玄徳道

道を語るブログです。

済仏訓、健康の三宝道。

2021-09-11 01:23:00 | 道院
精・気・神は、人の三つの宝であり、その宝である所以のものは、人がそのおかげで、その身体の健康を維持する事が出来るからである。

ただ、身体を健全にする事が出来るだけでなく、これを善く養う者は、さらにその性霊を固めて衰えないようにし、俗世間の事に惑わされず、これを超越して、永遠の生命を保つ事が出来るのである。

吾が道院においては、静坐を堅持する事を以って功夫修練とするのは、この精・気・神を養ってこれを固める為である。

今の人は修養する事を知らず、この精・気・神の三宝を損傷(そこ)なっている。それは、色欲に因(よ)ってその精を消耗し、名利(名誉や利欲)に因って其の神を奪われ、争奪によって其の気を散じており、そこで病気となり、病の床に伏して苦しむ事になる人が多いのである。

それはたとえば六気(好き・嫌いの嗜好と喜怒哀楽の感情の六つを指す)が、調和を欠くと言っても実際は精・気・神の宝を損傷なうことによるものである。

思うに三宝がその内に蔵され、六気は外にあらわれるが、しかし内に三宝を固めることが出来れば、外から自ら侵されることなく、疾病も生じることが無いのである。

故に、その生(生命)を養う者は、適当な予防を重んじ、適宜にその心を安んじる事をはかる以外に、さらに精・気・神の三宝を充実させ、これを養うことを以て、唯一の目的とするのである。

その三宝を充実させ、養うところの方法は、その心を養い、その腎を養い、その肝を養うに、外(ほか)ならない。

したがって、これらを養うには、必ず思慮(不必要な思慮や煩悩)を少なくして、その心を養い、色欲を少なくして、以て腎を養い、怒りを戒めて、以てその肝を養うのである。

心を養うことが出来れば、必ず清く泰(やす)らかである。

腎を養う事が出来れば、必ず充ちて固まるのである。

肝を養う事が出来れば、必ず暢(のびのび)として充ち足りるのである。

それは、身体を運(めぐ)るところの気が内に充実すれば、即ちそこで脈と経絡は双方共に相整い、精が充ちれば、即ち水火が交わって、全てが相成就する事になる。(易経で言うところの水火既済。成就する意。)

心が泰(やす)らかであれば、則ち金木相生じ(金は水を生じ、木が火を生じる。)、五臓六腑は、相生じ相化し、万絡千肌(多くの脈絡や筋肉)も相育み、相養われる。

そして後に、後天における有形の身体は、耳は必ず聴くのに聡く、目は必ず観るのに明らかであり、手は必ず動かすのに壮(さか)んであり、足は必ず歩行するのに、健やかである。

先天における無形のものは、その本性は自ら光明となり、霊は自ら清らかに凝っていき、炁は自ら息息として、その働きを息(や)むことが、無いのである。(炁・霊・性は先天の三宝。)

そこで陰陽は一身に備わり、先天の炁と後天の気は相交わって、一体となり、天地人の三つの働きに通じるのである。

いわゆる、風、寒、湿気、燥(かわ)き、火等は決して吾が身体を侵害することは無いのである。

各人、勉めてこれを悟るようにせよ。

そうすれば病気に懼(かか)っている者は、固(もと)より大半を取り除く事が出来、健康で病気の無い者もまた、精・気・神の三宝を養う事に因って災いや、疾病を未然に防ぐ事が出来るのである。




コメント (3)
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