教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

父の期待、祖父の期待

2006年08月13日 23時55分55秒 | Weblog
 13日は高松→松山。お盆なので、実家に帰るのです。
 午前中は高松城を散策。それからみやげを買って、うどんを食べる。電車の時間まで少しあったので、喫茶店で四人で話しながらお茶をする。
 予讃線12:39発の特急に乗って、高松を後にしました。YとMくんも同じくらいの電車に乗って、それぞれ高松を立ちました。途中、宇多津駅で乗り換え。今治までは順調に帰っていたのですが、対向ですれ違う予定の岡山行きの電車が、例の事故(13日予讃線)を起こす。そのため、私の乗っていた電車も、あと20~30分で松山に着く直前で停車。結局、電車の中で1時間くらい立ち往生でした。
 JR松山駅に着くと、切符切りの駅員さんたちが、ぼっちゃんとマドンナのコスプレ(笑)をしていました。その後、路面電車に乗って市内電車の駅の松山市駅へ行き、いよ立花駅へ。それからバスに乗り換え、最後は徒歩15分ほど歩いて実家に到着。や~バテました。それからすぐ、墓参りへ。ちなみに私の家は真言宗です。四国らしいですね。
 最近、今年の3月で定年退職した父が、自分の持っている書類・手紙・写真などを整理しているらしい。それで、整理したものを私にも見せたいらしく、父から古い写真(明治末期~昭和40年代くらいのもの)や祖父・叔父・叔母が書いた父宛の手紙などを見せられ、いろいろな話を聞かされました。自分の3代前くらいの先祖の話なども興味深かったのですが、一番感じたものがあったのは、祖父が書いた父宛の手紙でした。私の父はE大農学部卒業後、苦学してK大で博士号を取得した人物です。そのとき、祖父は、松山から遠く離れた場所で勉学に励む父へ、たくさんの手紙を送り、はげましの言葉と期待、そして苦労して学費を工面している様子が綴られていました。すべての手紙を見ることは出来ませんでしたが、手紙には祖父の父への期待がにじみ出ており、父は、このような祖父の献身的な努力を背負って勉学に励んだんだなぁ、と感動しました。私は、その父から学者になることを期待され、修士まで学費・生活費を援助してもらいました。博士課程以降は学術振興会の援助によって学資を得ていますが、やはり私は今も父の期待を背負っています。そしてそれは、かつて父が背負っていた祖父の期待も背負う、ということも意味すると私は思います。私は、父の期待を通して、祖父の期待をも背負っているのです。
 私はへこたれていられない。がんばらなくっちゃ!
 そして、絶対に負けない!
コメント
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