今月の雑誌、東京人の特集は、「フォークの季節」。
原発問題などがあり社会や政治にもの申すという空気
とフォークが熱かった時代の類似性を意識して、この企
画が組まれたのだろう。
ただ、こうした特集企画を見ていつも思うのは、新事
実や新しい写真を発掘するという意識がないと何にも
ならないという事だ。当時のシンボルと言っていい人達
のインタビューのアポイントがとれればページは簡単に
つくる事ができる。それだけではダメなのだ。
過去のインタビューをすべて読み込み突っ込みの甘い
部分をねばって聞く、あるいは、「何とか探してみて下さ
い」と公開されていない写真を拝借する。そうでなければ
何もならない。ただ、担当者が会いたかたった人に会っ
たというだけではないか。当事者は恥ずかしいと思うべき。
それでは、正に本当のフォーク・ミュージック好きから、
もの申されてしまう。
路上音楽情報紙「ダダ」編集発行人・青柳文信
http://pub.ne.jp/solo_solo/
青柳文信著「路上ライブを楽しむ本」読書直前ワクワク紹介
「持つべきは、ヒッピーな友達だ。サンキュー、13号倉庫!!」
http://www.stickam.jp/video/179719778
追記・雑誌というものは、今の空気を呼吸するもの。何で、
せっかく時間を頂戴した小室等さんが原発を語ろうとして
いるのに存分に語らせないのか。
特集ページの本線から外れるのなら聞くだけ聞いて別
のページで配慮して掲載すればいい。それこそ、今、読者
が読みたいネタじゃない? あの方の人間性も今までと違
う形で見えてくる。彼の歌にからむ原発の話なんて、どんな
話なんだろう。手垢なまみれた話なんかより、みんな、それ
を読みたいよね。つくり手が読者の事が見えていないのだ。
雑誌をつくっているんじゃないのかね? もったいない。