ウクライナ問題を考える時、拠り所になる情報はテレビや新聞からは得られない。
なぜなら、それは欧米の視点のみだから。
しかし今はインターネット時代。そこから得られる情報はこうした国際問題を考える際の助けになっている。
私が今一番信頼する情報源は藤永茂というアメリカ在住の80才過ぎの元大学教授のブログ「私の闇の奥」である。http://huzi.blog.ocn.ne.jp/darkness/
例えばシリアやリビアの問題は、日本ではアサドやカダフィーという独裁者が一方的に民衆を苦しめ、それに抗議して民主化を求める反政府デモや武力闘争が起きたということになっているが、藤永氏のブログによれば、シリアもリビアも内乱が起きるまでは国民は豊かで穏やかな生活を営んでいたと。それを壊したのは欧米の利権勢力だと言う。
そう言えば十年ぐらい前、「暮らしの手帖」という雑誌にシリア在住の日本人が、日本にあまり知られていないシリアの市民の生活を紹介する文を連載していてそれを読んでいた記憶がある。今のアサド大統領の父親の時代だった。
反政府運動を起こさなければならないほどの国民の生活状態ではなかったかと。
リビアもしかり。彼らが悪者にされるのは欧米の利権勢力と手を結ばず、独自の道を行くからということのようだ。それを「非民主的。独裁」と断罪し、武力介入してくる。
アフリカでも中南米でも欧米の言うことを聞かない政府とリーダーは転覆させられ、殺害されてきた。
そんな中で、アパルトヘイト反対に立ち上がり、27年間の収監生活を送りながら、解放され南アフリカの大統領になったネルソン・マンデラは天寿を全うし、その死を世界中が悼み、葬儀にはオバマやクリントンをはじめとして欧米のリーダーも参列した。
藤永氏は言う。「マンデラはある時点から欧米と妥協する道を選んだ。それゆえのこれは結果だ」と。
事実、南アフリカからアパルトヘイト政策はなくなったが、では黒人たちの生活はよくなったかというと、それはまったくと言っていいくらい変わっていない。
権力を得た一部の黒人指導者やそれに連なる者達は富を得たが、大多数の国民は置き去りにされたまま。偉大なはずのマンデラは何を変えたのか、それとも何も変えなかったのか。
藤永氏はマンデラは南アの土地所有問題に手をつけられず(つけず)、利権はそのまま欧米人の手に残ったままであると言う。それを「レインボー政策」という融和政策を主張することによって、ごまかしたということになるようだ。
そういう目でウクライナの混乱を見れば、欧米寄りの新政権がウクライナ国民の後押しを得てヤヌコビッチを追放したというのはかなり怪しい。
目を覆うばかりです。砂漠、熱風の地域には、我々に
は知りえない生きる知恵があったのでしょう。それを
なんだかわからぬまま、ぐちゃぐちゃに引っかきまわされたということ。フセイン健在のころ、日本で博士号を
取って帰国したハッサン氏。記念にとフセインの写真
付きの置時計をくれました。これをどうしたものかと
思いましたが、彼を忘れないために戸棚にとって
あります。
ヨハネスブルグは世界で最も危険な都市になりました。マンデラがもう少し若かったらと思わぬではありません。
フセインもカダフィーも殺害されたけど、アサドまだそうなっていない。
アメリカの力がそれだけ衰えてきたということなのでしょうね。
オバマはウォール街の支援は受けているけど、軍需産業とは少し距離がある、という記事を見ましたが。軍事行動には腰が引けている。いい傾向だけど。
見当もつきませんが、印象ですが、なにか
不安を感じさせます。印象で判断するのは間違い
かもしれませんが、残酷・・・刈り上げ青年は?という
と、なんの印象もなかった。
次元のちがう話ですが、「サムラ」も「オボ」も”ウン?”
と思った記憶があります。