あれはもう四十数年も前のことだ。
沖縄がアメリカの占領下に置かれていた頃、若かった僕たちは元日には全国と連帯して河原で盛大な焚き火をして『沖縄を返せ』を歌った。
暁の大合唱という催しだった。
♪ 友よ 夜明け前の闇の中で 友よ 戦いの炎を燃やせ~
僕らは信じていた。
世の中は変わる。変えられる。
紆余曲折があった。
それでも、僕は今でも信じ続けている。
世の中は変えられる、と。
沖縄は返った。でも基地は残った。
昨年、世界一危険なヘリ、オスプレイが沖縄に配備された。
ブルドーザーと銃剣で土地を奪ったやり方は戦後とちっとも変わっていない。
あまつさえ新たに辺野古に新基地を造るという。
オスプレイの発着場とされた東村.高江の人々やそれに連帯する人々の戦いを描いたドキュメンタリー映画がある。
『標的の村』がそれだ。
凶悪な強盗のように土地と平和な生活を奪ったアメリカ軍と日本政府。
それに県民の思いを踏みにじった前県知事も関与していたのだろうか。
ことは高江の住民だけの問題ではない。
ことは日本の主権と民主主義に関する問題だ。
先日、知り合いの女性が訪ねてきた。
三十代の、僕らからすれば若い世代だ。
彼女は『辺野古の座り込みに行ってきます』と言った。
長野で反対を唱えているだけでは実際のことはわからないという。
そして一枚の用紙を取り出した。
『標的の村』続編を作る運動が始まっているという。
その為に、募金をして欲しい、と。
失業中の身では多額の募金はできないけれど、出来る範囲で募金しよう。
現地まで行くという人を前に、どうして断ることなんかできよう。
それにしてもなんという行動力だろうか。
未来は必ずしも暗くない。
今、沖縄では県民を裏切った自民党の国会議員を全員落選させようというワクワクするような事態になっている。
この選挙で勝ち、やがてその流れが全国に広がっていったとき、僕らが四十数年前に信じていた日本の夜明けが始まるのだろう。
国民の願いに基づく共同、共闘が広がっていくとき、古い世代の亡霊どもは、過去の歴史の闇の中へと静かに消えていくのだろう。
思えば、1989年、日本の後戻りはあの社公合意から始まった。
今、再び前へと進む絶好の機会がやってきた。
政治をかく乱した第三極の化けの皮が剥げ、本家より右寄りであることが誰の目にも明らかになった。
好きであると嫌いであるとにに関わらず、自民公明の政治にノーを突きつけるには共産党と書く事以外に歴史を前に進める道はない。
この選挙は自公の圧勝とマスコミは予想している。
それでも僕らはこの政権に少しも期待することはできない。
『この道しかない』
安倍君は絶叫する。チャップリンの名画『独裁者』の中の一シーンのようだ。
少し距離を取って遠くから眺めるとき、その道は地震で崩れ落ちた崖っぷちにしか続かない。
後の歴史家が、あの時が日本の歴史が前に向かって歩き始めた転換点だったと記すことができるような変化が起きないものか。
そう切に願いながら、微々たるものではあるが、力を尽くそう。