Do you really dream of jumping sheep?
(ども 火星人です。レイシストお断り)
Martian Official Weblog



アレが責任とるところ。
歌丸師匠がお亡くなりになりました。
ここで泣くのは素人なんだよ(謎)

今日はいろいろ。
何か1つのテーマで書く予定があった気がしますが覚えていない・・

ほぼ日本イタイ新聞・英語版(嘘)いきますね。

あんまり英語の文法的な問題などについてグダグダういいたくないんですけど。
ネイティブじゃない人が喋っていたら、足りない部分を補ってまあまあ理解しますよね。
それは何語も同じだと思うんですけど、根本的な問題として中身がおかしいというのがあります。
はすみ英語
これは「うわ~」ですね。
最初の文、anti-British が主語になっているんですね。
このセンスがもう。もちろんこれは形容詞なんですが、一応形容詞は名詞として使えるとは言え、これを単独でしかも主語で使うんですよ。
これはほぼ名詞の前でしか使わないタイプのやつですし。
ようするに「反日」などという頭の悪い言葉を日ごろから使っているので、英文書いてもこんなものが主語になったりするんですね。脳の構造がおかしい。
当然、Anti-Japan は「反日」ってことなのでしょうが、これが何かしら意味がある言葉になっていると思うのがすごいんですよね。
anti-British sentiment みたいには使うわけですね。反英感情。
でも、立場と言うか党派性と言うか、人を指しては普通言わんでしょうね。
「あいつは反英だ」みたいなの。
「彼は反英感情を持っている」とは言うと思います。

後半の文は、まあ一応言いたいことはわからんでもないけど、また酷い文ですね。
まず主語からおかしいし。いかにも片言の英語と言う感じですか。
まあ、その辺を歩いていて外国人に道をきかれた場合なら、このレベルでもオッケーです。
"handshake" は原型になってますが、何とかしないと。
最低限でも不定詞か現在分詞か関係代名詞使うかしないと。
"handshake" を名詞で使っているのだとしたら、documentaryの後に来ているのは不明すぎて、すごく意味がわかりにくいですけどね。
「BBCの詩織さんの番組は反日と反英を結び付けるドキュメンタリーだ」ぐらいの意味なんですかね。
ぼくも日本語ではテキトーに言ったりしますが、これを英語で書くというのがすごいんですよ。
一旦ちゃんとした文に作り変えたりはしないんですね。作れないのかな。
「詩織さんの事件をあつかったこの番組は」とか、詩織さんに関するとかでも何でもいいですが、英文を「書く」場合には言葉の意味と文の構造は考えると思うんですけど、そういうのがほとんどないんですね。

いや、通じればいいんですけどこれは通じないですよね。もし通じたら「バカかお前!」って思われるだけだろうし。
シリーズその2。
テキサス親父日本支部 英語
ばかが「枕営業」を "pillow business" と書いて(たぶんグーグルの翻訳機能でも使ったんでしょうね)、バカにされたんですが、ほらそういう使い高してるぞ、とドヤ顔でこんなツイートを。
リンク先をみればわかりますが、これは日本の不思議な風習とそれを「枕営業」と呼んでいる事を説明しているんですね。
そしてその呼び名はどういう語感かというのを、日本語の単語「枕」「営業」をそのまま英語にして書いて説明しおているわけで "pillow business"という英語はないです。
間違っていつか英語になる場合、"makura-eigyo"のほうが採用されるかもしれません。"karoshi"と同様のやつで。

まあ、間違いを認めると死ぬ病気なので、必死にドヤ顔しているのでしょうし、どうせ英語使う人間は相手にしていないんですよね。
ネトウヨ商売ですから。("netouyo-business")

RADWIMPSのあの歌に関して
RADWIMPSの愛国ソング
RADWIMPSの愛国ソング 日本語論より動機考察を 中島岳志
津田大介とか随分褒めてますけど、どうですかね。
あの駄作からよくこの文章をひねり出したものだとは思いますが。

よく読まずに要約すると(笑)
表現者が自らの分野で作品を作ったが駄作でした。
しかし我々は、彼がいかにしてそのような駄作を作るに至ったか、その原因を彼のアイデンティティをしっかりと把握し動機を探ることで理解しようではありませんか。

ということですよね、たぶん。
なぜそこまで彼を理解しなければならないのでしょうかね。
もちろんやりたい人はやればいいと思います。
筆者の中島岳志氏がこのような考察をしたというところまではいいですよ。
しかしタイトルにある「日本語論より動機考察を」というのは非常にうざいです。
だってぼくはRADのファンでも何でもないし大抵の人は同様ですよね。
野田洋次郎が駄作を作ったからといっていちいち動機を探るわけないです。
もちろん文句をつけるに当たって彼の生い立ちなどは一応見てはいますよ。すぐに調べられますし。
でもそれだけのことです。
もしも傑作を作ったのであればその動機を考えることもあり得ますけど。

少し文中から引用すると、
彼にとっての日本は、あらかじめ失われている。その喪失による渇望が、古語となって表出する。
これ、違いますよね。盛り過ぎです。
ここに書かれたような思想的背景があったら、傑作を作らないと。
ぼくも高校の時など、なんかこう無駄に古語とか使いたがったものです。たいした動機ではないと思います。
そして
「僕にホームなんかない」ことは安っぽい愛国者になる動機にはならないです。
むしろ反対かもしれないですね。
少なくとも「僕にホームなんかない」という感覚があったとすると、ホームを求めて「社会」に過剰に同調するか、あるいは独立した「個人」として生きるかのいずれかの選択をどこかですることになるのではないですかね。
そして野田洋次郎は、結局前者を選んだと。
「HINOMARU」の歌は、そのロマン主義的傾向こそが問題とされなければならない。これは戦前・戦中期の国粋主義の特質と重なる。
いや、そこが問題になったから炎上したのでしょう。
別にファンでもないぼくらが「あ~、これはあかん」と騒いだのは、まさに戦前・戦中期の国粋主義の特質と重なったからです。
貧相で汚らしいあの戦争を美化してしまう「ロマン主義的傾向」を常に警戒しているから批判するのです。
単に雑な日本語で作られた駄作というだけならスル―しますよ。もともと興味はないのだし。
そんなものに貴重なリソースを割くわけがないのだよ、関口君。
そうなのか?京極堂。

そういうわけで、中島岳志氏のこの文章は、割とよく練られた美しいわら人形論法と言えるかもしれませんね。

今日はNo.9特集。
なぜかというと、
柴野明日香さん
先日国会傍聴に行ったら、「9がついている物はダメです」と係員に止められました。ネックレスもタグも9は外せと言われます。結局カーディガンで隠して入るように言われました。「NO WAR」もダメなんだって。9はダメで他の数字はOKなんだって。変だよ。
国会は「9」が駄目なんだ。普通の数字ですよ。
凄い国ですね。
そうすると、
この辺りの曲は駄目ですよね。
John Lennon - #9 Dream

The Beatles - Revolution 9

ELPも。
Emerson, Lake & Palmer - Karn Evil 9

新世界もあかんの?
Dvorak - Symphony No.9

クロイツェルも。
Beethoven - Violin Sonata No.9

な、なんと第9まで。
Beethoven - Symphony no. 9

9が駄目なんて、「表現の自由戦士」()が暴れる案件ではないかね。
というか正真正銘、権力側からの弾圧でしょ、これ。
まあ、本邦の「表現の自由戦士」()が権力と戦わないことは知ってますけど。

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