尖閣海域の事件の「機密」ビデオを神戸の海上保安官がインターネットに流しました。
「国家機密」をもらしたという疑いで取り調べを受けています。
けれど彼の地元のここ神戸では、圧倒的に彼の行動をほめる声が多いように思えます。
少なくともぼくが会ったひとの中で彼を非難したひとはたったのひとりもいませんでした。
ぼくもまた、彼のようなひとがいるのはいいことだと思っているうちのひとりです。
「国家機密」がこういう形でもれてくるのは、今の日本がまだ健康な面を持っているそのあかしだと思うのです。
でも、彼を支持する人々のおおかたの意見とは違うかもしれませんが、菅内閣がビデオを機密にしようとしたその判断も、そんなに悪いことだとはぼくは思っていないのです。
菅内閣がビデオを事件の直後にストレートに出していたら、それは国民の憤激を最大限にあおることになったでしょう。
日本の国民と中国の国民の対立は一気に沸騰点にまで高まって、両国民の間に抜き差しならない溝ができたのではないでしょうか。
日中の全般的な関係のなかにあって、尖閣はあくまでもその一部だということを忘れてはなりません。
両国の経済(貿易、投資、金融)、政治、防衛、外交のすべてをその一点に巻き込んでしまうような、そんな全般的な問題ではないのです。
ひとまず事件を機密扱いにすることで、国民がそのことに思いをいたす冷却期間をかせげたこと、それは確かなことでしょう。
そしてそれは、中国の政府に対しても、日本の政府がこの問題を慎重に扱おうとしているというメッセージとなって伝わったはずなのです。
菅内閣の対処法はあまりカッコよくはありませんでしたが、まあ、のらりくらり、よたよたと、最善の策をとったと、そうぼくは考えているのです。
そして、ビデオをインターネットに流した海上保安官もまた、彼の立場で最善の策をとったといえるでしょう。
彼が事前におこなっていた読売テレビへの説明では、海上保安の巡視船艇が現場でどんなに厳しい任務にあたっているか、それを国民に知ってもらいたい、という強い思いがあったようです。
海の男たちの強いきずなを考えれば(ちなみにぼくの父親も商船の乗組員だったものですから、よくその気持ちがわかるのです)、仲間が命がけで遂行した仕事を、そのときどきの政治の都合で闇に葬られてはたまらない、とそう思ったのも当然のことでしょう。
そしてそれは、事実を知りたいという国民の欲求(知る権利)とピタリと一致したのです。
結局、政府は政府としてやるべきことをし、保安官は保安官としてやるべきことをした、というふうにぼくには考えられるのです。
圧倒的多数の国民であるぼくたちは、ただそばから見ているだけで、大きな見えない果実を得たというわけです。
今の日本の社会にまだ健全な要素があると、そうぼくが言いたいのはそのようなわけからです。
要するに、ソレデイイノダとぼくは言いたいということです(バカボンのパパの著作権侵害?)。
ただ、滑稽だったのは、一部の国会議員がその「国家機密」なるビデオのほんの一部(時間にして六分あまり)を見せられて、なにか、こう、さも重大なものを見てきた顔をしていたときに、何百万という国民がインターネットでほぼ全貌(四十分)を見知っていた、とそういうことがわかったときの、議員さんたちの呆然とした表情でしたが、それは、まあ、一幅の戯画として…。
「国家機密」をもらしたという疑いで取り調べを受けています。
けれど彼の地元のここ神戸では、圧倒的に彼の行動をほめる声が多いように思えます。
少なくともぼくが会ったひとの中で彼を非難したひとはたったのひとりもいませんでした。
ぼくもまた、彼のようなひとがいるのはいいことだと思っているうちのひとりです。
「国家機密」がこういう形でもれてくるのは、今の日本がまだ健康な面を持っているそのあかしだと思うのです。
でも、彼を支持する人々のおおかたの意見とは違うかもしれませんが、菅内閣がビデオを機密にしようとしたその判断も、そんなに悪いことだとはぼくは思っていないのです。
菅内閣がビデオを事件の直後にストレートに出していたら、それは国民の憤激を最大限にあおることになったでしょう。
日本の国民と中国の国民の対立は一気に沸騰点にまで高まって、両国民の間に抜き差しならない溝ができたのではないでしょうか。
日中の全般的な関係のなかにあって、尖閣はあくまでもその一部だということを忘れてはなりません。
両国の経済(貿易、投資、金融)、政治、防衛、外交のすべてをその一点に巻き込んでしまうような、そんな全般的な問題ではないのです。
ひとまず事件を機密扱いにすることで、国民がそのことに思いをいたす冷却期間をかせげたこと、それは確かなことでしょう。
そしてそれは、中国の政府に対しても、日本の政府がこの問題を慎重に扱おうとしているというメッセージとなって伝わったはずなのです。
菅内閣の対処法はあまりカッコよくはありませんでしたが、まあ、のらりくらり、よたよたと、最善の策をとったと、そうぼくは考えているのです。
そして、ビデオをインターネットに流した海上保安官もまた、彼の立場で最善の策をとったといえるでしょう。
彼が事前におこなっていた読売テレビへの説明では、海上保安の巡視船艇が現場でどんなに厳しい任務にあたっているか、それを国民に知ってもらいたい、という強い思いがあったようです。
海の男たちの強いきずなを考えれば(ちなみにぼくの父親も商船の乗組員だったものですから、よくその気持ちがわかるのです)、仲間が命がけで遂行した仕事を、そのときどきの政治の都合で闇に葬られてはたまらない、とそう思ったのも当然のことでしょう。
そしてそれは、事実を知りたいという国民の欲求(知る権利)とピタリと一致したのです。
結局、政府は政府としてやるべきことをし、保安官は保安官としてやるべきことをした、というふうにぼくには考えられるのです。
圧倒的多数の国民であるぼくたちは、ただそばから見ているだけで、大きな見えない果実を得たというわけです。
今の日本の社会にまだ健全な要素があると、そうぼくが言いたいのはそのようなわけからです。
要するに、ソレデイイノダとぼくは言いたいということです(バカボンのパパの著作権侵害?)。
ただ、滑稽だったのは、一部の国会議員がその「国家機密」なるビデオのほんの一部(時間にして六分あまり)を見せられて、なにか、こう、さも重大なものを見てきた顔をしていたときに、何百万という国民がインターネットでほぼ全貌(四十分)を見知っていた、とそういうことがわかったときの、議員さんたちの呆然とした表情でしたが、それは、まあ、一幅の戯画として…。
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