日テレのドラマ『リバーサルオーケストラ』が最終回を迎えてだいぶ経ちました。
演出、脚本には激しく文句を言いたいのですが、サントラも買っちゃったし、門脇麦さんの演技はやはり素晴らしかったし、いったい初音は誰が好きなんだ?!的な恋のゆくえを気にしたりと、なんだかんだで結構楽しんだ全10話でした。
時代の波や社会の偏見と戦う的な深刻な話には全くせず、ごく普通で平凡な、つまりは身近な悩みにフォーカスして、クラシック音楽を題材にしながらおやつ感覚でライトに楽しめるドラマにしたことも良かったと思います。
しかし、それでも言わせてもらうと、演出と脚本!もうすこしなんとかならんかったの!?
さすがにそれは言わせてほしいというところをいくつかと、そんな中でも演出の良かった場面について思い出しながら書いてみたいと思います。
なお最初に断っておきますが、私は演者たちの楽器の使い方のリアルさとか、指揮者の指揮っぷりのリアルさとか、そういうところはよくわからないし興味もありません。
それでも演奏や指揮が嘘っぽいとか厚みがないとか思ったとしたらそれは役者のせいというよりむしろ演出と脚本のせいなのです。
その辺のことも含めてつらつらと書いていきます。
【最終回の「すげえ」】
私はリバーサルオーケストラ第一話の感想を書いた際に、初音がウィリアムテルを弾くのを聴いて団員の1人が発する「すげえ」という台詞を「要らん一言だ」と一蹴しました。
それと同じどころかもっと悪い愚行を演出チームはこともあろうに最終回でまたやってしまうのです。
最終回で玉響がチャイコフスキー交響曲第5番、通称チャイ5の演奏を始めると、その冒頭部の1分経ったくらいのところで客席の三島彰一郎が「すげえ」と呟くのです。
しかしはっきり言って私には何がどうすごいのかさっぱりわかりませんでした。
第一話の「すげえ」はまだ、物語の前後関係から許せる部分はあります。あれだけ下手くそな演奏をしていた玉響の人なら初音の演奏をすげえと思うのもわからんではないです。さらに水を得た魚のように生き生きと演奏する初音を見事に演じる門脇麦の演技力が補完することで、「すげえ」という発言を実際声に出すかどうかは置いといてその気持ちはある程度は理解できます。
しかし最終回の「すげえ」はなにも説明がないし、何も描写すらしていません。
ましてそれを言うのはポンコツ楽団のメンバーでも一般市民でもなく、世界的に有名なバイオリニストで、テレビ出演依頼が来たりその辺の女子高生にも「大ファンなんです」と言われるくらいの人気者で、しかもついさっきまで国内有数のオケという設定の高階フィルでコンマスを務めていた三島彰一郎です。
彼をして「すげえ」と言わしめるほどの凄さを演出チームは何も表現しません。
例えばですけど…
・高階フィルの演奏の時は熟睡していた子供が玉響の時は目を輝かせて聴いている…とか
・高階のときはふんぞり返ってあくびをしていた審査員が身を乗り出す…とか
・あるいは、演者の手元をアップで映し、高速で弓を動かして松ヤニが飛び散る様や、汗を滴らせながら激しく演奏する表情をスロー&クローズアップで映す…とか
・周防正行風の物知りと無知の会話で説明する…とか(※1)
「すげえ」を表現する方法はいくらでもあったと思うのですがそれをやらず、引きの画で演奏風景を映すだけです。
もちろん、急にそういう上記のような描写を入れても取ってつけた感は否めないので、そこに至るまでの下地作りを脚本がしっかりしてないといけないのですが。
【チャイ5という選曲について】
ヒッチコックの『知りすぎていた男』ではレコードで予め曲のクライマックスを聞かせるシーンがあり、その後の演奏会シーンで曲が予習した部分に差し掛かることでサスペンスを盛り上げました。
そんな方法論でチャイ5のどこか特定の箇所にあらかじめ観客の気持ちをフォーカスさせてそこに向かっていくようなシナリオとしての仕掛けを作るべきでした。
あれでは脚本家がチャイ5を好きなのはわかりますがチャイ5が脚本上何も機能しておらず、「いい曲だね」くらいには思っても大して印象に残りません。
そもそもチャイ5という選曲自体が失敗だった気もします。
チャイ5は個人的にはめちゃくちゃ好きな曲ですが、あまりクライマックス向きの曲ではなかったかもしれません。「ここっ!」っていう聞かせどころがなく、全体的に素晴らしいですし、さらに言うと全四楽章をもって感動するような曲です。
むしろ1話前の定期演奏会でのチャイコンの方がクライマックスに相応しかったのでは?と思います。
物語を整理して定期演奏会と新ホール柿落としを一つの演奏会のエピソードに集約すればよかったのに。
だいたい2週続けて解散危機の演奏会って多すぎませんか?MATじゃあるまいし(※2)
【演技について】
何がしかの専門職を演じる場合、本当は大して上手くない人を上手く見せるのはもちろん役者の技量も大事ですが、それ以上に演出が重要です。
私にはリバーサルオーケストラは演出を放棄して役者に丸投げしてるのではないかと思えました。
なので役者の上手い下手の差が如実に出てしまい、役者たちが可哀想に思えました。
役者が下手と感じた時、その責任を役者だけに押し付けないでください。
演出と脚本の責任は演技より大きいのです。他にも撮影、照明、編集なども役者を生かしも殺しもします。あの役者下手だなって思ったら役者よりも演出家のポンコツを疑ってほしいです。(『犬神家の一族』にゲスト出演の横溝正史がめちゃくちゃ棒読みの超下手な演技をかまして笑いを誘ったりするのはまた話が違いますよ)
全員ではないですがやたら身振り手振りのオーバーな方が散見されます。キッズ演劇じゃないんだから、と思うのですが、一番ダメなのはそれにOK出しちゃう演出家です。それがいいと思ってるんなら相当ポンコツな演出家です。
演奏シーンにしても本当は楽器の上手くない人たちを上手いと思わせるような工夫が何もありません。
【台詞に頼りすぎたストーリー】
脚本が甘いゆるいと思ったのは、ドラマ中盤、朝陽がかつて初音の演奏を聴いていたことがあるのを、初音が知る場面です。
ここで初音は朝陽がついこないだ初めて自分に会ったわけではなく、彼は10年前に自分の演奏を聴いていて、そこで指揮者として生きていく決意を固めたことを知るのです。
しかしそれを知る経緯はと言えば、相武紗季演じる朝陽の幼馴染みの音楽誌記者から一方的に説明されて知ることになります。
初音が朝陽との運命的なつながりを知ることに対して彼女は何も努力も苦悩もしていないのです。
韓国のドラマなら(って言うほど韓国ドラマ見てるわけではないですが)ヒロインはそうした過去に秘められた繋がりというものに、自分自身で気づくか、突き止めるか、暴くかするのです。
そこにサスペンスが生まれたりキャラクターの心の昂ぶりが表現され、そうしたキャラクターの感動が見るものにも伝染するのです。
聞いてもいないことを、喋って教えてくれるってダメな展開の典型です。
いや、世の中には台詞処理で済ましてなお感動させる映画も沢山あります。『マトリックス』とか『RRR』とか。けどそういう映画はストーリー以外の何かが骨格になっているのです。ドラマの場合はまずストーリーだと思うのですけどね。
【朝陽のキャラクター】
朝陽に関してはもっとストーリー的に致命的な欠点があります。
初音のみの視点で見れば、きちんと彼女の成長が描かれていますが、もう1人の主人公である朝陽の成長はあったのでしょうか?
最終回の彼の行動は不可解です。
玉響存続のための取引としてなら高階フィルに移籍する、それだけで十分ではありませんか。演奏会で指揮台に立たないというのを自分から言い出す理由がわかりません。高階フィルの会長も「自分で言い出して自分で撤回しただけ」と言っていました。最終回の朝陽が指揮台に立つか立たないかは朝陽の気まぐれでしかなく大した意味があったとは思えません。
そして、結局彼は玉響に残るのですが、それも成り行きでしかありません。
第一話において朝陽は、期間限定で玉響の指揮者となり、限られた期間で玉響を一流オケにするミッションを担わされます。そしてミッションの成功失敗にかかわらず時期がくればヨーロッパに帰ることになっていました。
第一話の時点で朝陽は埼玉のポンコツオケに愛着などなかったのです。であればストーリーの最後は彼が自らの意思でヨーロッパでの活動より玉響を選ぶようにしなくてはいけないのです。
高階移籍を決めるということはヨーロッパ復帰を諦めたと言うことでありますが、その彼にとって最大の決断が物語からスルーされているのです。
その後のことは高階会長の言う通り彼の気まぐれでしかありません。
高階移籍なんかより、急にヨーロッパ復帰が早まるかなんかして、玉響の演奏会とヨーロッパ復帰の天秤で彼を悩ませ、そして初音に連れ戻されるという方がドラマチックになったのではないかと思います。
朝陽にも感情移入できるようなストーリーにする方法はいくらでもあったと思うので残念です。
【素晴らしかったエピソード】
相当クソミソにけなしたのでこのドラマを好きだった方々を怒らせてコメント欄が荒れるかもしれませんので、少しくらい褒めたいと思います。
第7話は神回とまでは言いませんが、このダメダメな演出・脚本チームが実力以上のものを発揮した傑作回でした。
三島彰一郎のバーター的な扱いで地上波情報番組に出演することになった初音です。それまで彼女は10年前までの得意曲にして10年前からトラウマ曲になったチャイコフスキーのバイオリン協奏曲、通称チャイコンが定演の演目になったため必死で練習するのですが、どうしても10年前のようにうまく弾くことができません。
ドラマの中ではチャイコンの練習シーンはたくさんあるものの初音がうまく弾けないため、演奏はすぐ中止し、そこそこの尺でチャイコンが流れることはほとんどありません。
クラシック音楽好きならわかると思いますがチャイコンは第一楽章でバイオリンソロに続いてフルオーケストラによる気持ちが爆上がりする素晴らしいメロディに続くのです。(※3)
ともかく何話かにわたって断片的に聞こえてくるチャイコンですがそのフルオケによる素晴らしい部分は聞こえてきません。
上手く弾けずイライラがつのり団員にまで当たり散らす初音に、朝陽はあなたがオケを信頼しないから弾けないんだとたしなめるのです。
そんなメンタルのままテレビ出演の日を迎えた初音ですが、三島彰一郎が打ち合わせになかったであろうアドリブをかましてチャイコン演奏してみなよと初音にバイオリンを手渡すのです(テレビスタッフはさぞ当惑したでしょう)。玉響メンバーはスタジオにはいませんがいつもの練習場でテレビでその模様を固唾を飲んで見守ります。誰よりも初音が当惑しているのですが、彼女の脳裏に朝陽や玉響のメンバーとのこれまでのことが蘇り、そして初音はチャイコンのバイオリンソロパートを生演奏します。
そして見事にソロパートを弾き切ると、このドラマで初めて第一楽章の有名なフルオケによるメロディが鳴り響きます。
もちろんテレビ局内でも放送でもその部分が流れているわけではありません。色んなものを吹っ切った初音を祝福する曲であり、初音と玉響がついに心の底から一つになったことを表す曲なのです。
それを、説明台詞は一切なしで、初音と朝陽と玉響メンバーの表情のモンタージュだけで表現したこの場面はこのドラマの中で文句なしに1番の名シーンでした。
演出と脚本と演技と音楽が全てが決まった瞬間でした。
【最後に】
と言うわけであちこち文句をつけながら鑑賞した全10回でしたが、終わってみるとリバーサルオーケストラのない水曜日になにか寂しさを感じます。
そして寂しさ紛らわすためにリバーサルオーケストラのサントラを聴いたり、チャイコンやチャイ5を聞いたりしています。
また、クラシック音楽ネタの連ドラがあるといいですね!
それでは今回はこんなところで
また素晴らしいクラシック音楽と映像作品でお会いしましょう
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※1→周防正行風の説明台詞
周防正行は『Shall we ダンス?』などで知られる映画監督・脚本家
周防監督風の物知りと無知の説明会話ってのは…例えば
「すげえ…」
「え?そんなにすごいですか?僕には平凡な演奏に聞こえますけどね」
「まったくこれだから素人はいやんなっちゃうよ。いいか今の第〇小節のバイオリンパートはな…中略…地味だがああいうところは審査員に響くんだよ」
…みたいな会話です。
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※2→MAT
特撮ドラマ『帰ってきたウルトラマン』に登場する地球防衛チーム。やたらと上官から「次に失敗したらMATは解散だぞ」と脅されることで知られる。ファンからは「解散MAT」と呼ばれる。類義語に「謹慎TAC」「脱出ZAT」「全滅MAC」など
団時朗さん追悼でぶち込んでみました。
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※3→チャイコンのソロに続く気持ち爆上がりの部分
ちなみのその部分は映画『ライトスタッフ』のテーマによく似ています。もちろん『ライトスタッフ』の方が真似たのですが。
過去にそれについて投稿しました