goo

地震のあとで(母の一周忌を控えて)

 小笠原諸島の近くを震源とする、大きな地震があった。

 それなのに、私は外を歩いていて気づかなかった。家に帰ってから、テレビで知ったのである。ぼんやりもいいところだ。

 妻が自分の母親のところへ電話をして、何もなかったかと訊いていた。無事だったようだ。

 私も親の所へ電話しなくては、と携帯電話に手を伸ばそうかと考えたところでふと気が付いた。

 母は去年亡くなった。父もその少し前に亡くなっている。実家はもう存在しないのだ。

 電話するところなど無いのだった。

 もうすぐ母の一周忌である。それは頭では分かっている。しかしふとした時に、まだ母が生きているような気持ちが残っているのだ。

 父の時も思ったことだが、こういうことがあるたびに、故人は本当の意味で亡くなっていくのだろう。そして自分の育った郷里も同じように(たとえ町として続いていても、育った背景としてのふるさとは消えていくのだ)。

 もしかしたら、母が、「いつまでも昔のことばかりにとらわれず、前を向きなさい」と言っているのかもしれない。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )