1時間以上の藪漕ぎの末、東山の山頂に立った。
百の頂に百の喜びあり。
大変だっただけにその達成感は半端ではない。
ここでもまた白馬の大雪渓が見えた。
この山頂も小さな平で背の低い草が生えていた。
三角点に腰を下ろし、360度の展望を楽しんだ。
風もなく穏やかで、とてものどかだった。
山が快く僕を受け入れてくれている。
無条件でそう感じる。
残雪期以外ではほとんど登る人もいないこの山のことを、信州百名山の著者清水栄一はこう記した。
『その山頂を遂に踏み得た時の歓びは大きかった。頂は全く人の手に汚されていない処女の峯だった。~(略)もうこんなに風格のある、こんなに清純な山は日本には数少ないのではないかしらと、つくづく思いながら、その静かな山頂から、うすもやに霞む後立山の連嶺や、堂津にはじまる頚城山塊の山々の眺めを楽しんだ。~(略)眼下に拡がる小谷の村里や、白馬三山の眺めに私は時の過ぎるのを忘れた。』
これ以上何を語ることがあろう。
僕は本だけで言えば、日本百名山よりも信州百名山の方が数倍も好きだ。
さて戻ろう。
藪の中にも楽しみはある。
あの稜線を越えていく。
登りでタケノコ採りのおじさんと出会った下山口のT字路まで戻った時に、下から一人の女性が登って来た。
シラネアオイを見たいという。
滋賀紫山方面か、堂津岳方面かまだ決めてない。
東山方面には長い藪漕ぎの末二株ほどしかなかった。
それも完全な花びらはなかった。
シラネアオイを見るなら堂津岳直下の藪の中しかない。
そのように伝えたが、時間は既に1時半だった。
日が長い時期とはいえ、さすがにこれから行くのは大変だろうと思った。
それでも、こんな山に一人で登ってくる以上、それなりの力量はあるのだろう。
距離は長いですよ、気を付けて、とだけ伝えた。
稜線から少し下ったところに水場があった。
とても冷たくて何度も飲んだ。
裾花自然園の入り口に着いた。
ここからは2キロのアスファルト歩き。
振り返ると堂津岳が別れを惜しんでいるように見えた。
2時27分に駐車場に着いた。
歩行距離27.19キロ。
これまで登った信州百名山の中でも、佐武流山と並んで特に思い出に残る山となった。
鬼無里の湯に立ち寄り、朝の熊との遭遇から始まる今回の山旅を反芻しながら温泉に浸かっていた。
さあ、次は餓鬼岳にでも行こうか、それとも霞沢岳がいいか。
残る17の山は、どれも貴重な宝物だ。大切にしよう。
堂津岳は雨飾山などから望むとき、その眺望が素晴らしいことは容易に想像できますし、なにしろ山頂は新潟・長野県境なので気にはなっていたのですが、新潟100名山にも越後百山にも選ばれておらず、計画したことはありませんでした。
山行記を拝見して登りたい山の候補にランクアップです。
全行程27kmオーバー。45000歩超。とても東山までは行けそうもありませんが、いつか堂津岳までは行ってみたいです。