自民党総裁の谷垣さんが、菅政権への不信任案を出す、と息まいています。
菅さんでは大震災の難局を乗り切れないからだ、というのです。
菅さんを支えなくてはならないはずの民主党の小沢さんも、まだ不信任案に同調するとまでは明言してはいませんが、同調するかもしれんぞ、しれんぞ、とにおわせながら、ズルがしこく情勢をにらんでいます。
しかし、菅ではだめだ、菅ではだめだ、と気勢をあげる谷垣さんですが、じゃあ、菅さんのどこが悪いのか、その点について何か具体的なことを言っているのかとなると、格別なことは何も言っていません。
菅さんを追い落として、そのあと谷垣さんはどんな震災対策を打ち出すのか、そこのところも格別なことは何も言っていません。
いちばんかんじんなその二点について何も格別なことを言っていないということでは、小沢さんも同じです。
まあ、実際問題として、谷垣さんが首相になっても、小沢さんが首相になっても、菅さんが今やっている以上のことはできないでしょう。
こんな大災害が、首相ひとりの交替でなにか劇的に変わるなんて、そんなのは幻想にしかすぎません。
むしろ、原発災害に関しては、谷垣さんに替われば、かつての自民党政権時代の“原発隠し”にまた逆戻りする可能性さえあります。
見方によっては、自民党の復権は“原発隠し”のためだとも見えるのです。
ぼくは基本的にノンポリで。なにも菅さんに味方するわけではありません。
ただ、今度の不信任案騒動は、あまりにも論理がなさすぎます。
いま首相が替わっても、そのくらいのことではどうにもならない、そんな巨大な災害を前にして、首相のイスを狙う政治屋たちが、チョコマカチョコマカと画策している、そういう政界のみにくさがたまりません。
自分たちの権力闘争に、国民の苦しみを利用しているのです。
国民の苦境を食い物にしているのです。
こういう政治屋たちのきたない権力闘争も日本の従順な国民は黙って見ているだけなのでしょうか。
大震災にもおとなしく耐え、原発災害にもおとなしく耐え、国民不在の権力闘争にもおとなしく耐え、こうしてただただ長いものに巻かれ続けていくのでしょうか。
菅さんでは大震災の難局を乗り切れないからだ、というのです。
菅さんを支えなくてはならないはずの民主党の小沢さんも、まだ不信任案に同調するとまでは明言してはいませんが、同調するかもしれんぞ、しれんぞ、とにおわせながら、ズルがしこく情勢をにらんでいます。
しかし、菅ではだめだ、菅ではだめだ、と気勢をあげる谷垣さんですが、じゃあ、菅さんのどこが悪いのか、その点について何か具体的なことを言っているのかとなると、格別なことは何も言っていません。
菅さんを追い落として、そのあと谷垣さんはどんな震災対策を打ち出すのか、そこのところも格別なことは何も言っていません。
いちばんかんじんなその二点について何も格別なことを言っていないということでは、小沢さんも同じです。
まあ、実際問題として、谷垣さんが首相になっても、小沢さんが首相になっても、菅さんが今やっている以上のことはできないでしょう。
こんな大災害が、首相ひとりの交替でなにか劇的に変わるなんて、そんなのは幻想にしかすぎません。
むしろ、原発災害に関しては、谷垣さんに替われば、かつての自民党政権時代の“原発隠し”にまた逆戻りする可能性さえあります。
見方によっては、自民党の復権は“原発隠し”のためだとも見えるのです。
ぼくは基本的にノンポリで。なにも菅さんに味方するわけではありません。
ただ、今度の不信任案騒動は、あまりにも論理がなさすぎます。
いま首相が替わっても、そのくらいのことではどうにもならない、そんな巨大な災害を前にして、首相のイスを狙う政治屋たちが、チョコマカチョコマカと画策している、そういう政界のみにくさがたまりません。
自分たちの権力闘争に、国民の苦しみを利用しているのです。
国民の苦境を食い物にしているのです。
こういう政治屋たちのきたない権力闘争も日本の従順な国民は黙って見ているだけなのでしょうか。
大震災にもおとなしく耐え、原発災害にもおとなしく耐え、国民不在の権力闘争にもおとなしく耐え、こうしてただただ長いものに巻かれ続けていくのでしょうか。
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