― イザベラバードの紀行文より ―
現代文で邦訳されたものが、今でも書店に並んでいると思うのだが、自分の文庫本は何処に隠れたか見つからなかった。 明治時代の羽州街道を北上したと言う事で、これからも度々読み返す必要が有るのだがなにせ若年性(?)痴呆予備軍、何処に行ったのか・・・ 。
一言一句について自信は無いが、概ねこのようなことが書いてあったと思うので、ネットから其の訳文を引用しますが、ご勘弁戴きたい。 要するに、数千年に渡って織り込まれた民族の《DNA・遺伝子》はそう簡単に置き換わったり、無くなったりしないと言うことを前提に、現代の東アジアの政治情勢分析の為、腹の中に留めて欲しい、そんな気持ちからのことで、其の引用は、決して悪意は無いことをご了解願いたい。
*** 以下引用 下記URLより ***
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-636.html
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バードは、朝鮮を1894年に訪問しています。
釜山、ソウルに滞在した後、漢江流域を踏査し元山へ、そして同年11~12月にはロシア領内の朝鮮人社会を視察した。 そこで「朝鮮奥地紀行」を著します。
当時の朝鮮は、日本が統治する以前、李氏朝鮮末期の時代にあたります。
「朝鮮人には猜疑、狡猾、嘘を言う癖などの東洋的な悪徳が見られ、人間同士の信頼は薄い。 女性は隔離され、ひどく劣悪な地位に置かれている。」
「政府、法律、教育、礼儀作法、社会関係そして道徳における中国の影響には卓越したものがある。 これら全ての面で朝鮮は、強力な隣人の弱々しい反映に過ぎない。」
「私は北京を見るまではソウルを地球上でもっとも不潔な都市、また紹興(中国浙江省北部の県)の悪臭に出会うまではもっとも悪臭のひどい都市と考えていた。 都市、首都にしてはそのみすぼらしさは名状できない程ひどいものである。」 イザベラ・バードが見た朝鮮
「礼儀作法のために、二階家の建造が禁じられている。
その結果、25万人と見積もられている人びとが“地べた”、主として迷路のような路地で暮らしている。 その路地の多くは、荷を積んだ二頭の雄牛が通れないほど狭い。
実にやっと人ひとりが、荷を積んだ雄牛一頭を通せる広さしか無い。
さらに立ち並んでいるひどくむさくるしい家々や、その家が出す固体や液状の廃物を受け入れる緑色のぬるぬるしたドブと、そしてその汚れた臭い縁によって一層狭められている。」
「ソウルには美術の対象になるものが何も無く、古代の遺物ははなはだ少ない。
公衆用の庭園も無く、行幸の稀有な一件を除けば見せものも無い。 劇場も無い。
ソウルは他国の都市が持っている魅力をまるで欠いている。 ソウルには古い時代の廃墟も無く、図書館も無く、文学も無い。
しまいには、他には見出せないほどの宗教に対する無関心から、ソウルは寺院無しの状態で放置されている。 一方、未だに支配力を維持しているある種の迷信のために、ソウルには墓がないままにされている。」
「ミラー氏と召し使いが綱を強く引っ張っている時、私はしょっちゅう川岸沿いに独りぼっちで、2時間か3時間ぶらついていた。
その小道が淋しい所かまたは村に通じていようがいまいが、私は、ひどく躾の悪い遣り方で示された好奇心以上の不愉快なものには、一度も出会わなかった。 そしてそれは、主として女性によるものであった。」
「その肩に税の重荷が掛かっている人びと、つまり特権を持たない厖大な大衆が、両班(代官?:筆者)にひどく苦しめられているのは、疑いない事である。
両班は代金を支払わないで、人びとを酷使して労働させるばかりでなく、さらに貸し付け金の名目で、無慈悲に強制取り立てを行なっている。
ある商人か農夫がある程度の金額を蓄えたと噂されるか知られると、両班または役人が貸し付け金を要求する。」
「女の人たちと子供たちは山のようになって、私の寝台の上に坐った。
私の衣服を調べた。 ヘアピンを抜いた。 髪を引き下ろした。 スリッパを脱がした。 自分たちと同じ肉や血なのかどうか見るために、私の着物の袖を肘まで引き上げて、私の腕を抓った。 私の帽子を被ってみたり、手袋を嵌めてみたりしながら、私のわずかばかりの持ち物を詳しく調査した。」
「長安寺から元山への内陸旅行の間、私は漢江の谷間でよりも、朝鮮の農法を見る良い機会に恵まれた。 日本のこの上なく見事な手際のよさと、中国の旺盛な勤勉に比べて、朝鮮の農業は無駄が多く、だらしない。」
「朝鮮では、私は朝鮮人を人種の滓と考え、その状況を希望の持てないものと見做すようになっていた。」
「私は出発する前に、無感動できたなく、ぽかんと口を開け、貧しさにどっぷり浸っている群集に包囲されて、宿屋の中庭のごみ、むさ苦しさ、がらくた、半端物の真ん中でじっとしていた。 朝鮮人は見込みのない、無力で哀れな痛ましい、ある大きな勢力に属している単なる羽に過ぎない、と感じた。」
「もしある人が小金を貯めた、と伝えられると、役人がその貸与を要求する。 仮にその要求を承諾すると、貸し手は往々にして元金または利息に二度と会えなくなる。 もしその要求を拒絶すると、その人は逮捕され、破滅させるために捏造されたある種の罪で投獄される。 そして要求された金額を差し出すまで、彼か親類の者が鞭打たれる。」
「狭量、千篇一律、自惚れ、横柄、肉体労働を蔑む間違った自尊心、寛大な公共心や社会的信頼にとって有害な利己的個人主義、二千年来の慣習や伝統に対する奴隷的な行為と思考、狭い知的なものの見方、浅薄な道徳的感覚、女性を本質的に蔑む評価などが朝鮮教育制度の産物と思われる。」
「朝鮮の大きくて普遍的な災難は、大勢の強壮な男たちが、少しましな暮らしをしている親類か友人に頼るか“たかり”に耽る習慣である。 それを恥としないし、非難する世論も無い。 少ないけれども一定の収入がある人は、多くの親類、妻の親類、大勢の友人、親類の友人たちを扶養しなくてはならない。」
「1897年の明確に逆行する動きにも拘わらず、私はこの国の人びとの将来に希望が無いとは決して思わない。 だが、次の二つの事が非常に重要である。
1、朝鮮は、内部からの改革が不可能なので、外部から
改革されねばならない事。
2、君主の権力は、厳しくて永続的な憲法上の抑制の下
に置かねばならない事。」
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*** 以上引用 終 ***
これが、韓半島の李王朝末期の実態であろう。 フジテレビの韓国王朝時代の着飾ったドラマに、大きく異論を挟むつもりは無いが、いかに時代考証がなされていないのか、韓流の日本国民洗脳に近いインチキ番組を真実と勘違いしていけないのは、言うまでもない。
そして、イザベラバードは中国についても、次のように書き連ねている。
*** 以下引用 上記URLより ***
バードは1895年12月に上海に渡ります。
上海から揚子江を万県まで遡り、さらに陸路を保寧府、成都まで進んだ。
彼女は、中国社会の活力と公正さを高く評価しるけれど、それは“最悪”の朝鮮社会を見た直後だったからかもしれない。
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「中国人は無学であるし、信じがたいほど迷信深い。 だが、概していえば、いろいろな欠点はあるにしろ、ひたむきさという点では他の東洋民族にはないものがあるように思われる。」
「〈文人階級〉の多くの人々の無知さ加減はひどい。 それは宿坊での会話の中にとめどもなく現われてくる。 軍のある高官は、劉を頭とする黒旗軍が台湾から日本人を駆逐したとか、劉が神々に誓った誓いと祈りが功を奏して台湾海峡が大きく口を開いたとか、ロシア、イギリス、フランス、日本の海軍が戦渦に広く巻き込まれ、やられてしまったとか言って憚らなかった」
「中国で仁が重んじられているという印象は、日常生活からはさほど受けない。
中国人の性格に関するこの国での一般的な見解は、冷酷、残忍、無慈悲で、徹底して利己的であり、他人の不幸に対して無関心であるというものである。」
「彼女たちの質問はまことに軽薄だったし、好奇心は異常なまでに知性を欠いていた。
この点で日本人の質問とは好対照だった。
ここには、していることに目新しさも多様さもなく、食べることと書くことだけをしている人間を何時間にもわたってジロジロ見ることに費やすという、大人としての異常なまでの無神経さが見てとれた。」
「群集はどんどん増え、囃し立てたり怒鳴ったりして、どんどんやかましくなった。 口々に『洋鬼子』、『外国の悪魔』とか『吃孩子(子供食い)』と叫ぶ声がどんどん大きくなり、怒号と化していくのがわかった。
狭い通りはほとんど通れなくなった。 私が乗った車は、何度も何度も棒で叩かれた。 泥や嫌な臭いのするものが飛んできて命中した。 ほかの連中よりも大胆なのか臆病なのかわからないが、一人の身なりのよい男が私の胸を斜めに強打した。 叩かれたところはみみず腫れになった。 わめく輩は最悪だった。 激昂した中国の暴徒だった。」
「信じられないような汚さ、古期英語を用いないと表せないようなひどい悪臭、薄汚なさ、希望のなさ、騒がしさ、商売、そして耳障りな騒音は中国の都市に共通する特徴である」
「中国の町のごろつき連中は、無作法で、野蛮で、下品で、横柄で、自惚れが強く、卑劣で、その無知さ加減は筆舌に尽くせない。
そして、表現することも信じることもできないような不潔さの下に暮らしている。 その汚さといったら想像を絶するし、その悪臭を言い表せる言葉は存在しない。 そんな連中が日本人を、何と『野蛮な小人』と呼ぶのである!」
「トルコやペルシャ、カシミール、朝鮮を、私のように数年にわたって旅したことがある人なら、中国の人々が虐げられた国民などではさらさらないことがわかって驚くことになる。 また、現制度下にあってさえ、賄賂はあるものの税は軽く、働けば金になり、理にかなった自由もかなりあることがわかって驚くことになる。」
「大勢の薄汚い役人が何もせずにぶらぶらしているといったことはなかった。この点は朝鮮とは異なっていた。」
「飛び道具は手近にいくらでもあった。 石の一部は轎や轎かきに当たったし、私の帽子にも当たって帽子が飛ばされてしまった。 『外国の悪魔』とか『外国の犬』という叫び声のすさまじさといったらなかった。 石が轎めがけて雨霰のように投げつけられた。 そして一つの大きな石が私の耳の後ろに命中した。このひどい一撃によって、私は前に倒れ込み、気を失ってしまった。」
「病気の苦力は木の下に横たえられた。 そこで私はその男の燃えるような額に濡れたハンカチを当ててやった。 その時、中国人の潜在的な残虐性が現われた。 あの実に愛らしい創造物である観音が広く崇拝されているのに、この連中には何の感化も及ぼしていないことがわかった。 何も運んでいない苦力が5人いたので、一匹のラバの荷物を5人で分け合い、病気の男をラバに乗せるように提案してみたけれど、拒絶したのである! この12日間、寝食をともにしてきた男なのに、である。
しかも、お前達はこの男をここに置き去りにして死なせるつもりかと尋ねると、彼らはせせら笑いながら、『死なせればいい。 もう何の役にも立ちませんぜ』とのたまった。
病気の男が懇願した水が目と鼻の先にあったにもかかわらず、それをやろうとさえしなかった。」
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*** 以上引用 終 ***
筆者には、スペイン人に16世紀に滅ぼされた『インカ帝国』の人々が、脳裏に浮かんだ。
何処に問題が有り、如何すればマヤ文明は滅びなかったのか・・・ 。
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