神に生きる、女性とは妙である。前世の夙根(前世からの修養悟り。)があるにしても、世に起ち、柱となるべき人が多いのであります。
家庭の中、仕事の中、厳しい環境の中、神を忘れずに、道を歩み、おのれの本性を顕現される、女性は神界から来た御魂でございます。
それは、中山みき、出口直、出口澄、車小房、長沼妙佼、矢野シン等もみな神界から来られ、世直しに尽力されたのであります。
白山姫観音。
久しぶりにバイクで、六甲山神社を訪れました。祭神は、白山菊理媛神。
六甲山神社の奥へ行き降ると白水不動尊があり、ここで、水業の為のお水を頂き、尚且つ磐笛達を沐浴させて頂きました。
六甲山神社の奥を真っ直ぐ行くと葉っぱだらけで行き止まり感があります。
しかし、そのまま、突っ切ります。
磐座があります。ここの神主さんは、おそらくここを秘匿したいらしく、手前の道を草茫々とし、その後の道はちゃんと草を刈っておられますので。
人と交わらない磐座も天地人の貫通力を失い、端然と座るだけとなり、寂れてしまいますね。
此処で磐笛、経、咒を誦します。
ここから、六甲姫の磐座へ向かいます。
六甲比命大善神社の磐座。
六甲姫神社はこの上にありますが、人が多く参拝されていたので、遠慮しときます。
それよりも、その裏側にある女陰磐座へ来ました。此処は誰も居ないので、ゆっくり、磐笛、経、咒、祝詞を挙げる事が出来ます。
奉唱すれは、なんとも言えない安心気と交わり、無形の感合あり。
基本、引き篭もりなので、休みの日は、神坐す、地へ赴かねばと反省致します。
帰りに、吾が友である、麁乱神の磐座へ来ました。
麁乱神より賜った磐笛を吹き、挨拶と致します。
そして、食用の松を頂きます。
六甲山神社も六甲姫神社にも松が生えていますが、大きな木でして、松葉に手が届きません。
この麁乱神の磐座には松が群生し、尚且つお手頃に頂き易く、松さんも食べて食べてと言ってくれます。
帰りに廣田神社へ参拝し、廣田神社で賜った磐笛を吹き、経を挙げ、帰宅しました。
もともと、たぶん、おそらく、縄文時代の祭祀や政(まつりごと)は、卑弥呼の例があるが如く、女性が主体であったのであります。
三千世界一度に開く梅の花。この言葉は、艮の金神が出口直に懸かられた言葉であり、様々な感化を人に与えておられるが、梅の花とは女性を意味し、女性の活躍をもって、弥勒の世の到来を意味するものであると考えます。
翻り、思考すれば、封建時代では、大黒柱とは、旦那である男性を意味していたようであるが、今の世では、大黒柱とは、実に母なる女性なのである。男とは従者に過ぎない。
神界では、白山神界が日本の要となり、菊理媛、瀬織津姫、丹生姫、金龍媛、龍宮の乙姫、剣姫、月照姫など御神業を行い、様々な地域において、姫人神の覚醒を待っているのでございます。