あれからもうすぐ10年。
誰の上にも等しく時は流れ、今は違う苦難が世を覆っている。
だけど、あの日から時が止まったままの人たちもいるのだと、テレビの特集番組を見ていて思う。
大好きな東北。四十年近く前の新婚旅行(貧困旅行)も東北一周だった。旅行会社も使わず、行き当たりばったりの旅行だった。小さな旅館や民宿。十月後半の紅葉に彩られた東北の旅。一番自分の趣味に合っていた。
その後、娘が仙台の学校に行ったこともあり、3.11の少し前、娘とともに夫婦で東松島の民宿に泊まりに行ったこともある。半島の先端にあるその民宿はグーグルの写真で見ると更地になっている。小林亜星のようなご主人が捕ってきた魚のおいしさ。かみさんも初めてウニを食べて、そのおいしさに感激していた。東北訛りで少しわかりにくいが、明るい雰囲気のおかみさんが奨めてくれた高台に登って、夕日の置く松島湾を眺めた。信州には海がない。波がキラキラして見飽きることがなかった。
あの一家は無事に逃げ切れたのだろうか。今も気になっている。その民宿の名前をネット検索してみたが、ヒットしなかった。
それぞれの人生にはそれぞれの違った時間が流れているのだろう。
自分の身の上にもそれは当てはまる。その年の八月、それまで勤めていた会社を退職する決意を固めていた時だ。発生当時の状況も克明に覚えている。
風化することはない。
身一つで生き延びた人たちを思うにつれ、自分の人生を考えざるを得なかった。本当に必要なものは何なのか。なんて無駄なものをいっぱい身にまとっていたのだろう。必要なものと欲しいものは別なのだ。区別しなければだめだ。
これから先何年生きるのだろう。何をすればいいのだろう。
あれから八年後に、近所の千曲川の氾濫という大きな災害があった。
僕のランニングコースになっているのだが、立ヶ花という場所が川幅が半分くらいに狭くなり、そこでせき止められた水が上流で氾濫した。

今、多分応急の対策だろうが、川底をさらって深くする工事を始めた。

この場所は碑の『大』と『碑』の間にある横線のところまで浸水した。
小布施の堤防には黒い土嚢袋が一列に並べられ、あまり風情のない景色になってしまった。だから、ランニングはどうしても土嚢袋のない方面に向かう。

高社山の雪もだいぶ薄くなった。

『ふるさと』で有名な高野辰之の生まれ故郷。今は合併して中野市になっている。

イベント列車、オイコット。本数が少ないので、出会えるとラッキー。
LSDというランニングのトレーニングがある。
ロングスローディスタンス。ゆっくりと長く走る。それも、キロ七分から八分くらいの速度。それより速く走ると効果がないという。その効果とは、毛細血管を増やして血流を上げ、エネルギー効率を上げるのだとか。
あまり速く走れるわけではないが、ゆっくり長く走るのも結構大変だ。

疲れた。

GTCバランスというのは、左右の足にかかる荷重のバランス。
これは、結構自慢できる数字。
走り方にはそれぞれ癖があり、利き脚の違いもあって、左右均等にはなりにくい。自分はどうしても左足荷重になりやすく、左に荷重がかかっていることが多い。二十八キロ走って均等なのはうれしい。
おまけ。

先日見に行ってきたセツブンソウの花。春の妖精。