第一部「口語短歌・水曜サロンの会」(その142) 短歌の投稿を歓迎します!!
☆☆☆ 能登地震で亡くなられた皆様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
また、被災され依然として避難を余儀なくされている皆様に
お見舞い申し上げます。
☆☆☆ 楽しく、和やかな短歌の交流広場を目指したいと思います。
☆☆☆ 短歌の投稿と共に、投稿歌の歌評、感想、ご意見等もお寄せください。
☆☆☆ 「水曜サロン」は以下の通り第一部、第二部構成に区分して運営致し
ていますので、それぞれに詠歌、返歌を出詠願います。
第一部 「口語短歌・水曜サロンの会」:従来通り三首まで出詠願います。
第二部 「ネット短歌」 :返歌専用です。
「口語短歌・水曜サロンの会」は、このブログにお立ちより頂いている皆様の
詠まれた短歌を、毎週水曜日に掲載し、その作品の鑑賞を行うサロンです。
短歌の初心者の方から、ベテランの方まで、所属する短歌会等を越えて、自由に
短歌を投稿し鑑賞しあえる「賑わいのあるサロン」を目指したいと思っています。
皆様の短歌の投稿と、歌評、ご意見、ご提案等をお寄せ頂ければ幸いです。
「オリエントリリー」
「ブログ友の投稿短歌 交流コーナー」
【詞書】源氏物語や紫式部日記・紫式部集には和歌(巻名歌等)が沢山
ありますが、その和歌の返歌を口語短歌で提出します。返歌は源氏
物語の内容や進行に合わせてではなく、短歌に沿った言葉・単語や
自然・地名からヒントをもらい詠みます。今週は源氏物語巻名歌から
2首、紫式部集より1首の計3首提出します。
註)源氏物語巻名歌・27鈴虫(すずむし)
歌の背景
光源氏五十歳。源氏は女三宮の出家を嘆き、来世での同じ蓮の
宿りを願うが、女三宮は煩わしく思う。女三宮の住まいの前庭に
秋の風情を増すために、源氏は鈴虫を放つ。十五夜の夜女三宮は
歌を詠む。
〇おほかたの秋をば憂しと知りにしを ふり捨てがたき鈴虫の声 女三宮
〇心もて 草の宿りを 厭へども なほ鈴虫の 声ぞふりせぬ 光源氏
(返歌)
☆源氏への 想い断ち切り 未練なく 尼になること 決心貫く
☆しみじみと 因果応報 思い知り 正妻の不義 受け止めてこそ
註)紫式部集・27
〇ふるさとに かへるの山の それならば 心やゆくと ゆきも見てまし
(返歌)
☆越前で 初めて味わう 雪景色 式部の気持ち 重苦しさも」
浅間山明鏡止水さん
【解説】
一首目の女三宮の歌は、季節の秋と、それから人に飽く、心飽くという
掛け詞になっている歌と思います。そして「大方の秋、あなた様の大方の
お心の飽きを私はつくづくと憂きものだと思い知りました。しかし、
その心に振り捨てがたく鳴く鈴虫の声でございます…」と、意訳できます。
二首目の光源氏の歌は、「あなたは、ご自分の心から、この世を草の宿り
というふうにお厭いになります。しかし、その鈴虫の声のように、あなたは
美しく若々しく決してお年を召したという感じが致しません」と答えています。
女三宮は、源氏物語の中でも最も陰影に富んだ人物の一人として描かれています。
彼女の人生は、喜びと悲しみ、愛と憎しみ、葛藤と苦悩に満ちていたように
思います。また、紫式部の人間観が最も如実に描かれた女人の一人と感じます。
作者の返歌で「想い断ち切り未練なく」と詠われていますが、光源氏への
想いが断ち切れない故に、出家への決意も時にはためらわれたものと感じて
しまいます。そんな想いを込めて返歌を詠んでみましたが・・・。
【ご参考】
★源氏への 断ち切り難き想いゆえ 出家の想い時に揺らぎて
三首目の紫式部の歌は、「都に帰る途中の『かへる山』の雪ならば、
心も晴れるだろうかと出ていって見るでしょう」と意訳できます。
従って、作者の返歌も、紫式部が越前で味わった本格的な雪の重苦しい
様子をおもんばかった歌となっています。このような返歌もいいですね。
【詞書】夏の季語を使って三首出詠させて頂きたいと思います。
☆朝方に雨の音にて目が覚める 外を見るなり瀑布のごとく
☆夜も更けてゴツンと窓にカナブンが 死んでないかと外覗き込む
☆巡行を待つ宵山の山鉾の コンチキチンの音は涼やか
西BOOさん
【解説】
「瀑布のような雨」「カナブンの飛翔」「宵山の山鉾」と盛夏の様子を
味わい深く詠んで頂きました。
特に、三首目は「巡行を待つ宵山の山鉾の」という上の句で、祇園祭の
山鉾巡行の前夜である宵山の様子が鮮やかに目に浮かびます。「山鉾」
という言葉を使うことで、京都の祇園祭であることが明確になり、
山鉾が立ち並ぶ夜の街並みを趣き深く表現しています。
この歌は、宵山の活気と静けさを巧みに表現し「コンチキチン」の音や
視覚的なイメージを喚起する言葉遣いが巧みで、一瞬にして祇園祭の夜
へと誘ってくれます。
なお、二首目の「カナブン」を思う優しさに、作者の人柄が偲ばれます。
「咲き初める 白桔梗」
【詞書】「片陰」(かたかげ)は炎暑にできる日陰の事で、夏の季語です。
片陰で三首、出詠いたします。
なお、クルーズ船はビルのように大きく、片陰も大きいです。
☆マラソンの色とりどりのボトル瓶 走者を待ちて並ぶ片陰
☆炎天の工事の漢ら 汗ぬぐひ 昼休憩のビルの片陰
☆大ひなる片陰とテープ引き連れて クルーズ船の出航の銅鑼
みっちっちさん
【解説】
夏の季語「片陰」を用いた三首の歌は、いずれも「片陰」を主役におき
俳句の技法を駆使し、夏の光景を鮮やかに表現しています。
特に二首目の歌は、炎天下で働く建設作業員たちの逞しさと、昼食休憩を
「ビルの方陰」で取る彼らの様子を生き生きと描写し、作者の鋭い観察眼と
表現力が光る歌と考えます。
なお、「工事の漢ら」という表現は、作業員たちの力強く、たくましい
男性と表現し、「漢」という言葉を使うことで、炎天下での彼らの
肉体労働の厳しさがより一層伝わってきます。
三首目の歌の上の句、「引き連れて」の表現も見事です。
【詞書】スマホの電源を切ってバッテリーを休ませてみたら少し持ち直し
ました。で、一首出詠いたします。…修理せんかい!…と、突っ込まれ
そうですが…。
☆スマートフォン
だましだましでもう少し
正直修理は面倒やしなあ
【詞書】じわじわとまたしてもコロナが蔓延の兆しを見せています。疫神退散!!
…山や鉾に集められた疫神はそれぞれの町へ帰って解体される事で
消えるんだそうです。しかし祇園祭って厳かなようで賑やかで、煌びやかで
華やかでめっちゃゴージャスで大掛かりな、伝統ある“お祓い”なんですね。
アクシデントは置いといて、びっくりしたことの一つに、郭巨山(だったかと)
の“今回最年少”の、“くじ改め”で奉行役の市長さんに順番を書いた(だったと
思います)紙を渡す役の子(6歳)の家がその役を代々務めてて今回のその子が
「5代目」なんだとか。…(他人で回ったり、兄弟で…とか色々なパターンが…)
凄い…。これもまた伝統と言うかこの場合は“伝承”ですね。
☆山鉾は疫神集め町を往く
神輿が通る道を清めて
【詞書】「円山応挙が下絵を描いた刺繍」とか、加山又造さんの絵とか、ある山の
左右の胴懸に上村松篁、淳之さんの親子共演とかがあるかと思えば(他にも
凄い画家や絵師が関わった物も)、16~18世紀のベルギーやフランス製の
織物も有りーの(今は精巧な複製が懸けられているかと)、彫刻も左甚五郎作
のが(鯉山とか他にも)有りーの…。凄い!ご神体(山など上に乗っている
人形)も、(芦刈山だったかの)装束は天正年間に寄贈されたもの。今回からは
新調されたものが使われたそうです。このように新しくなった物と古くから
使い続けられている物を入れ替えたりもしつつ、30年以上なかった室町時代
や最近の、コロナで巡行などが無かったりした事などはあったものの、大昔
からずっと受け継がれている一ヶ月に渡るこの祭は、もと大阪者の私でも、
間違いなく日本の遺産だなあと改めて思いました。(世界遺産になってたと
思いますが)もちろん懸装品(けそうひん)だけでなく、囃子方や山鉾を動かす
人達、共に歩く方々、それぞれの鉾町などで“ちまき”や御守りなどを売る
子供達や女性たち…懸装品などを修復する人、新調する物に携わる人…etc.。
山鉾巡行だけでも数え切れない人々が関わっています。その方々が一年
息災で過ごせますように…。
☆山鉾はさながら“動く美術館”
繋ぐ町衆努力が輝く
ちがやねこさん
【解説】
祇園祭の前祭(さきまつり)の山鉾巡行の際の「鶏鉾の車輪のアクシデント」に
ついての解説を頂きありがとうございました。
本件の解説は【短歌入門・質問・紹介・提案コーナー】へ作者からの「紹介」
として掲載させて頂きました。
前祭の成功に向けて祭りに関わる多くの方たちの協力と、尽力によって大過
なくアクシデントは乗り越えられたと想っています。
これこそ、「京町衆」の伝統に裏打ちされた心意気と感じました。
二首目の歌は、力強く、印象的な一首です。「山鉾は」 という初句で、
夏の京都の祇園祭の山鉾巡行を鮮やかに描き出しています。
山鉾は巨大で豪華絢爛であり、まさに疫神を祓い町を清めるのにふさわしい
存在です。「神輿が通る道を清めて」 という結句で、山鉾巡行の目的は町の
人々の安全を守るための大切な儀式であること表現しています。なお、
この歌は夏の京都の活気と、疫病に対する人々の祈りをも力強く表現した
一首と考えます。
三首目の「動く美術館」との表現は、まさに詠われている通りですね。
1000年以上の歴史を持つ祇園祭ですが、室町時代に町衆たちの寄付によって
豪華な山鉾が制作されるようになりました。山鉾巡行は、町衆たちの力を
誇示する場としても機能し、現在まで継承されてきたと考えます。
なお、祇園祭は、作者もおっしゃる様にユネスコ無形文化遺産にも登録
されていますね。
「咲き初める ノウゼンカズラ」
【詞書】ハスの花の観賞での3首です。
☆煩悩の焔(ほむら)鎮めて咲く蓮の水面に白き雲流れゆく
☆境内にすっくと立ちて花蓮は合掌するよにゆるり開きぬ
☆梅雨の朝けなげにひらく白蓮は雨の重さに花びら伏せて
夕庵さん
【解説】
ブログを拝見させて頂きました。ご友人と共に宇治植物園を訪れた際、
その苑に咲く蓮の花をテーマに詠われていますね。この宇治植物園には
小椋蓮や、2000年前の蓮の種から育てられた大賀ハスが咲いている
とのことですね。
一首目の歌、「煩悩の焔」という力強い句が印象的です。燃え盛る炎にも
似た煩悩を克服したかのように、静寂をまとい凛と咲く蓮の花。
その花が咲く水面に夏雲が映っている…と、洗練された言葉遣いで静かで
美しい空間が描写されています。
なお、「煩悩の焔」という言葉と、「鎮めて」という言葉の対比によって、
蓮の花に仮託しながら、煩悩を克服し清らかな心境に到達した作者の、
現在の想いが詠われていると拝察いたしました。
三首目の「雨の重さに花びら伏せて」の表現もいいですね。
☆突然の 電話相談 深夜での 人生相談 寝不足も愉し
時の関守さん
【解説】
作者のブログを拝見し、スピリチュアル等の観点からの御説に多くの事柄を
学ばせて頂いています。
今回の歌、深夜「突然の電話相談」は通常であれば「迷惑」との想いに
なりますが、「寝不足も愉し」と鷹揚に受け入れ、しかも相談に応じる
作者の人柄が淡々と表現されています。
ここで「愉し」の語に少し触れたいと思います。これは「楽し」の語とは、
若干趣きが異なり、何かを心から喜び、嬉しく感じるという意味を持ち、
豊かな心情や精神的な満足感を強調する語と理解しています。この語を
使うことによって作者の「人生相談」に真向かう想いの深さが偲ばれます。
【詞書】YouTube短歌:冨田勲 展覧会の絵 ビドロ
☆苦しい・・・
でも歩かなくては
軛の道の遠く
先の見えない
【短歌説明】自閑さんご自身の説明です。
曲を聴いたイメージだけで短歌を作っていますが、後で調べると、
ビドロは、牛車らしいです。ムソルグスキーの曲の通りそれらしく
聞こえました。
小生は、糖尿病歴四半世紀を過ぎました。
甘い物の摂取を抑え、ひたすら運動して、もう、薬、インシュリン
注射と続いています。これが死ぬまで続く先の見えない治療。
牛が見えない鞭に打たれる軛(くびき)にも似ています。現状維持を
するのがやっとで、改善する希望が一切ありません。全国には、
同じ病気で、この暑さの中でも、同じ様に頑張っている方が
数百万人います。
下記URLに展覧会の絵を貼付しておりますので、御覧戴ければ幸いです。
https://blog.goo.ne.jp/jikan314/e/430a576c976fc8dd251f1715cfc72be4
自閑さん
【解説】
ムソルグスキー作曲「展覧会の絵 ビドロ」の「ビドロ」は、当初
ポーランド語で「牛の集団」を意味する「ブイドロ」であったと
言われています。
終始重々しく、暗い曲調で統一されたこの曲を視聴しますと、これが単なる
「牛の集団」の描写でないことに気付きます。この言葉には「家畜のように
虐げられた(ポーランドの)人々」という意味があり、この曲は
「虐げられた人々」への同情と、人々の暗く激しい感情を表現しているかに
感じます。当時のロマノフ朝政治に対する作曲者の批判的精神の表現で
あったかも知れません。現在もそうであるように、当時のロシアでも批判は
タブーであり、題名を書き直し「牛車」とした経緯があるようです。
これらの事柄を踏まえて、作者の歌を鑑賞しますと・・・、
「軛の道の遠く先の見えない」、苦しくても「でも歩かなくては」は
冨田勲の曲も踏まえ、曲のイメージを的確に把握し歌で表現仕切って
いると感じます。
原曲、編曲、短歌それぞれの表現を一つの線で結びつける新たな試みを
続けておられる作者の挑戦に、改めて学ばせて頂きました。
なお、慢性病との付き合いは「今より悪化させない」ための治療と伺い
ました。くれぐれもご自愛の程をお祈り申し上げます。
☆咲き初める むくげの花に黒揚羽 短きいのち ともにいだくや
ポエット・M
【解説】
梅雨明けと共に、底紅をまとう宗旦槿の花が咲き初めています。その花に
黒揚羽蝶が止まり、静かに羽根を休めています。ひと日花でもある槿と、
成虫になってから僅か1週間から2週間程度と言われる黒揚羽蝶の命を期限を
考えると、その命の儚さに心が痛みます。
「神は儚いもののみ美しく創ったと」との言葉がありますが、その儚い命を
懸命に、健気に燃やす花と蝶に愛おしさが湧きます。そんな想いを込めて
詠ってみました。
「黒揚羽蝶と むくげの花」
「山法師 短歌の章」鑑賞 紅林茂夫著(49)
「山法師」はエコノミストでもありました著者の経済学の論文を始め小説、
短歌等を著者により厳選され著作を集めた著者渾身の著書でもあります。
その著書から、短歌を抄出し三首づつ紹介させて頂きます。
30.「短歌の章」 済州島日韓会議(2)
韓国人の対日不信は尚残る
それを肯ひて我は答へぬ
カムサハムニダ(ありがたう)と言へばホテルの
ウエートレスにこやかに 我にも笑み返すなり
会議終へて一杯(ひとつき)の酒に酔はむとす
円かなる月光に島濡るる時
【短歌入門・質問・紹介・提案コーナー】
「ちがやねこさん」からの祇園祭の前祭(さきまつり)の紹介です。
7月17日、8時半から放送されている祇園祭の前祭(さきまつり)の
山鉾巡行の生中継試聴なう、です。
先ほど、9番目を行く鶏鉾の車輪にアクシデントがありました。車輪の
一部が外れたようで、どうするかの協議もあったようですが、後ろで
待っていた山や鉾を先に通そうとなったかで、すぐ後ろとその次は、
人が担ぐ“山”なのでまあすんなりと鶏鉾の横を通り過ぎて行け
ました。が、その次が鉾全体で最重量の月鉾(高さも最高の27メートル!)
だもんだから、どうなることかと思いましたが曳き手の人達、屋根の
上の屋根方、車輪に付いて動きを助ける車方(くるまかた)…全ての
方々の努力の結果、10センチかそれ以内かぐらいのすき間を空けて
二基の鉾がすれ違いました。(心なしか囃子方のお囃子の音も
「頑張れ!」って言ってるみたいに力強く聞こえました)普通なら
斜めに動かない四条通で、皆が手で押して車輪(前後にしか動かない)を
動かし、屋根方の方達はお互いの屋根を足で押し合い(一瞬だけ月鉾の
人が他所の鉾、鶏鉾に乗った!これも珍しいことかと)、曳き手の人達も
息を合わせてゆっくり動かし、音頭取りの方々も力強く掛け声を
掛けて…互いの屋根がぎりぎりで通り過ぎる時は見物の人達から
声援や拍手が起こったり…。何より、四条通で鉾が(鉾と山も)2基
並ぶと言うのが珍しい光景でした。
後に通り過ぎた放下鉾は月鉾より多少小ぶりなのかすき間にちょっと
余裕があったような…。放下鉾が通り過ぎた時、屋根方の人達同士で
「お先に失礼します」「がんばれよ!」みたいに手を振り合っているのが
素敵でした。(菊水鉾も、だと思うんですが見逃した…)山鉾巡行は、
必ずその順番で往く“くじ取らず(先頭の長刀鉾など数基)”以外の
山や鉾は毎年事前に“くじ”を引いて(市議会の会議場で!皆さん
紋付き袴姿で!)順番を決めて巡行します。その理由は昔は山や鉾が
追い越したり越されたりで争いが起きたりしたから“くじ”で順番を
決め、それを守るようになった…なんだそうです。
が、今回は後ろの鉾や山に「どうぞお先に」と先を譲ったとは言え、
山や鉾が鉾を(粛々と)追い越していく…という、なかなか見られない
光景が!結果的に鶏鉾は車輪に応急処置を施して四条通をバックし
(囃子方の皆さんは鉾を降りていました)、室町通の鶏鉾町へ帰るとの
ことでした。毎年放送席で解説してはる佛教大の八木先生(綾傘鉾町の
方らしく毎年綾傘鉾町の浴衣を着られてます)も「見たことない」と
仰ってました。天気は持ったけどえらいアクシデントも起きた今回の
前(さき)祭。後から放送席に来られた、今年初めて「くじ改め」の
奉行役を務められた京都市長の松井さんは「怪我人が出なくて
良かった」と言ってはりました。確かに、屋根方の方達とか見ていて
ハラハラしました。アクシデントか有り、中継の放送予定も少し変更が
あったみたいだけど、取りあえず大変な事故も雨もなくて良かったです。
【運営にあたって】
(1)投稿期間は、原則として毎週水曜日から翌週火曜日17:00までと致します。
なお、変更がある場合は、その都度ご連絡致します。
(2)おひとり様 3首まで(1首でも可)コメント欄に投稿願います。
なおブログの字数制限(コード30,000字)等により詞書等編集させて頂く
場合もありますのでご容赦願います。詞書は一首200文字以内にまとめて
頂きたくご協力願います。
(3)口語短歌を基本としますが、文語混じりでも構いません。
仮名遣いは新仮名遣いとし、旧仮名遣いは極力避けて頂ければ幸いです。
(4)投稿頂いた短歌は、そのまま掲載します。皆様から感想等頂ければ幸いです。
(5)作者名は投稿頂いたペンネーム等を、そのまま掲載します。
(6)掲載順序は、原則本ブログのコメント欄への到着順と致します。
(7)掲載された短歌の著作権は、投稿者に帰属します。
了
二首出詠させて頂きたいと思います。
真夏の到来で詠ませて頂きました。
梅雨が明け猛暑酷暑の到来に 網戸で過ごした過去懐かしや
兵庫県知事で詠ませて頂きました。
兵庫県職員亡くすも知事はなお 辞職はおろか謝罪も皆無
よろしくお願い致します。
心もて 草の宿りを 厭へども なほ鈴虫の 声ぞふりせぬ 光源氏
折角の機会をうわべの表現をされたと思ったのか、源氏の歌も、なんとなくおざなりな表現のような気がします。もっと褒めようがありそうにも思います。
いつも早々に「水曜サロン」へ出詠して頂きありがとうございます。
投稿された作品の歌評、解説等は7月31日付け「水曜サロン その143」へ
掲載させて頂きますので、よろしくお願い致します。
いつも早々に「水曜サロン」へ出詠して頂きありがとうございます。
投稿された作品の歌評、解説等は7月31日付け「水曜サロン その143」へ
掲載させて頂きますので、よろしくお願い致します。
いつも、「水曜サロン」を見守って頂き、またコメント等頂き
ありがとうございます。
おっしゃる通りですね。光源氏は妻であった「女三宮」の出家を嘆きながらも
なお、未練があり、その想いが歌にも表れたかもしれません。
その中途半端な想いゆえに、チョウキチさんもおっしゃる様に「おざなり」な
歌になったとも感じます。
このように、源氏物語は色々な角度から推測もでき、興味の尽きないものと
改めて感じます。
これからも、アドバイス頂ければ嬉しいです。よろしくお願い致します。
忙しくしており、少し遅くなりました。
夏の花、合歓(ねむ)の花、花合歓(はなねむ)で三首詠みましたので、出詠します。
⭐️昼下がり とろりと眠き雨音に 色深めゆく花合歓の紅
⭐️濡れてゐる ややの睫毛よ ゆりかごへ子守り唄めく花合歓の風
⭐️葉をたたみ今日をたたむる夕暮れに 色をあざやぐ ねむり木の花
よろしくお願いいたします
今週も蓮の花3首です。
☆二千年の眠りより醒めし大賀バス 令和の空に歴史を語る
☆泥土(ひじりこ)のなかより咲きし花バスは朝の光に姿やさしも
☆早朝に白蓮そっと開きをり 浄土に咲くとう静けさに立ち
よろしくお願いします。
祇園祭の後祭を詠ませて頂きます。
いつぞやに始まりしかな還幸祭 大船鉾が掉尾(ちょうび)を飾る
よろしくお願い致します。
いつも早々に「水曜サロン」へ出詠して頂きありがとうございます。
投稿された作品の歌評、解説等は7月31日付け「水曜サロン その143」へ
掲載させて頂きますので、よろしくお願い致します。