教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

夏バテ、それから学び

2005年08月09日 16時59分33秒 | Weblog
 昨日は調子がよかったのですが、今日は一転夏バテっぽいです。体が思うように動かない… 調子が悪いと、思考もよくない方へよくない方へいくので、たまりません。心配事がなければいいのですが…
 まぁ私の体調はともかく、今日は昨日宣言しておいた通り、中野光『改訂増補版 大正デモクラシーと教育』を読了。この本は、大正自由教育の退潮を描いた本だと思います。その原因は、大正自由教育の思想・実践における正確な社会認識の乏しさにあった、と分析していると捉えました。中野先生いわく、この続刊が『戦間期教育への史的接近』(中野光教育研究著作選集第3巻、EXP、2000年)であるとおっしゃってました。すなわち、『大正自由教育の研究』→『大正デモクラシーと教育』→『戦間期教育への史的接近』という流れになるようです。
 今回この本を読んで、知識を得ることによって教育史認識を改め、具体的な資料操作・批判・評価に触れて教育史研究の方法を学びました。最初は大正期の論文を書くことになったから読んでおかなきゃとか、古典的名著だし教養として読んでおかなきゃぐらいにしか考えていませんでしたが、学ぶものはかなり多かったと思います。なぜ学ぶことができたかといえば、やはり、私自身の問題意識が変わったからだと思います。ここのところ、基本は論文を書くという現実的な需要によるものではありますが、豊かな歴史認識の下で歴史的事実を選択・操作・評価(批判)しなくてはならないことをようやく実感しました。そのために、今までチラリと読んだだけでひっかかるものがなかった本に対して、本気で取り組み、多く学べたのだと思います。
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普段に戻る

2005年08月08日 19時00分03秒 | Weblog
 ようやく普段の生活に戻ったような気がします。しかも、今日は少し満足する生活ができました。
 今朝は、東京へ資料調査へ行く予定の先輩を、車で東広島駅まで送ってあげないといけなかったので早起きでした。この先輩は、先日私が東京から帰ってきたときに東広島駅に迎えに来てくださった方です。いつもお世話になってますし。
 先輩を送った後、図書館へ行って『帝国教育』を借り出し(雑誌は即日返却しないといけない)、年表の続きを。年表作成も久しぶりです。昼近くに年表作成の一日のノルマを達成。図書館へ返却すると同時に、「群像」の資料を借り出しました。昨日広大には資料がない、と言っていましたが、よく考えるとまだもう一冊だけ使えるものがあったので、借り出したわけです。そして、「群像」の執筆。ちょっと書くことが多かったので、少し時間がかかってしまいました。
 後は読書。今は中野光『大正デモクラシーと教育』(新評論、1977年。)を読んでます。実際に読んでるのは改訂増補版(1990年)で、内容は初版の第五章が全面改訂されているそうです。先日、中野光『大正自由教育の研究』を読了しましたが、この本はその続きとも言える本です。以前目を通した時は何もひっかからなかったのですが、今読むとおもしろいと思えます。セットで読まないと効果の半減する本ではないかと思いますね。『大正自由教育の研究』と同様、言いたいことがはっきりしていて読みやすく、しかも中野先生独特のバランスが面白いです。もうちょっとで読み終わるのですが、別用で中断。明日には読み終わるはず。
 
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帰広です

2005年08月05日 23時55分55秒 | Weblog
 東京最終日。今日の用務地は東京大学教育学部図書室と立教大学。
 まず、荷物の大半をゆうパックで東広島の自宅に郵送。これには二つの理由がありました。第一の理由は、たくさんの重い荷物を持って歩くことへの不安です。上京する際、荷物が重すぎて足が棒になり、倒れかけました。連日の疲れがたまってきていることもわかっていたし、昨日腰の状態がやばめだったので大事をとりました。第二の理由は、今日の日程です。今日は、東京駅18:50発の新幹線に乗って帰る予定でしたが、最後の用務の立教大学でM先生にお会いする時間が16:30であり、もしもの時を考慮して身を軽くしておかないとやばかったので。郵送に1200円かかりましたが、予想通り身軽になったので、成功でした。
 まず、東大教育学部図書室に向かいました。で、昨日とりそびれた資料をコピー。12:30ごろすべて終了しました。次の予定まで時間がぽっかり空いたのですが、特に何もすることがないので休憩することに(何かしようと思えばできましたが、体調はそれを許さない気がしたので)。まず、東大のベンチで、少しでも身軽になるために、昨日N先生に渡しそびれたお土産をむしゃむしゃ食べました(笑)。何とマヌケな… で、まだ時間があるので、次の用務地の立教大学に移動。二時間ばかりキャンパス内のベンチで思索にふけっていました。何を考えていたかというと、昨日N先生に聞いたことと自分の問題興味関心とを合わせながら、博士論文の問題意識を考えていました。
 ちょこちょこM先生の研究室を確認していたのですが、予定時間前にいらっしゃったので、ノックしてみました(時間もありませんし)。5分ほど待って、とのことなので出直して、先生とお話をしました。M先生も気さくな方で、いろいろなことを教えてくださいました。N先生とは違った帝国教育会の研究視点でしたが、共通する部分も多々あり、その様子が非常に興味深かったです。一時間話した後、時間が迫ってきたのでおいとましました。
 新幹線の時間は余裕を持って間に合いました。待ち時間に駅構内で待っていると、汗がドロドロ出てくるのが気になりました。23:17、東広島駅に到着。迎えにいってもいいよーと言ってくれていた先輩に迎えに来てもらって(JR東広島駅はほとんど公共交通機関がない、広大行きのバスなんかは午前中3便のみ!)、一旦は大学へ。で、この記事を書いて、帰ります。
 あー、やっと帰ってきたーって気分でうれしい。やっぱ私は田舎がいいです。
 
 写真は、ご存知のように東京大学の赤門です。
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池袋→本郷→横浜

2005年08月04日 23時55分55秒 | Weblog
 今日で東京四日目。今日と明日で終わりです。今日の用務?は、ある先生に会うことと東京大学教育学部図書室でした。
 今日はまず、元R大学教授のN先生にお会いしました。もともとお会いする予定ではなかったのですが、R大学のM教授に勧められて自分でお手紙を出し、東京出張3日前にお会いすることが決定となったという、忙しいいきさつがありました。いきなりの面談の願いにも快く受けてくださいました。
 N先生は、教育史研究の分野では、大正自由教育の研究者として有名な先生です。ご自分では「僕は歴史研究者じゃないんだよ」とおっしゃっていましたが。80年代に帝国教育会の共同研究を組織し、R大学院生とともに研究を行っておられました。その時のお話とか、広島大学との関係とか、自由教育のお話とか、N先生は非常に饒舌にお話くださいました。特に聞き応えがあったのは、帝国教育会を研究する視点の部分でした。資料集『帝国教育会の研究』の冒頭に書かれてあった内容が生きていましたが、それよりも詳しく聞くことができ、非常に有益でした。私が漠然と思っていた分析視点が、N先生の中では広い視野の日本教育史観のなかで生きており、やっぱりすごいなあと思いました。そのまま使うわけには行きませんので、これからは先生の視点を参考にしながら自分の理論を立てていかないといけません。しかしともかく、帝国教育会ひいては教育会そのものを研究することの日本教育史的意義が再確認できたことに、感動でした。
 なんと最終的に、2時間以上のお話の時間をいただきました。注文したお互いのアイスコーヒーのグラスの周りが、結露で水浸しになるくらいの感じでした。しかもその後、面談の会場だった池袋の勤労福祉会館階上の豊島区立郷土資料館と、近くの重要文化財・自由学園明日館までも案内してくださいました。ううーん、いい方だ… 話の中で、先生はご自分のことを、「僕は小学校教師みたいな感覚で院生とつきあっているのかもしれないな」とこぼしておられました(N先生は一時期小学校の仕事に就かれている)。ちなみに私の師匠のS先生も小学校教師を長年経験しており、そのような先生との出会いに何だか運命めいたものを感じました。ともかく、N先生のおもてなしに、恐縮とともに感激した一日でした。
 その後、N先生とはお別れして、昨日行けなかった東京大学教育学部図書室へ。目当ての資料は劣化資料で即日複写できないため、後日、所属機関の図書館を通して複写依頼してほしいとのこと。…またも事前確認を怠ったツケが… 閲覧は可とのことで、しばらく眺める。その内容を見て、自分の今の研究テーマにおける仮説がますます固まってくるのを感じました。論文資料として使うのはしばらくおあずけですが… 帰り、教育学の書棚を眺めていると、国立教育研究所内教育研究の役割研究委員会編『教育研究の役割-教育制度・内容・方法の改革における教育研究の役割に関する実証的総合研究-』(昭和57・58年度科学研究特定研究(2)、1984年)という、私の今の研究テーマにぴったりの本が見つかりました。閉室時間も迫っていたので目次をちらりと見ただけですが、こんなばっちしの題目の編著、なんで見落としていたのだろう…と複雑な気持ちでした。さっきWeb-catで調べてみましたが、なんと所蔵するのはたったの3機関のみ… 明日することが決まりましたわ。
 さて、夕方になったので用務は終了。今日は大学時代の友人と会う約束をしておりさっそく電話すると、今横浜にいるといいます。そういえば全然観光してないので、横浜中華街に行きたいと私がわがままを言って、行き先が決まりました。
 やっぱり本郷から横浜は遠かったですね… 東京では電車の乗り継ぎが多いので乗り越しなどしないようあまり眠らないのですが、今日は疲れていたので、移動中ふっと記憶が飛んでいる時間がちらほらありました。友人とは横浜で合流、そのまま電車に乗って石川町まで移動しました。駅から歩いて数分のところに中華街があって、そこでだいたい歩いた後、「回転寿司」ならぬ「回転中華」の店に入りました。名前は忘れましたが、「回転」しているだけあってやっぱり安かったです。食べ放題(!)の制度もあって、味も上々(他の店を知らないので比べる材料もありませんが)なので、食べたい人にはおすすめかも!
 写真は石川町駅から中華街へ向かって歩いてすぐの門で、延平門といいます。このサイトによると、この門は平和と平安のやすらぎが末永く続くことを願って、延平門と名付けられたそうです。婦人の産事をつかさどると言われ、西を守る白虎を守護神として、悪運を退散させるとか。うーん、風水ですね。この白と青緑のコントラストがすこし気に入ってます。

 ホテルに帰ってふと気づく。
 「むぎゃーっっ!! N先生のために持ってきたおみやげ渡すの忘れたっっっ!!」
 …しかたないので持って帰ります…
 なんか、ここのところ調子の悪かったヘルニアが悪化したのか、腰の調子もよろしくない。明日は用心せんとなあ…
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事前にご確認を

2005年08月03日 23時55分55秒 | Weblog
 東京三日目。今日もゆっくりホテルを出ました。今日の用務先は東京大学です。
 今日は東京大学教育学部図書室の資料が目当てでしたので、赤門を通って東京大学教育学部棟へ。図書室は教育学部4Fにあり、前に来たときに入室について結構厳しかった記憶があったので戦々恐々として階段を上がっていきました。すると階段を上っていく目の前に「本日休み」の文字が… つい、えーっという声が出てしまいました。よく見ると、今年から毎月第一水曜日は休室とか。はらら、事前に確認すべきでした。
 しかたないので、別のところに行くことにしました。まあ、もともと教育学部図書室以外に行こうと思っていたところがあったので、あまり問題ではなかったので。また明日以降にわざわざ東大に来ないといけないので、面倒ですが。で、次に移動したところは、写真のところ。地方の研究者が東京へ出てくる一つの理由にもなる、この道では有名な場所でもあります。
 ここ、正式名称が非常に長いです。すなわち、「東京大学大学院法学政治学研究科附属近代日本法政史料センター」です。通称(というより旧名?)「明治新聞雑誌文庫」といい、明治期以降の新聞雑誌が集められた文庫です。昭和2(1927)年、宮武外骨・吉野作造などが尽力して、瀬木博尚の寄附金を本に東京大学法学部付属施設として成立した、古い歴史を持ちます。東大はずいぶん古い建物がそのまま使われていて、この施設も歴史ある見栄えですよね。
 この文庫には教育関係の雑誌も所蔵しており、特に様々な地方の教育雑誌が一所に集められているのが特徴的です。ここに所蔵されている地方教育会の雑誌は、今まで何度も見に来ました。今回も見ようかと思ったのですが、この施設も閉架式の上に管理が厳しくて、いくつもの種類の雑誌を出庫して貰うのは面倒なので、今回はやめました。特にさしせまった用事もなかったので。今日は復刻版が出されていない教育雑誌『教育界』(金港堂)をコピーしていました。結果的に、主に写真ばかりになってしまいましたが(笑)。
 その後、ホテルに帰ってしばらく時間を潰していました。夜、中学・高校と同じ学校でよく遊んでいた友人と会い、酒を飲みながら話をしました。彼は来年入籍することになったそう。おめでたう! お相手ともお会いしましたが、「あー、私たち結婚しますって言われたら納得するわー」という感じがしました。いやしかし、同級生だったわけですから彼とは年齢も同じですが、同じ年の友人が結婚していくのを見ると、「もうそんな歳になったのかー」と感心?します。特に焦りはしませんがね。私の理想の相手は、フィーリングが合って、私を支えてくれる人がいいなぁ。まあ、私の理想などどうでもイイね
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東京二日目

2005年08月02日 19時49分59秒 | Weblog
 今日の用務先は、国立教育政策研究所と日本教育会館でした。
 いつも出張に出ると、朝早くからホテルを出発して、少しでも多く用務をこなそうとします。でも今日は、昨日の疲れがたまっていたので、少し(?)遅めにホテルを出ました。
 まず国立教育政策研究所へ。山手線に乗って目黒へ。研究所へは目黒駅からバス7分・徒歩4分とHPで案内されていました。まあ歩いて行けない距離ではなさそうだし、バスは乗り物酔いするので、あえて目黒駅から徒歩で行きました。歩くと周りにあるいろいろなものが見られるし、東京出張は資料調査か学会参加でしか来ないのでこういう時にしか観光できないので、東京では私は目的地まで歩くのが好きなのです。観光といってもめったに観光地の敷地内には入りませんが…(歩くので疲れているからさらに歩きたくない←ほとんど本末転倒)
 歩いてみて思ったこと。目黒って土地は、坂ばっかりだ。しかも急な坂。よくもこんなところに沢山の建物が張り付いているものだ…広島の呉にはかなわないけど。
 20分くらいで国立教育政策研究所に到着。明治期の師範学校附属小学校における研究報告書に目を通しました。もともと目当てであった資料は、『高等教育会議決議録 自第1回至第5回』。しかし、この資料、ほんとに「決議録」であって決議しか載ってなかったので、コピーするのが面倒になってしまい(コピー代も一枚20円ちょっと割高だし)、目次のみコピー。目次には決議の要目が書いてあるのでこれで十分と思ったわけです。審議内容については、教育雑誌に載っているものを見るしかないか…(『高等教育会議録』は第3回と第7回のみ国会図書館に所蔵) 後で「コピーしておけばよかったー!」と嘆かないことを祈る。他にも見てみたい資料はたくさんありましたが、時間も無制限にはないのでだいたいにしておきました。国立教育政策研究所では、目当てのものはちょっと期待外れだった…いやいや、自分の目で資料を確認する、という意義はありました。
 研究所では、いいことが一つありました。今、研究所の教育図書館では、ダブリの雑誌等を無料で配布しています。数はそんなに多くはないのですが、日本教育学会編『教育学研究』(過去20年くらい)を筆頭に…私は『教育学研究』にしか目がいなかったので、他に何があるかハッキリ憶えてませんが、その他戦後の教科書(最近のやつみたい)とか報告書とかがありました。私は『教育学研究』を数冊、有り難くもらって帰りました。
 研究所からはバスに乗ろうかと思いつつ歩いていると、電光掲示板の「渋滞」の文字が目に入ったので、再び徒歩でえっちらおっちら坂を上って目黒駅へ。目黒駅から三田線に乗って神保町へ。そして、日本教育会館到着。国立施設へ行った後にこの会館に来るのは、今考えると変な感じがするのは考えすぎ?
 日本教育会館の教育図書館には、過去何回か来たことがあります。図書館部長のYさんとは以前から資料のことで相談に乗って貰っていたのですが、今回も私のことを憶えていてくださいました。資料のコピーをした後、すこしYさんとお話をして帰途につきました。
 が、会館を出て16時少しすぎ。少し早すぎる…と思ったので、少し歩いて国立公文書館に行きました。公文書の閲覧は16:30に終わるのであきらめて、休館日を確認しに行ったわけです。まあ、とくに気になる休館日はなかったのですが、ちょうど展覧物があったので見て回りました。常設展として、「明治日本-明治維新から大日本帝国憲法制定まで-」と「古書・古文書の世界」と題されて、公文書・古文書が展示されていました。また、「岩倉使節団」(だったと思う、資料がない)も展示されていて、明治初年の岩倉使節団の足跡を公文書で示していました。
 それから東西線に乗って、帰ホテル(笑)。写真は私の泊まっているホテルの一室です。私の出張日程中に東京で何か大きな催しがあるらしく、いつも泊まっていたホテルがとれず、結構高い(と思う、少なくとも学生には高い)一泊です。まあ、きれいで快適だからいいか。
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足が

2005年08月01日 20時59分54秒 | Weblog
 今日から東京です。最初は携帯からカキこんでいたが、後でホテルでLANケーブルを借り出せたのでノートから修正しました。
 今日は早朝6:40の新幹線に乗って上京。11時ぐらいに東京駅到着。いきなり駅構内で迷う(笑)。初めて来たんじゃないのにね。(-_-;) どうやら出る改札口を間違えたらしい。なんとか電車に乗って、国会図書館へ。
 国会図書館では、帝国教育会編集の書籍をかたっぱしから後日複写を依頼。科研費が使えるからって依頼しすぎた感アリ… なお、新サービスが始まっていて、複写・郵送をネット上でできるようになったらしい。このサービスを受けるには登録が必要だけど、登録も郵送でできるみたい。モノによってはできない資料もあるみたいですが、地方の研究者には超強力朗報でさ。
 さて、今日は歩き疲れて最後には足が動かなくなる寸前でした。ホテルのチェックインの時間が合わなくて、重い荷物を持ったまま歩き回ったからでしょうか。また国会図書館では、資料貸し出しのコーナーとマイクロ資料室のコーナーを何周往復したことか… つっかれたぁ(-_-;)
 眠くて眠くて、お酒飲んで10:00には寝ました。ちなみに無呼吸治療の機械は持ってきたので(少し重くてかさばるけど)、使用しながら就寝。
 写真は、新幹線の乗り換えで降りた福山駅の窓越しの福山城。いつも真ん前に見えるので、なんとなく撮ってみました。
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