書店で雑誌「SWITCH」の最新号を手に取った。「みうらじゅんに教わる『ボブ・ディランの頭の中』の楽しみ方」という記事を見つけた。立ち読みしたところおもしろいので購入することにした。みうらじゅんによると、いまのディランは誰も突っ込めないそうだ(笑)。大泉晃的な細い髭を見て、「君はコレ、真似できる?」ってディランから言われた気がしたって(笑)。また新しい方向にいかれたんだなと思ったって(笑)。
ようやくボブ・ディラン自伝を読み始めた。ニューヨークに出てきて音楽出版社と契約し、グリニッチヴィレッジのカフェやクラブで歌う日々が綴られている第一章「初めの一歩」を読み終えたところだが面白い。これなら映画化したくなるのもうなづける。ディランはやはり文才がある。素晴らしい。
先日、友人と好きな音楽について取りとめなく話していたら、ボブ・ディランのどこがいいのかという話題になった。 友人はディランは声が汚いし、曲もとっつきにくくてよくわからないと言った。僕は友人にいろいろとその魅力を話してみたのだが全く理解されなかった。というか僕自身が説得力ある答えを持ってなかった。
ジョン・レノンは昔、「ディランが何を歌っているのかは問題じゃない。彼の声さえ聴いていればいいんだ」というようなことを話していた。それはディランのメッセージよりも、[Bob Dylan]というアティチュードこそが重要なんだということを言ってたのだと思う。そして[Bob Dylan]というアティチュードというのはその声だとジョンは言ってたのだと。
このあいだの日曜、アマゾン10周年記念コンサートというのがあった。ミクシィのディラン・コミュニティーで「もうすぐ出るよ」という書き込みを見つけて急いでアクセスしたところ、ディランはキーボードを弾きながら「廃墟の街」を歌っていた。その後、何曲かやって「やせっぽちのバラード」を歌ったところで、テンガロン・ハットのディランはノラ・ジョーンズをステージに呼び「I Shall Be Released」を一緒に歌った。ディランはキーボードを弾きながら原曲の形をとどめないほどメロディーを崩して歌った。ノラはディランの顔を見つめていた。自分が歌うパートはあんなふうに歌えないというような表情に見えた。この時の二人の心の声が聞きたいと思った(笑)。
B.D「こんな感じでどうだ! えっ!?」
N.J「ひぇ~っ、ディラン様~、か、かんべんしてください」
あるいは...
B.D「どうしょう~、き、緊張してきた~」
N.J「ヘタクソ! 私がちゃんと歌ってあげるっ」
B.D「いじめるなよな...」
写真は雑誌「SWITCH」、『ボブ・ディランの頭の中』サントラ盤(輸入盤)、「ボブ・ディラン自伝」。