世界中のコロナ禍を始め、ミャンマーやアフガニスタンの事など、大きな渦が巻き荒れる世界の中、オリンピック、パラリンピックも済みたな。
物が豊かになる程に、始めは、真面目に助け合いておりた人類も、段々と思い上がり、神の定めた人類の道を外れ、好き勝手の道に走り、この地球を汚し穢し、戦争を重ねて、争い絶え間の無き、強い者勝ちの世として、しまったのであるぞ。
この地球の五大陸に住まわせてもらっておる五色の人種は、和となりて助け合わねば、いまのような主勝手のやり方では、その末、世も行き詰まりてしまうのであり、世界が和と輪となり、道を守りて、共に助け合い、大輪(大和)の世を開けよと、この和の国、日本でオリンピックを開かせたのであるぞ。
今の時代、日本にも世界にも真に世を治めて行く御魂の者を、未だ出ておらぬから、日本の首相も次々と替わり、世界にも様々統治の変化が見せてあるぞよ。
現の世の事は、人民に任せ、自由にさせてあるが、その手に道を外れなと原因結果(めぐり)の法則が定めてあり、良くなるのも悪くなるのも、我が身の心言行の原因結果であるぞよ。
神が罰をあたえるので無く、我が身が罰をつくっておる事を、人民も世界の国々もしかと覚らねばならぬぞよ。
それぞれの国には国魂の神があり、それによって国々の風土や風俗も異なるのであるぞ。
世界の大国は貧しき小さき国を、大国の風習を押しつけて、自在にいたさんとするが、貧しき国を豊かな国が助ける事は良いなれど、我自在にいたさんとする事は、国魂の神が承知せぬから、アメリカが二十年間も自在にして来たように見えた、アフガニスタンから軍隊を撤兵せねばならぬような事も起こるのであるぞ。
信奉する者には、わが宗教思想は絶対のものと思えども、一部の民族や人民の守りや救いの為に、教祖が出て、人間が作り出したものであり、食い物も水とても無きところで、宗教や思想の違いで殺し合いをいたす如きは、決して真の神の道では無いのであるぞ。
盲信し凝り固まれば、真実の事が見えぬようになるのであるぞ。
今や世界の人類は、宗教思想の偏見を越え、人は更なり、万物の生命は一連であり、共生せねば、生命の継続も、新しい道も生まれぬ事を、しかと覚り、宗教思想より、元の生命の道、即ち天地親神の神理の道へ帰らねばならぬのであるぞ。
様々厳しい警告を示し、世界の気候まで変へて、人類の誤ちを氣づけておるが、未だ未だ主勝手、利己主義の改心が出来ず、何よりも物金さえあれば、自在になると、楽な道にばかり走る、今の人民であるぞ。
それ故、中々コロナも終息せぬのであるぞ。
見てござれ、コロナを抑える事ばかり考えておる人類であるが、コロナは今日迄の人類の歩みの様々の誤りを氣づかせ、次の時代への道もこれから教えてまいるぞ。
世界の流れには順(したが)いつつ真実の姿を見忘れぬようにいたさねばならぬぞよ。
濁り切りたる世界の歴史の大きな流れ、その流れを清く変えて、地上の天国を開く、真柱の御魂の神人を選(よ)り出す為、泥も砂も石ころも、篩(ふるい)にかけ、掻きまぜ、掻きまぜ、〇九十(まこと)の御魂の選り分けをいたしておる今の世であるぞ。
新しい世は近まりたと申せ、今すぐに世は改まらぬのじゃ。
掻きまぜ、掻きまぜ、世界には、荒事が重なり物や金や人間の知恵だけではどうにもならぬ事に氣づくまで、厳しい浄めの世は続くぞよ。
この地球に住まわせてもらっておりながら、地球も宇宙の星までも我が物の如く思い上がっておる事に氣づくまで、やむをえず、荒事の氣づけは続くぞよ。
その中で、藤づるで網みた篩で〇九十の御魂の者を選りわけて、まいるのじゃ。
落ちており、隠れたおりた〇九十の御魂の者が光出し、新しき世の柱と立ち、世界五輪の輪となる恒久平和地上の天国を開くのであるぞ。
その時が来るまで、それぞれ利己主義を慎み、苦しき中にも恵みに感謝し、まず心の中に、神人和楽の天国を開き、じたばたせず、今為さねばならぬ我が身の使命の果たしに努力する事であるぞ。
コロナに感染し、あるいは世の荒波にもまれておるとも、つねに御魂の親神は見守り、禍の転じて福と為す道を開いてくれる事は決して、忘れてはならぬぞよ。
形ある物は、必ず滅す如く人の肉体も、時来れば皆平等に土となり、水へと帰るが、魂は残り、御魂の親神の下へ帰れば、永遠の仕合わせなるのじゃ。
それ故、辛い時こそ。世の元の神、又我が御魂の親神との神交を忘れてはならぬのであるぞ。
現の世の想念相応の霊界へ行くのである事を忘れてはならぬぞ。
世界を九九る(括る)大和の御魂の者(救世主)が現れるまで、忍耐の心忘れず歩まねばならぬぞよ。
艮坤の霊筋通り、一段と世の立替立直しは、厳しくなるこの時であるから、世界の大芝居の舞台にふさわぬ、御魂の役者は次々と替わりて、大芝居を進めてまいるぞよ。
党利党略、権力争いに、明け暮れる政治では、らちがあかぬから、それぞれの人民が、造り主と造られた者、神と人の理をしかと、心得、狂わぬ柱を心の内に立てねばならぬこのときであるぞよ。
言霊神也 ン
令和三年九月八日
天橋道士龍華斎 修聖拝写。