銭湯の散歩道

神奈川、東京を中心とした銭湯めぐりについて、あれこれ書いていきます。

変わりゆく渋谷と連続写真を撮る意味

2020-03-26 08:19:00 | 銭湯考

いつもブログを読んでいただいてありがとうございます!

今回は銭湯にちなんだ話。。。

ではなく、いつも東京の起点にしている渋谷の写真と、それにちなんで連続写真を撮る理由を書きたいと思います。


まずは、さいきん変化が著しい渋谷。
100年に一度の大改造と呼ばれる渋谷ですが、2020年を予定していたオリンピックに合わせて大工事を敢行しており、その変化はまさしく日進月歩。



新しくリニューアルした東急プラザの屋上から渋谷を俯瞰したいと思います。



▲東急プラザを渋谷駅の汚い窓から撮影


▲右の円形に見えるところが東急プラザの屋上になっています


▲左奥が渋谷駅。手前に案内板です


▲入り口。ここからエスカレーターであがり、右にあるエレベーターに乗ると屋上に行くことができます



▲屋上に到着


▲女性たちの黄色い声が響きます


▲目の前にみえるのが渋谷の新しいランドマーク「渋谷スクランブルスクエア」


▲下を覗くと、渋谷駅。先ほどの汚い窓の建物です


▲右を向けば恵比寿方面。目の前ののっぽビルがGoogle日本法人が入るビルです


▲再開発中の宮下公園。6月にミヤシタパークへと改名されます


▲原宿や新宿方面を眺めます


▲路線も絶賛工事中


▲光と影に分かれたスクランブル交差点



そのスクランブル交差点に降りてみましょう





▲左に見切れているのが渋谷スクランブルスクエア。真ん中が東急百貨店東横店(3月閉店)。右に東急プラザがみえます


▲相変わらず大混雑です


▲この奥にみえるのが青ガエル(東急5000系車両)と呼ばれる電車で、6月上旬には秋田県に移管される予定です


▲青ガエルの中に入ってみましょう


▲ここも、めちゃくちゃ混雑してます


▲脱出



▲そして渋谷といえば、ハチ公ですよね。青ガエルが秋田に譲渡されるのもハチ公との縁が理由だそうです



▲ラグビーワールドカップの時は桜のジャージを着せてもらってました


▲外国人にも人気のHachi


▲ハチ公も将来的には移転することになってるそうです


▲朝は閑散としている渋谷駅前






▲この景色もしばらくすれば大きく変わるでしょう







そして渋谷の新名所となっているのが渋谷スクランブルスクエアです



▲渋谷駅からすぐそばです




▲ここは展望台のルーフトップもあるのですが、イベントスペースでも渋谷を一望することができます


▲最初のイベントは、半田也寸志さんの写真展『キリンのような街』でした


▲祭りの写真



ン?…祭りといえば…














ワッショイワッショイ


自分も撮ってました





▲足元に渋谷駅


そしてもう一つ、昔からの渋谷の顔といえば、こちら





▲ネオPARCO



▲いまやこんなのがあったり


▲こんなのがあったりしますが



▲ここも屋上にあがります。天の邪鬼の性格ゆえ、あえて正面から入らず、側面からのぼります


▲周回する階段を使ってのぼり








▲ドット絵を3D化したマリオが出迎えてくれます








▲のぼりきると




▲真ん中にみえるのが渋谷スクランブルスクエア。左にあるのが渋谷ヒカリエ




▲反対方向に歩くと




▲富士山をみることができました


さて、PARCOの階段を上がったときのような連続写真を撮ることについて話したいのですが…、


当ブログは銭湯の紹介を目的としたブログですが、そうしたブログの中で他のブログと異なるのは、駅から始まる連続写真ではないかと思うのです。
手間暇を考えたら、銭湯の建物からはじめたほうが楽だし合理的なのですが、あえてこだわる理由があります。

その一つが、銭湯巡りをはじめたときの違和感です。

巡っていくうちに建物の周辺や歩く道によって、その銭湯にたどり着いたときの印象が大きく異なってることに気がつきました。

建物だけを切り抜いた写真を撮っても、本来の姿を紹介してないのではないか?と感じるようになったのです。
銭湯は単独で存在してるのではなく、街とともに生きる存在です。やはり街と銭湯は一緒に語るべきだと思うのです。


もう一つ、連続写真にこだわる理由は、その街の記録をとどめたいと思うからです。街もまた生き物と同じで、変わり続けています。
その瞬間を残すことは後で振り返ったときに、街の足跡を知ることにつながるのではないかと思うのです。



たとえば渋谷スクランブルスクエア



いまはこんな感じですが…





ちょっと前はこんな姿でした
















このような変化は、二度と見られません


最後に、連続性のこだわり。
その存在を知るということは、連続性で捉えることだと思うのです。


わかりやすい例として紹介したいのが、1977年に発表された「Powers of Ten」という映画です。
この映画は、10の冪乗(べきじょう=power)により拡大ー宇宙から縮小ークォークまでの世界を巡る解像度の冒険です。




10分ほどの短編映画ですので、是非見てみてください


この映画が教えてくれるのは、私たちはミクロとマクロの狭間に生きているということです。

幼い子どもは、「なぜ?」を繰り返し尋ねますが、理解とは連続性の認識で成り立っていることを本能的に知ってるからではないかと思うのです。

時間、空間、サイズ…。
この世界あらゆる連続性を知ることが、世界を理解するための基本であると考えます。


最後に渋谷スクランブルスクエアのサイズを拡大していくと…







女の子の笑顔にたどり着くことができました。