10/27(土)に飯も食わず集中的に5作品観劇
信州大学劇団山脈『編集室の亡霊』
ぴかてんのこえ『さよなら、またね』
れんげでごはん『浮遊するへや』
演劇裁縫室ミシン『ぱっとみて鯖』
幻想劇場◎経帷子『箱庭迷宮』
信州大学劇団山脈『編集室の亡霊』
小さな出版社の編集室、作家や編集がわらわら集まりにぎやかな編集室に大手雑誌からの原稿依頼。引きこもりがちな作家が失踪して、さて・・・
今回5作品の中で唯一SFでもファンタジーでも深層心理的なものでもない、等身大の人間たちのドラマ。もうすぐ社会人となる彼らにとって正攻法な社会人ドラマこそ取り組みたい題材だったのかもしれない。
個人的には引きこもり気味の女性作家ウンノ先生と、シナリオライターの男性の役者の演技に引き込まれた。キャラクターを自分の中に吸収し内面から演じているように見えた。
ストーリーとしては失踪した作家が戻ってくる話であり、引きこもり作家の成長は描かれるし、彼女を暖かく迎える編集室の面々の優しさが心地よいものの、ストーリーの中心人物であるはずの編集長ヤマベにこれといった成長あるいは変化が見られないのが残念。他の面々もそれぞれ味のあるキャラではあるが味だけではいけない。また引きこもり作家が戻るきっかけとなる女子高生との出会いもご都合主義。ただ最初から何気に客席に座っていた役者がふいに立ち上がり声をかけるというちょっとしたサプライズは嫌いじゃない。
ぴかてんのこえ『さよなら、またね』
ぴかぴか系の役者たちは良い意味で役者臭が無くて好きだ。本作は幽霊捕獲に出かけた高校生と先生たちが旧校舎に潜むとんでもなく強い霊に遭遇。守護霊やら幼なじみの幽霊やら色々出てくるドタバタ劇。
主人公の女の子は幽霊の姿が見えない設定で、その彼女が最終的に霊を見る力を手に入れるがその過程において、彼女の恋や友情や昔の想い出もろもろが絡みあって力となっていく様をホンは力強く描いている。
貞子ばりにズルズルと這いつくばりながら登場する幽霊さん、それを演じる役者の根性も含めて賞賛を込めた笑いを禁じ得ない。そうしたギャグでスタートしながらギャグっぽいキャラたちがキャラを維持しながら物語はシリアスな方向に向かうのも良い。
アクションシーンの間延び感は否めない。本気で殺陣師をつけるか、照明とかセットとか使った演出効果で処理するか、何か考えどころだろう。
役者みなさんは瑞々しい魅力はあるが、技量面での物足りなさは正直ある。けれどもやたら密着の多い演出が演技を補完している印象。ただ喋ったり動いたりするだけの芝居にプラスして、べったり抱きつく、がっちりとおおい被さる、べたべたとまとわりつく…明確に存在する肉体は意識せざるを得ず、そこには演技とは違う生理的な反応が役者から出る、少なくとも観ている私にはそれが感じられる。意図的にやったのかは判らないが、私としては今後の演出のヒントになるような気がした。
れんげでごはん『浮遊する部屋』
スタジオゆんふぁの記念すべき映画祭初入選作に出演していただいたリコ様と加藤吉様の所属する劇団にはどうしても多少のえこひいき心をぬぐい去れないのだが、そんなひいき目と関係なく毎回ハイレベルなホンで楽しませてくれるれんげでごはん。
利己的で保身ばかり考える器の小さい人間たちのチマチマしたドラマ(と書くとなんかバカにしてるみたいだが褒めているのだ)。物語は広がりを見せずむしろ内へ内へと狭まっていき、そして最終的にはその狭い空間から突き抜ける。・・・系のお話が多い。今回もそうだ。
だからそうしたミニマムなドラマが面白いれんげさんは、小さいハコでの公演が似合う。たまにデカいハコでやると何かもの足りなさを感じてしまう。しかし人気のあるれんげは小さいハコでやると席がとたんに埋まる。今回も私は立ち見だった。このジレンマを抱えた劇団。
作品論でなくて劇団批評みたいになってしまった。
ともかく今回の劇だが、久々にと書くと失礼かもしれないが、でもやっばり久々にれんげの神髄を堪能できるミニマム心理劇の傑作であった。
怪しい装置の実験を行うリンコと被験者のハルナ、そして実験によって具現化するハルナのトラウマとなっている旧友アキラ。ハルナとアキラの友情の始まりと終わりまでが機械によってテンポよく再現される構成。失った友達はハルナを許し、ハルナは旧友の力で孤独から脱却するための一歩を踏み出す。物語の進行役に過ぎないと思っていたリンコもまた孤独を抱えた女であることが劇中それとなく提示され、最後にハルナとともに成長する。一つ一つの場面が無駄無くキャラクターの葛藤と成長のために配置され、最後にこれ以上無い着地点に見事降下する
ドラマにおいてはキャラに葛藤が無ければならない、そして成長がなければならない。そのセオリーをきっちり守ったお手本のようなホンだ。
演劇裁縫室ミシン『ぱっとみて鯖』
スーパーのパート店員スズキスズコ36歳が、あまりの野菜とそれに混じった鯖をくすねることから始まるギャグドラマ。彼女は妄想のカレシと会話をするが、それがやがて宇宙からきたナントカ的なものと結びつき・・・
ドラマには葛藤と成長とさっき書いたが、この作品は葛藤はこれでもかとしまくるが、成長はほぼない。そんなものいらないとばかりに力押しでぐいぐい進める。れんげの芝居が線香花火だとするとミシンの芝居はドカーンと派手で何も残らない打ち上げ花火。調子に乗って2時間ものとかにすると途中で時計が気になる作品になるのだろうが、60分という時間が「ワハハハ、あ~面白かった」という感想だけ抱かせるに丁度いい。
個人的に何より楽しいのは随所に飛び出すSFオタク的なそれっぽいワードの数々。SF映画好きの私としてはSF映画パロディももちろん楽しい。「第9地区」「アバター」「スター・ウォーズ」「サイン」「E.T.」「バック・トゥ・ザ・フューチャー」「宇宙戦争」(←レーザーで服のこして蒸発する人間をパロった後今度は服だけ蒸発して全裸の男が舞台を通り過ぎる下品なネタ最高)、あと音楽だけ「未知との遭遇」「2001年」
ここまでくるとスタートレックとかブレードランナーもやってよ~と欲が出ちゃうが色々やり出すと長くなるから仕方ないのだろう。
ここで重要なのはオタクであることをただの作り手の好みの反映だけに止めていないことである。極度の妄想癖を持つヒロインという設定を、一つのことに執着するオタク気質であるという設定が説得力を持たせる。れんげでごはん「浮遊するへや」は怪しい実験装置によって非実在の人物を作り出す。後述する経帷子「箱庭迷宮」は精神疾患の投薬治療が妄想に説得力を持たす。しかしミシン「ぱっとみて鯖」の妄想は機械にも薬にも頼らずに純粋に人間の想像力によってのみ生まれている。その点において一見バカバカしいこの芝居は今回観たどの作品よりも人間であることの素晴らしさを描いているような気がする。
あと、いちお映画作家の端くれとしては、映像の使い方、真っ白いセットにドア二つというシンプルな舞台に映像を投影するあのオープニングにズキューンと撃たれた。
幻想劇場◎経帷子『箱庭迷宮』
演劇の魅力ってなんだろう。ホンとか演出とかセットとか音楽だの映像だの色々あるけど、やっぱり最重要なのは役者のナマ芝居を見ることである。
この作品は女優きむらまさみが全てを吐き尽くすような芝居のための芝居、女優のための芝居、きむらまさみのための芝居であろう。
しおらしいきむらまさみ。甘えん坊なきむらまさみ。浮かれるきむらまさみ。落ち込むきむらまさみ。イラッとするきむらまさみ。カチンとくるきむらまさみ。切れるきむらまさみ。絶望するきむらまさみ。泣いたり笑ったり忙しいきむらまさみを堪能できる。あと足りないのは歌って踊って格闘して絶命することくらいだ。
キャラクターの感情変化が丁寧に時系列を追って描かれるなら気持ちを作りやすいだろうが、この作品の構成は随所にいろんなシチュエーションがぶっこまれる。ぼろぼろ涙を流した直後にギャグ侍を出現させそれに突っ込みさせるとか、なんて意地悪なホンだろう。作・演出の廣田さんは楽しんでいる。きむらまさみの感情をぶん回して楽しんでいる。そしてきむらまさみは全てを完璧に演じきる。マシーンのように感情のモードをガチガチと切り替えて演じている。
きむらまさみで映画を撮った自分は彼女をこんなに使えなかった。軽い嫉妬とともに、役者とここまで戯れる作品へのあこがれを抱き、文句なしに5作中一番楽しめた作品であった。
追記すると他の4作品と比べてビジュアル的な要素が強い気がした。風の使い方、カップのお茶からほんのり立ち上る湯気。そして小さな小道具で最大限のサプライズ効果を出す演出のすごさ。
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そんなしだいで松本の演劇はとっても面白いです、というお話でした。
信州大学劇団山脈『編集室の亡霊』
ぴかてんのこえ『さよなら、またね』
れんげでごはん『浮遊するへや』
演劇裁縫室ミシン『ぱっとみて鯖』
幻想劇場◎経帷子『箱庭迷宮』
信州大学劇団山脈『編集室の亡霊』
小さな出版社の編集室、作家や編集がわらわら集まりにぎやかな編集室に大手雑誌からの原稿依頼。引きこもりがちな作家が失踪して、さて・・・
今回5作品の中で唯一SFでもファンタジーでも深層心理的なものでもない、等身大の人間たちのドラマ。もうすぐ社会人となる彼らにとって正攻法な社会人ドラマこそ取り組みたい題材だったのかもしれない。
個人的には引きこもり気味の女性作家ウンノ先生と、シナリオライターの男性の役者の演技に引き込まれた。キャラクターを自分の中に吸収し内面から演じているように見えた。
ストーリーとしては失踪した作家が戻ってくる話であり、引きこもり作家の成長は描かれるし、彼女を暖かく迎える編集室の面々の優しさが心地よいものの、ストーリーの中心人物であるはずの編集長ヤマベにこれといった成長あるいは変化が見られないのが残念。他の面々もそれぞれ味のあるキャラではあるが味だけではいけない。また引きこもり作家が戻るきっかけとなる女子高生との出会いもご都合主義。ただ最初から何気に客席に座っていた役者がふいに立ち上がり声をかけるというちょっとしたサプライズは嫌いじゃない。
ぴかてんのこえ『さよなら、またね』
ぴかぴか系の役者たちは良い意味で役者臭が無くて好きだ。本作は幽霊捕獲に出かけた高校生と先生たちが旧校舎に潜むとんでもなく強い霊に遭遇。守護霊やら幼なじみの幽霊やら色々出てくるドタバタ劇。
主人公の女の子は幽霊の姿が見えない設定で、その彼女が最終的に霊を見る力を手に入れるがその過程において、彼女の恋や友情や昔の想い出もろもろが絡みあって力となっていく様をホンは力強く描いている。
貞子ばりにズルズルと這いつくばりながら登場する幽霊さん、それを演じる役者の根性も含めて賞賛を込めた笑いを禁じ得ない。そうしたギャグでスタートしながらギャグっぽいキャラたちがキャラを維持しながら物語はシリアスな方向に向かうのも良い。
アクションシーンの間延び感は否めない。本気で殺陣師をつけるか、照明とかセットとか使った演出効果で処理するか、何か考えどころだろう。
役者みなさんは瑞々しい魅力はあるが、技量面での物足りなさは正直ある。けれどもやたら密着の多い演出が演技を補完している印象。ただ喋ったり動いたりするだけの芝居にプラスして、べったり抱きつく、がっちりとおおい被さる、べたべたとまとわりつく…明確に存在する肉体は意識せざるを得ず、そこには演技とは違う生理的な反応が役者から出る、少なくとも観ている私にはそれが感じられる。意図的にやったのかは判らないが、私としては今後の演出のヒントになるような気がした。
れんげでごはん『浮遊する部屋』
スタジオゆんふぁの記念すべき映画祭初入選作に出演していただいたリコ様と加藤吉様の所属する劇団にはどうしても多少のえこひいき心をぬぐい去れないのだが、そんなひいき目と関係なく毎回ハイレベルなホンで楽しませてくれるれんげでごはん。
利己的で保身ばかり考える器の小さい人間たちのチマチマしたドラマ(と書くとなんかバカにしてるみたいだが褒めているのだ)。物語は広がりを見せずむしろ内へ内へと狭まっていき、そして最終的にはその狭い空間から突き抜ける。・・・系のお話が多い。今回もそうだ。
だからそうしたミニマムなドラマが面白いれんげさんは、小さいハコでの公演が似合う。たまにデカいハコでやると何かもの足りなさを感じてしまう。しかし人気のあるれんげは小さいハコでやると席がとたんに埋まる。今回も私は立ち見だった。このジレンマを抱えた劇団。
作品論でなくて劇団批評みたいになってしまった。
ともかく今回の劇だが、久々にと書くと失礼かもしれないが、でもやっばり久々にれんげの神髄を堪能できるミニマム心理劇の傑作であった。
怪しい装置の実験を行うリンコと被験者のハルナ、そして実験によって具現化するハルナのトラウマとなっている旧友アキラ。ハルナとアキラの友情の始まりと終わりまでが機械によってテンポよく再現される構成。失った友達はハルナを許し、ハルナは旧友の力で孤独から脱却するための一歩を踏み出す。物語の進行役に過ぎないと思っていたリンコもまた孤独を抱えた女であることが劇中それとなく提示され、最後にハルナとともに成長する。一つ一つの場面が無駄無くキャラクターの葛藤と成長のために配置され、最後にこれ以上無い着地点に見事降下する
ドラマにおいてはキャラに葛藤が無ければならない、そして成長がなければならない。そのセオリーをきっちり守ったお手本のようなホンだ。
演劇裁縫室ミシン『ぱっとみて鯖』
スーパーのパート店員スズキスズコ36歳が、あまりの野菜とそれに混じった鯖をくすねることから始まるギャグドラマ。彼女は妄想のカレシと会話をするが、それがやがて宇宙からきたナントカ的なものと結びつき・・・
ドラマには葛藤と成長とさっき書いたが、この作品は葛藤はこれでもかとしまくるが、成長はほぼない。そんなものいらないとばかりに力押しでぐいぐい進める。れんげの芝居が線香花火だとするとミシンの芝居はドカーンと派手で何も残らない打ち上げ花火。調子に乗って2時間ものとかにすると途中で時計が気になる作品になるのだろうが、60分という時間が「ワハハハ、あ~面白かった」という感想だけ抱かせるに丁度いい。
個人的に何より楽しいのは随所に飛び出すSFオタク的なそれっぽいワードの数々。SF映画好きの私としてはSF映画パロディももちろん楽しい。「第9地区」「アバター」「スター・ウォーズ」「サイン」「E.T.」「バック・トゥ・ザ・フューチャー」「宇宙戦争」(←レーザーで服のこして蒸発する人間をパロった後今度は服だけ蒸発して全裸の男が舞台を通り過ぎる下品なネタ最高)、あと音楽だけ「未知との遭遇」「2001年」
ここまでくるとスタートレックとかブレードランナーもやってよ~と欲が出ちゃうが色々やり出すと長くなるから仕方ないのだろう。
ここで重要なのはオタクであることをただの作り手の好みの反映だけに止めていないことである。極度の妄想癖を持つヒロインという設定を、一つのことに執着するオタク気質であるという設定が説得力を持たせる。れんげでごはん「浮遊するへや」は怪しい実験装置によって非実在の人物を作り出す。後述する経帷子「箱庭迷宮」は精神疾患の投薬治療が妄想に説得力を持たす。しかしミシン「ぱっとみて鯖」の妄想は機械にも薬にも頼らずに純粋に人間の想像力によってのみ生まれている。その点において一見バカバカしいこの芝居は今回観たどの作品よりも人間であることの素晴らしさを描いているような気がする。
あと、いちお映画作家の端くれとしては、映像の使い方、真っ白いセットにドア二つというシンプルな舞台に映像を投影するあのオープニングにズキューンと撃たれた。
幻想劇場◎経帷子『箱庭迷宮』
演劇の魅力ってなんだろう。ホンとか演出とかセットとか音楽だの映像だの色々あるけど、やっぱり最重要なのは役者のナマ芝居を見ることである。
この作品は女優きむらまさみが全てを吐き尽くすような芝居のための芝居、女優のための芝居、きむらまさみのための芝居であろう。
しおらしいきむらまさみ。甘えん坊なきむらまさみ。浮かれるきむらまさみ。落ち込むきむらまさみ。イラッとするきむらまさみ。カチンとくるきむらまさみ。切れるきむらまさみ。絶望するきむらまさみ。泣いたり笑ったり忙しいきむらまさみを堪能できる。あと足りないのは歌って踊って格闘して絶命することくらいだ。
キャラクターの感情変化が丁寧に時系列を追って描かれるなら気持ちを作りやすいだろうが、この作品の構成は随所にいろんなシチュエーションがぶっこまれる。ぼろぼろ涙を流した直後にギャグ侍を出現させそれに突っ込みさせるとか、なんて意地悪なホンだろう。作・演出の廣田さんは楽しんでいる。きむらまさみの感情をぶん回して楽しんでいる。そしてきむらまさみは全てを完璧に演じきる。マシーンのように感情のモードをガチガチと切り替えて演じている。
きむらまさみで映画を撮った自分は彼女をこんなに使えなかった。軽い嫉妬とともに、役者とここまで戯れる作品へのあこがれを抱き、文句なしに5作中一番楽しめた作品であった。
追記すると他の4作品と比べてビジュアル的な要素が強い気がした。風の使い方、カップのお茶からほんのり立ち上る湯気。そして小さな小道具で最大限のサプライズ効果を出す演出のすごさ。
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そんなしだいで松本の演劇はとっても面白いです、というお話でした。