今日は読書のみ。
最近、社会科学に関する勉強を続けています。もともと、博士論文作成にあたって、教育「学」研究とは何か、という問いにぶつかったのがその発端でした。当初は何に手をつけていいやら、教育「学」と銘打った研究書の山に尻込みばかりでした。しかし、「学」とは基本的には「科学」を意味するのでは?という他愛もない仮説にたどり着き、では科学とは何だ?という問いに至ったわけです。
私が拙い頭で科学とは何かと考えた時、重力の法則とか、化学変化とか、すぐに自然科学といわれる類のものを思い浮かべてしまいます。この思いこみは、私の中では非常に強固でして、以前、E・H・カー(清水幾太郎訳)『歴史とは何か』(岩波新書、1962年)を読んだ際、自然科学と歴史学はその根本として変わらないのだという主張に触れ、カーの科学観で科学をわかったことにしていいのか?という疑問を発生させるに及びました。科学そのものの勉強は以前から時々やっていたのですが、最近活発に勉強を始めた動機は、このカーの科学観の正当性を確かめたいという欲求から始まっています。
というわけで、今日は高島善哉『社会科学入門-新しい国民の見方考え方-』(岩波新書、1954年・改版1964年)を読み切りました。この本を選んだのはたまたま目に付いたからですが、そのほかに社会科学の入門書であることも選定基準でした。前述の通り、自然科学一本の科学観を持つ私ですので、自然科学に対する社会科学とは何か、と純粋に疑問があったので社会科学に興味がありました。また、私は基本的に読書嫌いで知識の蓄積がなく、頭も鈍くてあまり専門に渉ると理解が追いつかないので、入門書から入るべきと思って手を伸ばしたのも理由の一つです(笑)。
高島著は、出版年を見ればわかる如く、戦後直後に書かれた社会科学入門書です。国民の観察思考方法として社会科学の方法を伝授しようという目的を持つ高島氏は、他の社会科学に関する著作がわかりにくくて読者に伝わり難いという現状をふまえて、この書を著したそうです。その姿勢に違わず、内容は非常にわかりやすいものでした。
高島著の極めて粗い要約とそれに対するコメントは次の通り。
社会科学とは社会を歴史的・理論的・政策的に分析する科学であり(同著は歴史的叙述に焦点を置いてます)、その重要な視点は一つに社会体制、二つに階級、三つに民族であるとします。社会体制は封建社会→資本主義社会→社会主義社会の順に移行し、現在は資本主義社会の危機の時期=社会主義社会への移行過程時期であるから、それを見据えて社会科学者は行動しなくてはいけないとしています。現在では何か空虚にも聞こえる主張ですが、当時の社会科学者のポピュラーな思考方程式?が非常にわかりやすく理解できました。また、英仏独米日の歴史的相違から社会体制の違いに及び、ドイツ・日本の国家主義的傾向を説明した点は、興味深く読みました。
この本の中で一番印象深い箇所は、第一章第一節でした。ここを読んで思ったこと。すなわち、戦前日本への社会科学受容過程において社会科学=マルクス主義科学という認識が生まれてしまったこと、そのために社会科学に対するアレルギーともいうべきものが戦後に至っても引き継がれていること、そして科学=自然科学という強固な認識の改善の阻害となっていること。これらの問題は、この本が刊行されて50年経った現在でも、まだ解消されていないのでは…?
もちろん、私だけの実感にすぎませんが。
最近、社会科学に関する勉強を続けています。もともと、博士論文作成にあたって、教育「学」研究とは何か、という問いにぶつかったのがその発端でした。当初は何に手をつけていいやら、教育「学」と銘打った研究書の山に尻込みばかりでした。しかし、「学」とは基本的には「科学」を意味するのでは?という他愛もない仮説にたどり着き、では科学とは何だ?という問いに至ったわけです。
私が拙い頭で科学とは何かと考えた時、重力の法則とか、化学変化とか、すぐに自然科学といわれる類のものを思い浮かべてしまいます。この思いこみは、私の中では非常に強固でして、以前、E・H・カー(清水幾太郎訳)『歴史とは何か』(岩波新書、1962年)を読んだ際、自然科学と歴史学はその根本として変わらないのだという主張に触れ、カーの科学観で科学をわかったことにしていいのか?という疑問を発生させるに及びました。科学そのものの勉強は以前から時々やっていたのですが、最近活発に勉強を始めた動機は、このカーの科学観の正当性を確かめたいという欲求から始まっています。
というわけで、今日は高島善哉『社会科学入門-新しい国民の見方考え方-』(岩波新書、1954年・改版1964年)を読み切りました。この本を選んだのはたまたま目に付いたからですが、そのほかに社会科学の入門書であることも選定基準でした。前述の通り、自然科学一本の科学観を持つ私ですので、自然科学に対する社会科学とは何か、と純粋に疑問があったので社会科学に興味がありました。また、私は基本的に読書嫌いで知識の蓄積がなく、頭も鈍くてあまり専門に渉ると理解が追いつかないので、入門書から入るべきと思って手を伸ばしたのも理由の一つです(笑)。
高島著は、出版年を見ればわかる如く、戦後直後に書かれた社会科学入門書です。国民の観察思考方法として社会科学の方法を伝授しようという目的を持つ高島氏は、他の社会科学に関する著作がわかりにくくて読者に伝わり難いという現状をふまえて、この書を著したそうです。その姿勢に違わず、内容は非常にわかりやすいものでした。
高島著の極めて粗い要約とそれに対するコメントは次の通り。
社会科学とは社会を歴史的・理論的・政策的に分析する科学であり(同著は歴史的叙述に焦点を置いてます)、その重要な視点は一つに社会体制、二つに階級、三つに民族であるとします。社会体制は封建社会→資本主義社会→社会主義社会の順に移行し、現在は資本主義社会の危機の時期=社会主義社会への移行過程時期であるから、それを見据えて社会科学者は行動しなくてはいけないとしています。現在では何か空虚にも聞こえる主張ですが、当時の社会科学者のポピュラーな思考方程式?が非常にわかりやすく理解できました。また、英仏独米日の歴史的相違から社会体制の違いに及び、ドイツ・日本の国家主義的傾向を説明した点は、興味深く読みました。
この本の中で一番印象深い箇所は、第一章第一節でした。ここを読んで思ったこと。すなわち、戦前日本への社会科学受容過程において社会科学=マルクス主義科学という認識が生まれてしまったこと、そのために社会科学に対するアレルギーともいうべきものが戦後に至っても引き継がれていること、そして科学=自然科学という強固な認識の改善の阻害となっていること。これらの問題は、この本が刊行されて50年経った現在でも、まだ解消されていないのでは…?
もちろん、私だけの実感にすぎませんが。