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民族が異なれば「天国」さえ異なる

2013-02-19 00:01:00 | 社会常識と教育

 前回「世界平和」の定義が民族や国により異なると書いたが、同様に「天国」の概念も民族により大きく異なる。このことを踏まえて「世界平和」なのであり、ただ自分の考えだけでは、「世界・・」にはならない。

 我々日本人の天国のイメージは漠然として定義し辛い。白い所、暖かい所、お花畑、ハスの花が咲いている所、等々である。しかし他の民族もそうであろうか?ムスリム(イスラム教)はこの天国が定義されてるいる数少ない宗教である。自分の好きな年齢で、酒池肉林の世界が待っているとされている。女性は単独では天国に行けず、男性が連れて行かねば地獄に行くしかない。キリスト教は日本人の天国と似たようなイメージである。しかし、アングロサクソンに代表されるゲルマン民族の天国は大きく異なる。祖先の魂と共に戦争が出来る、傷つこうが死のうが翌日には復活し戦争ができる。これが天国(ヴァルハラ)のイメージである。10世紀のころ北ヨーロッパに布教をしていたカトリックの司祭が「それを地獄と言う」と言ったそうだが、ゲルマン民族には天国なのだ。

 仏教では輪廻の外に行くことを解脱と解す、復活は最早ない。魂の最高の境地である。しかしキリスト教やイスラム教は最後の審判で復活できないことを恐れる。同じ死後の世界でもこれだけ死生観が異なる。

 この大きく異なる哲学を有する人類を日本人だけにしか通用しない哲学で断じてはいけない。「平和」も同様である。その定義が民族により大きく異なる。ここに「比較文化」と言う学問の意義が存在する。

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