知的障害者・精神障害者について考えよう

知的障害者施設、作業所やA型B型事業所の経験からの投稿にて、この業界に対する世間の理解を深めていきたいと思います。

友人の裁判、どうなるか?

2017年09月30日 | Weblog
さて、今月の行事も無事終わり、次は10月半ば(15日の日曜日)に開催される、地元の「市民福祉のつどい」(地元社協が主催)があります。


これは、基本 一般市民の方対象なので、各施設や作業所関係は、自身の施設等で制作している物品や作物等を販売します。

一応、施設・作業所を紹介出来る場面でもあります。



こちらは、特に前回のような作業所主体の様々な”縛り”的な決まりはないので、気軽に参加できます。


先日、イベントにて販売した「安納芋」を売る予定です。







友人の裁判も最終判決が近づいてきました。

すでに求刑は出されていますが、今までの何度もの裁判公判にて、多くの方が述べられてきたことが、全く反映されていません。



ほとんどつじつまの合わない事象であり、被告側の証言者の言葉は、すべて無視され、最初から”ある程度”の判決ありき・・・いわゆる検察側の言い分が通る・・・ような感じがして、非常に残念でなりません。


詳しい内容は、もちろん、まだ裁判進行中なので、書けませんが、例えば、原告側の子供が言ったことの信憑性は認められ、その事件での唯一の同室者の子供の証言(「被告・・・友人の名前・・・はやっていない」)は取り上げられない・・・そんな理不尽な話はありません。





おそらく、今月半ばに判決が下る可能性がありますが、最初から「犯罪者」を作る目的の裁判なのか? 今までの公判はなんだったのか?? いろいろな疑問が生じています。


こういう裁判は、(まだ判決は確定していませんが)今後の判例に利用される可能性もあり、決して許されるものではないと思います。



現在、様々な障害者施設や、老人介護施設等、マスコミが事件を面白おかしく報道してしますが、先日の相模原の殺人事件はともかく、施設職員というのは、どんな状況であれ、施設利用者を主体に考えて行動しています。

その中で、前後の状況や、その場面での状況、いろいろな要素が重なり、利用者や職員が思いもよらない事件に至る場合も多々あります。


事象のみを捉えて、職員が悪い・・・と言うのは、簡単です。


しかし、実際にその場面で何が起こったのか?を詳しく解いていくのが、裁判なのではないでしょうか?




今回の裁判を、何度も傍聴して感じたことは、裁判官もただの公務員でしかないのだな・・・人の人生を左右する力を持っていても、それを行使するのは、大変な決断がいるのに、うまく検察側の状況説明を鵜呑みにして、大切な個人の人生を棒に振ることが出来る・・・事務仕事のひとつでしかないのかな・・・と思ってしまいます。


それは裁判官の途中交代(全員)を見ても分かるとおり、こんな(裁判所からしたら)簡単な事件はさっさと終わらせたい感じが、ひしひしと感じました。※最後の方の公判は、流れが出来ていたような感覚です。



もちろん、こういう言い方(書き方は)、真剣に業務を行われている裁判官の方々に失礼だと思います。この点は謝罪しますが、今回の裁判では、自身も同じ業界で働いていたこともあり、とても他人事とは言えない部分が多いですね。
(おそらく、こういう業界で勤務されている方は、多くは同じような状況にハメられる可能性は、ゼロではありません。それは、法人自体が職員を信用していないこともありますね。法人にとって、都合の悪い職員は、事件化して、追い出すことで、安定を保つ・・・そんな一時的なものなのでは。)



今回の事件も、そういう意味合いを強く感じました。

頑張っている被告本人、それを支えている周りの友人たち、彼のことを心配している”よく知っている”人たち・・・の陰で、ほくそ笑んでいる人間がいることに、腹が立ちます。



また、判決が下されれば、報告したいと思いますが、控訴等も含め、この裁判は長期化して、何が正しいのかを明らかにしていく必要があります。

今後の、この業界のためにも・・・

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする