教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

日本の教育政策過程

2007年08月07日 19時41分53秒 | 教育研究メモ
 バイトと体調はもうあきらめました(笑)。
 今日は少し研究を進めました。ホントにちょっとだけど。以下の本を少し整理しました。
 L.J.ショッパ(小川正人監訳)『日本の教育政策過程-1970~80年代教育政策の政治システム』三省堂、2005年。この本は、アメリカの日本政治システム研究者・ショッパ氏(Leonard James Schoppa)の著書Educationa Reform in Japan - A Case of Immobilist Politics(Rputledge 1991)の抄訳です。この本を出版した目的は、日本の教育政策研究法や、1980年代(70年代くらいから?)における教育政策過程の構造・特質に関する考え方を紹介するためだったそうです(同書、201頁)。
 同著の言いたいことは、ハッキリしています。「教育はきわめて重要であるため教育の内部者だけに任せることはできないのである」(同書、序文x頁)。「言いたいこと」は、この一文に集約されています。ショッパ氏は、日本の教育改革を妨げてきたのは、保守・革新陣営ともに存在する教育の「内部者」の存在だとします。「内部者」とは、具体的には、「族議員」や文部省官僚のこと。そして、ショッパ氏は、次のように現実へ提言するのです。日本の教育改革は、次の2つの原動力を改革指導者が教育政策過程に「注入」していくことで成功する。第一の原動力とは、教育界とは無関係な「外部者」。第二の原動力とは、地域レベルで組織化された一般市民(下層)の教育制度に対する不満だ、と。
 この指摘をどう思うかはさておき、教育政策過程を、「内部者」対「外部者」の視点から分析したところには大いに興味を持ちました。また、「内部者」・「外部者」を一括りにせず、多元主義的に多様な勢力を視野に入れている点も、納得しました。この考え方が、明治時代の教育政策過程に通用するかどうか。この一点に私の興味は集中しています。今言えそうなことは、多元主義的な「内部者」対「外部者」という分析視点はかなり有力な視点であるが、結論は同著の言うようなものとは異なりそうだ、ということ。うーん、面白くなりそう。
 なお、以前、「政策過程」という政治学の概念を紹介したことがありました。ショッパ著は『日本の教育政策過程』と訳されていますが、"education reform" は「教育政策過程」と訳するのですね… 勉強になりました。と同時に、「教育改革」と「教育政策過程」は、同じ概念か? という疑問も少し。ちょっと今は答えがでそうにありません。
コメント
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