先日、坂本龍一のブログ「ひっかかり」で「世界がもし100人の村だったら」のフォーマットを借りた「せんきょ100人村」が転載してあったので読みました。
僕はわりとこういった淡々と数字を列挙してゆくものが好きなのかもしれません。先月、東京に行った時も有楽町のATELIER MUJIで開催されていた展示会「どのくらい?」なんかも見ているし。
「せんきょ100人村」は後半部で中学生に向けて発言していたりします。そこが少し違和感を感じたところでした。「世界がもし100人の村だったら」ってこんな感じだったかな、もっと淡々としていたんじゃないのかなと思いもう一度改めて読んでみようということになりました。
グローバルの民話(フォークロア)「ネット・ロア」と呼ばれているらしい「世界がもし100人の村だったら」は池田香代子がネット上をかけ巡ったe-mailを再録した本。僕はこの前、ブログでC.ダグラス・ラミスが書いたようなことを言ってしまったけれど、ラミスは日本語を英語に翻訳しているだけでした。
このネット・ロアのもとになった「ザ・グローバル・シチズン 村の現状報告」を僕はいつかどこかで読んでいるんですけど、一体いつどこで読んだかが全く思い出せないのです...
オリジナル「ザ・グローバル・シチズン 村の現状報告」は環境問題に言及していましたが、「世界がもし100人の村だったら」は富の偏重に重点が置かれています。その他にも世界をかけ巡るうちに宗教(キリスト教)的な尾ひれが付くことになりました。日本語に翻訳されてからは「ある学級通信」という頭に序文も付いて。
この点については2001年の刊行時には調査中とのことでしたが、僕が手にした第9刷ではその点が明らかになり追記されていました。とにかく日本では教育というものがまだまだ「物を言う」らしい。
どうやらそういったところが「せんきょ100人村」に受け継がれたようです。いいのか悪いのかはわかりませんが、人から人へと民間伝承されるうちに、原典というものの輝きは失われてゆくのかななんて思いました。