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歌い初めは、写真の場所で。そう言えば、ここ数年、
最初の演奏はここ。その度に懐かしい人に会う。
今回は、3年位前に、志木でよく演奏を聴いてくれた
人。当日は学校を卒業したてで、色々と悩んでいたけれ
ど、今は、ちょっと貫禄を感じる。お客さんの「変化」
を感じるのも道端の歌い手の楽しみだな。
路上音楽情報紙「ダダ」編集発行人・青柳文信
追記・最初に止まってくれた人からは、「へそごま」とい
う懐かしい名前も聞いた。ギター弾きの彼は、残念ながら
他界された。歌い手の彼は、今、田舎の山形にいるという。
彼には、もう10年以上前にインタビューした事もある。ち
ょっと波長が合わなかったけれど、ニット帽の似合う誠実
な歌い手だった。歌い続けていてくれるといいな。
追記2・今年は、春を目指して、2册目の路上研究本を出す
よ。全国の道端のみんな、よろしくね。
そう言えば、年末に路上取材を開始したばかりの頃、よく
取材していたマンホールの久家くんに会ったり。神様も、
「しっかりやってくれよ」と言っていると受け止めます。
いくぜ、ギンギンによぉ。不況なんかぶっ飛ばしてやる。
あの狭いウイロードを、2~3分割していたなんて…ずいぶん昔の話に思えます。
(実際10代だった私が、もう中年ですからね)
タケさん、今でも歌ってて欲しいです。
実は、検索したのはCDを売ってないか調べていたんです。
急に「ほわ~とした歌詞・曲調」の、へそごまが聴きたくなってしまって。
当時はカセットでしたからね。
始発まで立ち飲み屋で、みんなで夢を語ったけれど…夢は開くことなく30代半ばになりました。
個人的な事になりますが、タケさんの本名をご存知でしょうか?
あの頃は全員が下の名前で呼んでいたので、検索したいのですが出来ずにいます。
(タケさんから電話加入権買ったのに、フルネーム覚えていないなんて…)
当時の路上歌うたい(新宿・池袋)の人たちは、みんな普通の生活に戻ってしまったんですかね。
今でも連絡を取れる人の中で、今でも歌っているのは(路上でなくてライブハウスですが)、二人だけになってしまいました。
時間の流れを今更ながら感じています。
ですか。へそごまがいた時代は、面白かった
ですね。歌い手やミュージシャンが街にあふ
れて「順番待ち」をして演奏する形でした。
あの頃の人達はみんなあのトンネルから放れ
ていきました。でも、歌い手にとっては歌わな
いという事も歌う事です。いつか巣だった彼ら
が楽器を抱えて戻ってくるのを待っています。
あの頃のミュージシャンで、今、音楽活動を
しているのは、キクという女性ミュージシャン
くらいでしょうか。そして、歌い手や絵描きは
去っても、「鶴を一羽。広島・長崎に鶴を折っ
て下さい」と叫ぶあの女性だけはまだきます。
月日の流れるのははやいですね。私は路上25
年の冬を渡っています。あの頃と変わらず寒い
でっせ(笑)。
路上音楽情報紙「ダダ」編集発行人・青柳文信
急に当時大好きだった「へそごま」を思い出し、検索して驚きました。
ギターの方とは、お互い19才だった頃に半同棲していましたが…他界していたのは知りませんでした。
酒好きだったので、事故だったのでしょうか…?
ご冥福をお祈りします。
Vo.のタケさんの声も大好きでしたが、地元に戻られてしまったんですね。
「へそごま」は19才当時の、ワタシの青春の1ページでした。
ありがとう。