち早く葉を落とした冬木立も
連なる森の中で、その滅びへ向かう木々の移ろいにあがらうように、紅に染まる
もみじ葉の様子を詠んでみました。
あたかも、森を包む夕映えの茜色をその身に集めて、燃えるようにも見える
そんなもみじ葉の生命力と、孤高さが表現できればと思いました。
「森のもみじ葉」
「山法師 短歌の章」鑑賞 紅林茂夫著(17)
「山法師」はエコノミストでもありました著者の経済学の論文を始め、小説、
短歌等を著者により厳選され著作を集めた著者渾身の著書でもあります。
その著書から、短歌を抄出し三首づつ紹介させて頂きます。
4.「短歌の章」 秋拾遺(9)
室生時雨木の葉濡らして過ぎしかば
僧一人鐘楼に登り行きたり
女人また参ずることを許されて
室生寺の一山の間華やぐ
わくら葉は風にまろびて 逝く人に
秋の陽赤く輝りわたるなり
「咲き初める 皇帝ダリア」
【短歌入門・質問・提案コーナー】
【投稿外コメント】前週に続き掲載致します;。
自閑さんよりコメントを頂きました。皆さんの学びにもなると考えましたので
掲載させて頂きます。
下鴨神社の和歌を紹介したので、上賀茂神社関係の和歌を紹介します。
みそぎするならの小川の川風に祈りぞわたる下に絶えじと(八代女王)
禊ぞ夏の験なりける(藤原家隆)の本歌。ならの小川は上賀茂。しかし
八代女王は奈良時代の歌人なので、奈良の小川かも?藤原家隆の歌碑は
上賀茂神社に有ります。
いかなればそのかみ山のあふひ草年は経れども二葉なるらむ(小侍従)
ほととぎすそのかみ山の旅枕ほのかたらひし空ぞわすれぬ(式子内親王)
神山は、上賀茂神社に有る御山。式子内親王にとって、外に出る事が
出来る葵祭は、将に一生の思い出の旅だったのでしょう?
鏡にもかげみたらしの水の面にうつるばかりの心とを知れ(賀茂御歌)
年を経て憂き影をのみみたらしの変る世もなき身をいかにせむ(周防内侍)
月さゆるみたらし川に影見えて氷に摺れるやまあゐの袖(藤原俊成)
御手洗川は、神社の前を流れる川。ちなみに御手洗団子の由良は、下鴨神社。
郭公こゑ待つほどはかた岡の森のしづくに立ちや濡れまし(紫式部)
上賀茂神社の摂社で片岡社が横に有ります。通り過ぎずお詣りしましょう。
【運営にあたって】
(1) 投稿期間は、原則として毎週水曜日から翌週火曜日17:00までと致します。
なお、変更がある場合は、その都度ご連絡致します。
(2) おひとり様 3首まで(1首でも可)コメント欄に投稿願います。
なおブログの字数制限(コード30,000字)等により詞書等編集させて頂く
場合もありますので、ご容赦願います。
(3) 口語短歌を基本としますが、文語混じりでも構いません。
仮名遣いは新仮名遣いとし、旧仮名遣いは極力避けて頂ければ幸いです。
(4) 投稿頂いた短歌は、そのまま掲載します。皆様から感想等頂ければ幸いです。
(5) 作者名は投稿頂いたペンネーム等を、そのまま掲載します。
(6) 掲載順序は、原則本ブログのコメント欄への到着順と致します。
(7) 掲載された短歌の著作権は、投稿者に帰属します。
了