円東寺「大人の寺子屋」史跡勉強会vol.2でした。パチパチ!
柏から流山にかつてあった「うなぎ道」の話のついでの蒲焼(かばやき)の話が面白かったです。
かつては、ウナギを開かずに丸のまま竹串に刺して焼いていたので、それが蒲の穂(ガマのほ)に見えたので蒲焼と呼んだ。これには、諸説あって、本で読んだりテレビで見たりしたことがある方も多いでしょう。
※江戸時代には開いた「割き売り」と「蒲焼」がきちんと区別されて売られていた記録があります。
では、なぜ開いて骨をとった「割き売り」も蒲焼と呼ばれるようになったのか、、、、?
さらに興味深かったのは、1760年代の柏から流山に向かう「うなぎ道」の輸送量は年に平均432駄(1駄は16笊ザル)。それが、30年後の1794年には5967駄と15倍近くになっているということ。
この30年間に何があったのか?
関連性は不明ですが、1766年(明和3)に堀切紋次郎が「万上みりん」の醸造を開始、1782年(天明2)に秋元三左衛門が「天晴みりん」の醸造を開始、、、、
それまで、醤油と酒だけで作られていた蒲焼のたれが劇的においしくなったのは想像に難くありません。もちろん、うなぎが人気食品になったので、たれの方が改良されたのかもしれませんが。
卵が先かニワトリが先か、ではありませんが、と講師の大山先生もおっしゃっていました。
その他、地名の話とか、「へー」ということばかり。あっという間の2時間、、、、、どころか、いつの間にか30分オーバーの2時間半でした。
流山でみりんとともにウナギも観光に取り入れてほしいっ。
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