今日は,、-1℃~11℃、、この時期らしい陽気です。
今日のお昼は、具材の多い、いかにも体にいいものを食べさせてくれるお店、
駅前の、「ふあもあ」に、行った。
先客がいたが、間もなく一人は帰った。
今日は、カルビ風定食にした。
なんだか、店内は、すごく寒い、、冷蔵庫のようだ。
血の気の多い方の、オイラだけど、これは、寒すぎだ。
エアコン故障?入れ忘れ?、、お店の方は、動くから寒くはない?かも?
今日の料理は、こんな感じ↓、、具材多いでしょ、、ヘルシーな感じ。
でも、すごく寒かったので、コーヒーはせず、早々にお店を出る。
店を出るころには、足元まで冷え切った、このお店、冬はダメだな。。
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北京オリンピックも終わりました。
帰国したアスリートは、七日間の隔離期間が課せられているが、練習に
影響するから、いろんな決め事を新たに設けて、練習しやすいようにしているらしい。。
トップアスリートには、七日間の隔離期間は、長すぎるのでしょうね。
すぐに、次の試合が待っている。。
日本は、今回のオリンピックで、18個ものメダルを取った。
全世界の中で、堂々たる活躍でした。。
今日は、その中から、選手団長でもあった、スピードスケートの
高木美帆選手について、スポットをあててみた。
オイラは、昔から、高木美帆選手には、注目していた。
今回のオリンピックで、注目したのでは、ありません。
彼女の、才能をいち早く察知したのが、橋本聖子氏でした。
12年前の2010年のバンクーバーオリンピックに、
まだ中学生、最年少の15歳で出場、、
この時に、橋本聖子氏は、高木美帆選手は、日本の宝だ、と宣言した。
このあたり、橋本氏の先見の目!、、さすがですね。
だから、大切に育てたい!という強い気持ちが、あったはず。。
1000m、1500mの種目だったが、橋本氏から、美帆選手に
「強くなるには、それぞれ一段短い500mと、長い3000mも練習しなさい」と教えた。
これが、今の5種目もチャレンジした大きな原因になっている、と思います。
勿論、それ以外に、美帆選手の持って生まれた、すごい才能も関係してますが。。
髙木美帆選手の今回北京オリンピックの全レース↓です。
2月4日~20日までの期間に、こんなに沢山の種目に出場して
しかも、3000m以外は、全て4メダルを取っています。
一種目出場でも、その準備期間、等含めると大変ハードな日程です。
しかも、2月15日のパシュートは、2400m(6周)を、2回やってます。
パシュートは、特に疲労の激しい種目です。。
そんな、疲労の蓄積が最大と思われる、最後の2月17日の1000mで金メダル。。
すごいの一言、、オイラは、敢えて言えば、スーパーウーマンです。
彼女は、自分だけの力で勝てたのではない、、周りの人から助けられた、、
と言っている。うん、その通り、きれいな言葉だ、、
特に上げるとすれば、オランダから日本に来たヨハンコーチの存在だ。
彼は、コロナ感染で、このオリンピックの初めには、来れなかった。
髙木には、大きな不安だったはず、、そのせいか、最初の3000mは、6位、
本命の1500mでも、またもヴィストに、負けて、銀だった。。
ヨハンが、戻った500mから一気に、本領発揮した。
1000mの時も、直前、ヨハンコーチから、肩に力が入っている、、
スタートで決まる、最初の200mで一気に加速すること、を言われて
その通り、実施した。実施した方もすごいが、ヨハンの的確なアドバイスは
大きかったはず。。
ヨハンコーチの確保にも橋本氏が大きく関与している。
髙木美帆選手にとっては、橋本氏、ヨハンコーチ、、そして常に、そばにいる
小平奈緒選手、、いろんな要因があったのだと思います。
彼女はまだ、27歳、、後、2回はオリンピック出場が期待できる。
今度は、念願の1500mで、、ライバル・ヴィストは、引退していますが、、
金メダルを取ってほしいですね。。