ちょっと訳があり、自分の物書き半生を勝手に振り返らせていただきます。パチパチ!
実は日記野郎で、小学4年生から結婚するまで日記をつけていました。中学時代、高校時代、、、当時の交遊関係や底が見えるような浅薄な思想が、ちりばめられていて、とても正視に耐えません…。大学に入ると日記と並行して、月間マス○という、ページ数わずか4頁の月刊誌を書いてました。文字もイラストもすべて手書き。研究室のコピー機でコピーして、ホチキスで止めて、学部や部活の友だち、バイト先の友だち、初対面の人に名刺代わりに、、、、多いときは50部以上配ってました。
途中、『年刊イリエ』、『月刊花やしき』など、悪友どもの類似ライバル誌が次ぎ次ぎと休刊する中、結婚しても続けてました。なんて暇だったんだ(^^;)
以下、当時を思い出して。
・あの頃、敬愛してやまなかった作家の椎名誠が、学生時代に『月刊 俺の足』というガリ版刷りの冊子を書いていたというのを知り、自分も何か今のうちから発信したいと思った。
・聖職者になる前、(当時はバブル最盛期。学生が何万円も出してデートでイタメシを食べていたころです)自分がしていたラーメンの食べ歩き記録を残したかった。
・『月刊カドカワ』という自己愛に満ちた雑誌名に衝撃を覚え、タイトルは単純に自分の名前にした。
・45号を出したころに結婚。アパート暮らしで自分の部屋が無く、まず日記を書くのをやめました。月刊○スダも、どうにもこうにも月刊では出せなくなり、季刊、そして気刊(気分で発行)となり、50号記念号を出して、お茶を濁し、当時流行っていたメールマガジンに移行。
つづく~
おまけの写真~
区画整理のため、あちこちで地面の高さ調整が行われてます、、、、

「残され島」と呼んでます(^^;)
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