教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

お盆休み

2005年08月13日 23時55分55秒 | Weblog
 今日は何もしてません。来客二件(父および家の客ですが)。いつの間にか夕方となり、墓参りをして、迎え火を焚いた程度。
 ここのところの疲れがたまっていたのか、実家に帰ると気が抜けるのか。実家にいると、一人暮らしをしている時の自分とは別人になるような気がします。いいことは、たまには親孝行しようかな、と思うこと。二十歳前後の大学生の頃まではほとんどそんなことを考えたことはありませんで、自分のことしか考えていませんでした。しかし、歳をとるにつれて、やれることはやってやろうかな、と思えるようになりました。まあ、洗濯物を干したり、料理を手伝ったり、食事の後かたづけをしたり、といった簡単な手伝い程度で、たいしたことはしてませんが。
 んで、軽く手に火傷を負う(笑)
 実家に帰って悪いことは、広島等の人間関係に非常に無関心になってしまうこと。まったく気にしないわけではありませんが、連絡や対応などをかなりおこたってしまうのです。たぶん、実家ではすぐ近くに気がおけない両親兄弟が居るので、さみしくないからだと思います。学業・仕事・趣味等の関係で人間関係は発生するものですから、単にさみしいから人とつきあっているのではないですが、そういう面もないわけではありません。正直言って、朴念仁の私も、いつも一人でいるのは嫌なので。しかし、実家では広島にいる時よりも、人間関係の維持にかなりいい加減になってしまいます。これは、私の実家「観」が原因かも。私にとっての実家とは、現実(私の場合は広島)とは別世界の夢の世界のように感じているような気がします。自分が18歳まで育った松山ですら、すでに今の私の生活とは離れた世界となっているのかもしれません。そう考えると、故郷を忘れるようでさみしくも情けなくもあり、独り立ちしたのだと誇らしくもあり…
 そんなわけで、実家へ帰るとリラックスできますが、逆に早く現実に戻らなくてはと思ってしまっているようです。いつの間にか、広島(現実、生活の場)と松山(非現実、現実逃避の場)という構図ができているのでしょうか。
コメント (3)
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