あまり大きく報道されてなかったようでしたが、
ジャッキー吉川とブルーコメッツのリーダー「ジャッキー吉川氏」が
4月20日に亡くなっていた。享年81歳。。
ジャッキーさんは、群馬県の自宅でお一人で生活されていたこともあってか
マネージャーさんが、訪ねた時は、既に亡くなっていた、という。
正式な死因は、まだ発表されていない。
ブルコメで通る、有名バンドのリーダーとして、いつまでも元気な
ジャッキーさんでしたが。。
オイラが、ギターを買って、一番最初に弾いた曲が、ブルー・シャトウでした。
沢山の代表ナンバーは、ここにあります。懐かしいですよね。
ブルコメと聞くと、どうしても、大きな存在だった故・井上大輔氏(旧名・井上忠夫氏)を思い出す。
彼は、バッキング専門だったブルコメを飛躍させた大きな存在だった。
作曲でも、ブルーシャトウはじめ、多々の曲を作っている。
又、美空ひばりは、井上氏の大フアンで、結婚する位だったが、
縁なく結ばれなかったが、ブルコメへのひばりの援護が多々あったことは、
幸運だったと思います。
在りし日の、井上忠夫氏在籍時のブルーコメッツ。。
その偉大なバンドのリーダー・ジャッキー吉川氏、、
彼は水泳が得意で、強靭な腕力の持ち主から、ジャッキ→ジャッキーの
名前になった。
ジャッキー吉川、本名:板岡公一
1938年8月1日生まれ
法大中退
特技:水泳
職業:ドラマー
大学2年の時、先輩で、ブルー・コメッツのリーダーだった
大橋道二に紹介されて、バンドボーイとなった。
下積みを積み、1961年に「ブルーコメッツ」の正式メンバー
に昇格した。
ジャッキのように強い腕をしていたので「ジャッキー吉川」という
芸名になった。
1963年ブルーコメッツの育ての親の鹿内タカシ氏が
アメリカに音楽留学したのを機に、バンドリーダーになり
「ジャッキー吉川とブルーコメッツ」が誕生した。
1966年、ビートルズの東京公演で、前座を務めた。
翌1967年発売の「ブルーシャトウ」が大ヒットし
日本レコード大賞に輝いた。
オイラにとっても、大きな存在だったジャッキー吉川氏、、、
ご冥福をお祈り致します。
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将棋の王位戦第一回戦が昨日から、2日がかりで始まっている。
木村一基王位と、藤井7段だ。
アベマTVで見ていたが、二日目の今日の午後3時過ぎ、藤井7段の攻め、
木村王位の守り、期待通りの試合展開となったが、午後5時過ぎ
藤井7段が、95手で勝利した。
写真は、本日2日、午後5時24分、92手目、、終局直前の両者。
画面上のコンピューター判断では、左側の藤井7段が、99%優位となっています。
まだ、高校生17歳の藤井7段、、負けた木村王位は、47歳、年齢差30歳、
まさに親子と言っていいかもしれないが、底知れない聡太7段の強さが
印象に残った戦いでした。