仕事が早く終わったので、久しぶりに湯舟沢温泉に寄らせてもらった。 薄い硫黄の匂いが、銭湯とは違う思いを蘇らせてくれる。 その昔、戸板に乗ってきた動けない人が、2~3ヶ月の湯治で元気になり、一人で歩いて帰ったという逸話があるが、腰の重みが一時間程の入浴でカラッとする事を考えれば、まんざらでもない感じがする。
車の通れない温泉の脇の道を2~300mほど登ると、運が良ければ一掴みほどのワラビにありつく事が出来る。 これで、明晩のおかずはショウガ醤油をかけたワラビのおひたしとなる。 だが子供は食べてはくれない。
帰りには、由緒正しいドライブイン『尾上の松』で、6個入りの『紅輝卵』という卵かけご飯用の卵を買った。 6個で360円とチョット高め。
その昔、忍者の呼び声高い『芭蕉』もここを通り、この松の下に腰を下ろして、お茶でもすすったのだろうか。 佐竹藩の飛脚『ヨジロー』殿も、お茶を飲む暇も無く、松の姿を横目に駆け去って行き東根の六田に宿を取った。 そこには、思いを寄せる娘さんが居たということでした。 今でも東根の六田には美人が多いと聞く!?。 最近新聞に載った、かの『イザベラバード』も足の短い農耕馬にまたがり、ぽっくりぽっくり歩いていった。 その節も、この松の姿をしっかり、頭に記憶して北へ進んで行ったのでしょう。
ここの、紅輝卵という卵は 『村山市うまいもの』 として、もっと宣伝しても恥ずかしくないものと思われるが? 新鮮さはもちろんであるが、生卵をそのまま味わってみると、昔懐かしい味がそのまま舌に伝わってくる。 子供時代、病み上がりの時には、おかゆの上に生卵をかけ塩をパラパラと振ってくれた母の顔がなつかしく思い出されます。 欲を言えば、歯ざわりは同じようであるが「はえぬき」より、舌触りの良い「ササニシキ」がよく会う。 だが、残念ながら倒伏しやすく、作りにくいササニシキは、今ではお目にかかることが少ない。
個人的には、メタボぎみなので食べ物の話は避けたいのですが、今日は食べ物の話でした。
公営の『道の駅』が出来てから、昔の隆盛は夢のようです。 中央分離帯とか、新しい交通手段はいろんな影響を与えるけれども已む得ないことでしょうか。 チョット惜しい気がします。
車の通れない温泉の脇の道を2~300mほど登ると、運が良ければ一掴みほどのワラビにありつく事が出来る。 これで、明晩のおかずはショウガ醤油をかけたワラビのおひたしとなる。 だが子供は食べてはくれない。
帰りには、由緒正しいドライブイン『尾上の松』で、6個入りの『紅輝卵』という卵かけご飯用の卵を買った。 6個で360円とチョット高め。
その昔、忍者の呼び声高い『芭蕉』もここを通り、この松の下に腰を下ろして、お茶でもすすったのだろうか。 佐竹藩の飛脚『ヨジロー』殿も、お茶を飲む暇も無く、松の姿を横目に駆け去って行き東根の六田に宿を取った。 そこには、思いを寄せる娘さんが居たということでした。 今でも東根の六田には美人が多いと聞く!?。 最近新聞に載った、かの『イザベラバード』も足の短い農耕馬にまたがり、ぽっくりぽっくり歩いていった。 その節も、この松の姿をしっかり、頭に記憶して北へ進んで行ったのでしょう。
ここの、紅輝卵という卵は 『村山市うまいもの』 として、もっと宣伝しても恥ずかしくないものと思われるが? 新鮮さはもちろんであるが、生卵をそのまま味わってみると、昔懐かしい味がそのまま舌に伝わってくる。 子供時代、病み上がりの時には、おかゆの上に生卵をかけ塩をパラパラと振ってくれた母の顔がなつかしく思い出されます。 欲を言えば、歯ざわりは同じようであるが「はえぬき」より、舌触りの良い「ササニシキ」がよく会う。 だが、残念ながら倒伏しやすく、作りにくいササニシキは、今ではお目にかかることが少ない。
個人的には、メタボぎみなので食べ物の話は避けたいのですが、今日は食べ物の話でした。
公営の『道の駅』が出来てから、昔の隆盛は夢のようです。 中央分離帯とか、新しい交通手段はいろんな影響を与えるけれども已む得ないことでしょうか。 チョット惜しい気がします。
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