映像作品とクラシック音楽 第35回『アイズ・ワイド・シャット』とショスタコーヴィチのワルツ
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クラシック音楽が印象的な映像作品を語るシリーズ
今回は、スタンリー・キューブリック監督の遺作で、ショスタコーヴィチのジャズ組曲第2番(舞台管弦楽のための組曲)の第2ワルツが印象的な『アイズ・ワイド・シャット』です
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ショスタコーヴィチの交響曲が大好きでして、あの殺伐とした血なまぐさい硝煙と血の匂いが香ってくるよう交響曲群が…(9番のピッポコピッポコマーチもそれはそれで大好きで)。
映画向きな曲だし、どこかで書きたいなと思ってはいたのですが、ショスタコーヴィチの交響曲を使った映画は、5番~11番を切り刻んでツギハギした『戦艦ポチョムキン』の再編集サウンド版くらいしか思いつきませんでした。ショスタコーヴィチがガチで映画音楽やった作品もありますが私は未見です(後述の『第一軍用列車』除く)
7番8番使って独ソ戦の映画作ればいいのに…などと勝手に思ってました。
それでなんかの拍子にふと思い出したショスタコーヴィチ×映画の例が、キューブリックの『アイズ・ワイド・シャット』でした。
1999年の映画です。『ザ・エージェント』(1996)でアカデミー賞主演賞候補になりまさに人気絶頂だったトム・クルーズが(と言ってもトム・クルーズが人気絶頂じゃなかった時期など思いつきませんけど)、3年間ずっと他に新作を作ることなく、完璧主義者のキューブリックにつきあい続けて作ったのが『アイズ・ワイド・シャット』です。
映画が始まってすぐ、メインタイトルから第2ワルツは聞こえてきます。そしてトムクル&ニコキーの嘘みたいな美男美女で金持ちの夫婦がパーティに出かける準備をしている場面で流れ続け、トムクルがプレーヤー(CD? ラジオみたいにも見える)のスイッチを切ってワルツはピタッと止まります。(ああ、こんな映画に出ていた二人がその後泥沼離婚するなんて誰に想像できたでしょう…)
その後、序盤のパーティシーンが終わり、日常が戻ってきたところでまたショスタコワルツが聞こえてきます。
映画でこのワルツはトムクル&ニコキー夫婦の日常を描写する曲として使用されます。
しかしただの平和な日常描写…という意図はないのでしょう。
不満がつのり鬱憤がたまりながらそれを吐き出すことなく、負の感情が蓄積されていく日常というところでしょうか。その描写にショスタコーヴィチのワルツはピタリとはまっているように聞こえます。ショスタコの曲ってどれも二面性、あるいは三面性も四面性もあるような気がしますが、第2ワルツも楽しく振る舞わされている人々を描写するショスタコ流の皮肉のようなものを感じなくもないです。
この後、マリファナの勢いでニコキーとトムクルの男女の肉欲議論が始まり、トムはニコールの性に関する意外な一面を知り、ショックを受けてしまうのです。で、そのあとの色んな意味で驚愕な展開につながります。
エンドクレジットでは「JAZZ Suite, Waltz 2」と表記され、「ジャズ組曲」の1曲とされる第2ワルツですが、調べてみると『アイズ・ワイド・シャット』公開と同じ年の1999年に、ショスタコーヴィチの楽譜が見つかり、ジャズ組曲とは関係ない曲だったことが分かったそうです。
本当のジャズ組曲2番の作曲は1938年とのことで、ショスタコのあの大ヒット曲?交響曲5番の翌年ということになります。
5番が名曲なのは言うまでもありませんが、反面なにかヤケクソ気味にスターリン体制のソ連共産党指導部が喜びそうな曲を書いたというか書かされたというか、そんな気もしてくる作品です。
その翌年のジャズ組曲は3曲からなる作品だったのですが、50年代に作曲された「舞台管弦楽のための組曲」が間違って「ジャズ組曲第2番」として1999年までは認知されていたというのです。完璧主義者のキューブリックは『アイズ・ワイド・シャット』の試写から間もなくして亡くなったとのことで、もう少しだけ長生きしていたらクレジットの表記も「JAZZ Suite」でなく「 Suite for Variety Stage Orchestra」に修正していたかもしれません。
さらに言えば第2ワルツは、1955年のソビエト映画『第一軍用列車』のためにショスタコーヴィチが書いた映画音楽でした。きっと西側ではジャズ組曲を映画に流用したと思われていたのでしょう。
スターリンの死去は53年3月、ショスタコーヴィチの交響曲10番の初演が53年12月
第2ワルツが作曲された55年というのは、ショスタコーヴィチにとって色々微妙な時期です
『第一軍用列車』をYouTubeで観ました。日本語字幕なしなのでよくわからないのですが、ちょっと国策映画っぽいけど荒野のような大地を開拓する民衆の活力を感じさせる作品で、「第2ワルツ」は開拓村のお祭のダンスの伴奏として村人たちが奏でる、劇伴というより現実音として演奏されています。ダンスする村人たちの楽しげな表情が印象的でしたが、ショスタコがそんなドストレートな曲を書くものだろうかとも思ったりもしまして…
本物のジャズ組曲2番は聞いたことがないのですが、「舞台管弦楽のための組曲」は「ジャズ組曲1番」と雰囲気がよく似ており、混同されるのもよくわかります。ジャズ組曲とはいっても、我々が考える「いわゆるジャズっぽさ(マイルスデイビスとかコルトレーンとか)」はまるでありません。
ジャズ組曲1番も、「舞台管弦楽のための組曲」も、あの殺伐とした交響曲群と同じ人が書いたとはとても思えない、楽しげなゆるーい組曲です
組曲全体としては名曲とは思えません。コンサートで同日に別々の会場でショスタコの交響曲5番と「舞台管弦楽のための組曲」をやるなら迷うことなく交響曲5番のチケットを買うでしょう。
しかし、そんな中でもこの第2ワルツだけは、明らかに別格の「名曲オーラ」を感じます。つい口ずさみたくなります。それ以外の曲はいまだに全然口ずさめませんが、第2ワルツだけは料理しながら鼻歌で歌ったりしてしまいます。
『アイズワイドシャット』以外でもどこかで聞いた気がします。たぶんテレビのバラエティとかCMとかで使われていたんでしょう。
その第2ワルツは、『アイズ・ワイド・シャット』では上述の2回の他、もう1回聴くことができます。映画のエンドクレジットで、フル尺で演奏されます。『2001年』のエンドクレジットのドナウもフル尺でしたし、キューブリックのこういう音楽の使い方は大好きです。
そのエンドクレジットによると、本作で使われたショスタコワルツは、シャイー指揮コンヘボ演奏とクレジットされました。
こんなことってあるんですね。私がだいぶ前にたまたま『アイズ・ワイド・シャット』で使われていたことも忘れていたころに買ったジャズ組曲のアルバムが、まさにシャイー指揮コンヘボのやつでした。録音年代的に多分映画と同じ音源だと思います。
そういうわけで、いつもはあまり聞かないジャズ組曲のアルバムを何度も繰り返し聞いています。
余談ですがニコール・キッドマンとトムの離婚は2001年で、ニコールは2001年に『ムーラン・ルージュ』でアカデミー賞にノミネートされ、2002年の『めぐり合う時間たち』でアカデミー賞受賞しています。オレオレ男のトムと別れてから役者としては絶好調です。
追記
『アイズ・ワイド・シャット』では他にキューブリックが大好きな(一般人にはポカーーンな)リゲティの音楽も鳴り響いてます。「ムジカリチェルカータ」ですが、かなり重要なシーンで使われるのでショスタコワルツ以上に印象深いかもしれないです。
追々記
シドニー・ポラック監督が俳優として出演し、なかなかの好演をみせています。
トム・クルーズとポラックといえば『ザ・ファーム』の監督主演コンビですね。
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クラシック音楽が印象的な映像作品を語るシリーズ
今回は、スタンリー・キューブリック監督の遺作で、ショスタコーヴィチのジャズ組曲第2番(舞台管弦楽のための組曲)の第2ワルツが印象的な『アイズ・ワイド・シャット』です
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ショスタコーヴィチの交響曲が大好きでして、あの殺伐とした血なまぐさい硝煙と血の匂いが香ってくるよう交響曲群が…(9番のピッポコピッポコマーチもそれはそれで大好きで)。
映画向きな曲だし、どこかで書きたいなと思ってはいたのですが、ショスタコーヴィチの交響曲を使った映画は、5番~11番を切り刻んでツギハギした『戦艦ポチョムキン』の再編集サウンド版くらいしか思いつきませんでした。ショスタコーヴィチがガチで映画音楽やった作品もありますが私は未見です(後述の『第一軍用列車』除く)
7番8番使って独ソ戦の映画作ればいいのに…などと勝手に思ってました。
それでなんかの拍子にふと思い出したショスタコーヴィチ×映画の例が、キューブリックの『アイズ・ワイド・シャット』でした。
1999年の映画です。『ザ・エージェント』(1996)でアカデミー賞主演賞候補になりまさに人気絶頂だったトム・クルーズが(と言ってもトム・クルーズが人気絶頂じゃなかった時期など思いつきませんけど)、3年間ずっと他に新作を作ることなく、完璧主義者のキューブリックにつきあい続けて作ったのが『アイズ・ワイド・シャット』です。
映画が始まってすぐ、メインタイトルから第2ワルツは聞こえてきます。そしてトムクル&ニコキーの嘘みたいな美男美女で金持ちの夫婦がパーティに出かける準備をしている場面で流れ続け、トムクルがプレーヤー(CD? ラジオみたいにも見える)のスイッチを切ってワルツはピタッと止まります。(ああ、こんな映画に出ていた二人がその後泥沼離婚するなんて誰に想像できたでしょう…)
その後、序盤のパーティシーンが終わり、日常が戻ってきたところでまたショスタコワルツが聞こえてきます。
映画でこのワルツはトムクル&ニコキー夫婦の日常を描写する曲として使用されます。
しかしただの平和な日常描写…という意図はないのでしょう。
不満がつのり鬱憤がたまりながらそれを吐き出すことなく、負の感情が蓄積されていく日常というところでしょうか。その描写にショスタコーヴィチのワルツはピタリとはまっているように聞こえます。ショスタコの曲ってどれも二面性、あるいは三面性も四面性もあるような気がしますが、第2ワルツも楽しく振る舞わされている人々を描写するショスタコ流の皮肉のようなものを感じなくもないです。
この後、マリファナの勢いでニコキーとトムクルの男女の肉欲議論が始まり、トムはニコールの性に関する意外な一面を知り、ショックを受けてしまうのです。で、そのあとの色んな意味で驚愕な展開につながります。
エンドクレジットでは「JAZZ Suite, Waltz 2」と表記され、「ジャズ組曲」の1曲とされる第2ワルツですが、調べてみると『アイズ・ワイド・シャット』公開と同じ年の1999年に、ショスタコーヴィチの楽譜が見つかり、ジャズ組曲とは関係ない曲だったことが分かったそうです。
本当のジャズ組曲2番の作曲は1938年とのことで、ショスタコのあの大ヒット曲?交響曲5番の翌年ということになります。
5番が名曲なのは言うまでもありませんが、反面なにかヤケクソ気味にスターリン体制のソ連共産党指導部が喜びそうな曲を書いたというか書かされたというか、そんな気もしてくる作品です。
その翌年のジャズ組曲は3曲からなる作品だったのですが、50年代に作曲された「舞台管弦楽のための組曲」が間違って「ジャズ組曲第2番」として1999年までは認知されていたというのです。完璧主義者のキューブリックは『アイズ・ワイド・シャット』の試写から間もなくして亡くなったとのことで、もう少しだけ長生きしていたらクレジットの表記も「JAZZ Suite」でなく「 Suite for Variety Stage Orchestra」に修正していたかもしれません。
さらに言えば第2ワルツは、1955年のソビエト映画『第一軍用列車』のためにショスタコーヴィチが書いた映画音楽でした。きっと西側ではジャズ組曲を映画に流用したと思われていたのでしょう。
スターリンの死去は53年3月、ショスタコーヴィチの交響曲10番の初演が53年12月
第2ワルツが作曲された55年というのは、ショスタコーヴィチにとって色々微妙な時期です
『第一軍用列車』をYouTubeで観ました。日本語字幕なしなのでよくわからないのですが、ちょっと国策映画っぽいけど荒野のような大地を開拓する民衆の活力を感じさせる作品で、「第2ワルツ」は開拓村のお祭のダンスの伴奏として村人たちが奏でる、劇伴というより現実音として演奏されています。ダンスする村人たちの楽しげな表情が印象的でしたが、ショスタコがそんなドストレートな曲を書くものだろうかとも思ったりもしまして…
本物のジャズ組曲2番は聞いたことがないのですが、「舞台管弦楽のための組曲」は「ジャズ組曲1番」と雰囲気がよく似ており、混同されるのもよくわかります。ジャズ組曲とはいっても、我々が考える「いわゆるジャズっぽさ(マイルスデイビスとかコルトレーンとか)」はまるでありません。
ジャズ組曲1番も、「舞台管弦楽のための組曲」も、あの殺伐とした交響曲群と同じ人が書いたとはとても思えない、楽しげなゆるーい組曲です
組曲全体としては名曲とは思えません。コンサートで同日に別々の会場でショスタコの交響曲5番と「舞台管弦楽のための組曲」をやるなら迷うことなく交響曲5番のチケットを買うでしょう。
しかし、そんな中でもこの第2ワルツだけは、明らかに別格の「名曲オーラ」を感じます。つい口ずさみたくなります。それ以外の曲はいまだに全然口ずさめませんが、第2ワルツだけは料理しながら鼻歌で歌ったりしてしまいます。
『アイズワイドシャット』以外でもどこかで聞いた気がします。たぶんテレビのバラエティとかCMとかで使われていたんでしょう。
その第2ワルツは、『アイズ・ワイド・シャット』では上述の2回の他、もう1回聴くことができます。映画のエンドクレジットで、フル尺で演奏されます。『2001年』のエンドクレジットのドナウもフル尺でしたし、キューブリックのこういう音楽の使い方は大好きです。
そのエンドクレジットによると、本作で使われたショスタコワルツは、シャイー指揮コンヘボ演奏とクレジットされました。
こんなことってあるんですね。私がだいぶ前にたまたま『アイズ・ワイド・シャット』で使われていたことも忘れていたころに買ったジャズ組曲のアルバムが、まさにシャイー指揮コンヘボのやつでした。録音年代的に多分映画と同じ音源だと思います。
そういうわけで、いつもはあまり聞かないジャズ組曲のアルバムを何度も繰り返し聞いています。
余談ですがニコール・キッドマンとトムの離婚は2001年で、ニコールは2001年に『ムーラン・ルージュ』でアカデミー賞にノミネートされ、2002年の『めぐり合う時間たち』でアカデミー賞受賞しています。オレオレ男のトムと別れてから役者としては絶好調です。
追記
『アイズ・ワイド・シャット』では他にキューブリックが大好きな(一般人にはポカーーンな)リゲティの音楽も鳴り響いてます。「ムジカリチェルカータ」ですが、かなり重要なシーンで使われるのでショスタコワルツ以上に印象深いかもしれないです。
追々記
シドニー・ポラック監督が俳優として出演し、なかなかの好演をみせています。
トム・クルーズとポラックといえば『ザ・ファーム』の監督主演コンビですね。