住まいの安全 心の健康 住まい塾 21

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心と体のリラクゼーション、誰かに秘密を話すストレス解消

身を削がれる思い

2010年10月26日 | 日記
 昨日、久しく兄貴付き合いをしてもらって居た人が亡くなった。
この秋になってから、近しい人が亡くなったのは、二人目になる。
夫々に、私の心の混沌を形にしてくれた人であった。


 一人は、町医者で人間が生きる姿の鏡と言って、間違いの無い人であった。
ちょっとシャイでは有ったが、患者に区別はせず、夜と無く昼と無く、子供が具合が悪いと聞けばカバン一つで吹雪の中でも出かけて行き、夜遅くでも患者が運び込まれてくれば診察を厭わず、自分の診断を完璧と思わず、死ぬまで向学の意志を絶やすことの無かった、老先生。
今更ながら、頭が下がるのみである。
 その先生の、人生の集大成の最後に接することが出来ただけでも幸せと思わねば、いけないのかもしれない。 その先生を支えて下さった、奥様。 この人の貢献もあってこその、二人三脚であったのだろう。 老先生殿に、 心からありがとうございましたと、この場で改めて礼申し上げます。
きっと、貴方のような心持ちの人が日本の過去の繁栄を支えてきたのだろう。 
これからも、このように公平無私で、いわば太陽のように自分のもてる力を出し惜しみせず、出来る範囲であまねく才能を発揮してくれる人が、出てくるのか私には分からないが、数は少なくなるような気がする。
なにしろ、竹中小泉の新自由主義偏重以来、ゼニゲバは世間の隅々にまで行き渡ってしまい、カネにならない事は誰でも躊躇する時代になってしまった。


 私の兄貴分。心に迷いが出た時に訪問すれば、其れと察して「一杯飲めー」と気さくに声をかけてくれ、精一杯のご馳走で、何しに来たのか忘れさせてくれた。
いつも、真綿で包んでくれて、冷え冷えとした心に、又人間らしさを取り戻させてくれた。
自分の体が、ガンに犯されているにもかかわらずであった。


 振り上げたマサカリで、ザックリと自分の心が真っ二つに割られるように辛い、辛い別れで有る。
今、私がその様な役割を後輩たちにすべき立場であるのだろうけれども、 まだまだその人たちの領域に、私が到達したとは自分ながら思えてない。
しかし、自分が自分の行為に納得して、其れを後輩に伝えられるようになるには、後、数十年は必要かと思われる。
ここは、未成熟を承知の上で後輩を鼓舞する事を認めてもらうしかない。
自分の未成熟をさて置いて、これからも未成熟な指摘を書き続けることを認めてもらうしかない。
 それにしても、日本のトップを走る人々が、子供達の心の糧になれるのかどうか… 改めて薄ら寒い思いがするのだが・・・   。




― さようなら ―





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