個人的評価:■■■■■□ (最高:■■■■■■、最低:■□□□□□)
「ブレイド2」が大好きで、この監督はいいかもしれないと思って「ミミック」を借りたらやっぱり面白くて、「ヘルボーイ」は見逃したけど注目はしていた監督がギレルモ・デル・トロ。バカパワー炸裂のB巨匠だと思っていたが、まさかこんないい映画を撮るとは思っていなかった。
あまり情報仕入れずに観にいって、きっとこの映画はとても才能のあるプロデューサがいて、素晴らしい脚本を手に入れ、そして監督の才能を見抜く眼力もあって、結果この名作が生まれたのだろう・・・つまりこの映画の最大の功労者はきっとプロデューサなのだろう・・・と思っていた。ところが・・・監督・脚本・プロデューサ、なんと全部セニョール・デル・トロではないか!!
完全に見くびってました。心より謝罪いたします。
・・・ま、そうはいってもピージャク並のグロゲロキモなセンスはさすがデル・トロよのお・・・と、そんな自分の異常な趣味も堂々とさらけだし、且つテーマとも結びつけて感動のラストへと持っていくところもピージャクに似ている。
「メジャーになったのでキモいの卒業します」と言わんばかりのサム・ライミなんかより遥かに評価したい二人の監督。
今後しばらくは、ニュージーランド産のゲロキモ巨匠とメキシコ産ゲロキモ巨匠による、『キウイvsタコス(どちらも中には気持ち悪い生物がびっしり入ってる)~ゲロキモゆえに感動対決』で楽しませてくれそうだ。
*********
余談~スペイン内乱とラビリンス~
本作を語る上ではどうでもいいことだとは思うが・・・
この映画の舞台となるのは内戦中のスペインである。
スペイン内戦というのはとても複雑で一口に語るのが難しいと言われるが、それでも批判を承知で一口で説明すると、ナチの援助を受けたフランコ将軍率いるファシスト勢力と、ソビエトの援助を受けた共産ゲリラの内戦である。ドイツとソ連の代理戦争で第二次大戦の前哨戦だったとも言われる。米英仏ら資本主義の連合国は静観を決め込んだが、ファシスト討つべしと米英仏などからも多くの義勇兵が赴き内戦に参加したという。
だが内情は「ナチvsアカ」などという単純な構図ではなく、様々な派閥が離合集散し、寝返り裏切りで、義勇兵もスペイン人も誰と戦っていいのかよくわからない状態で疑心暗鬼に陥ったという。
(以上の知識は主に、ジョージ・オーウェル著の『カタロニア賛歌』より得た。スペイン内戦に参加したオーウェルのルポであるが、オーウェル自身が、私の意見は絶対に偏っているから、スペイン内戦をよりよく知りたければ色んな人の色んな話を読んでくれ・・・という旨の事を言っている。)
この映画で描かれるスペイン内戦はそんなに複雑怪奇なものとして描かれてはおらず、ビダル大尉率いるゲリラ掃討部隊と、山岳に潜む共産ゲリラの戦いに特化され単純化されている。
だが基地のそばのラビリンスとそこに蠢く魑魅魍魎たち、そのイメージは混沌としたスペイン内戦がバックボーンとなって生まれたのではないだろうか。泥沼の内戦と狂っていく人間たち、そんな歴史の暗黒部分からダークファンタジーのイマジネーションが膨らんでいったのだと思う。
最初にも書いたが、以上の話は知ってても知ってなくても、映画「パンズ・ラビリンス」から受ける感動にいささかの影響も与えない。ただ面白い話を考えつくイマジネーションの源を知ることは、脚本を作る上で参考になるかも知れないと思ったから、考えてみたまでである。
(もっとも時代設定が1944年だから、フランコ側がほぼスペインを制圧しゲリラの抵抗も下火になってきて、内戦は大戦前ほど混沌とした状況ではなくなってきていたのかもしれないが)
*********
この映画の一番の魅力は、幻想世界の不気味な住民たち、妖怪変化というか魑魅魍魎というか、の描写であるのは間違いないが、それに負けず劣らず普通の人間たちのキャラクタ描写も印象深かった。
特に、きっとみんな同意見だろうが、ビダル大尉。
憎むべきファシストであり、倒さねばならない敵として君臨し物語の第二の目標となる。(第一目標は少女が試練を乗り越え女王となること)
しかし、そんな悪の化身である筈の彼だが、これがつい憧れてしまうほどかっこいい。
ただ髭を剃ってるだけなのに、カメラは思わせぶりにゆっくり移動し、しかもカメラが遮蔽物の背後に回ると、別のアングルに移って移動撮影を続ける。
空間のひん曲がったようなファンタジー世界を印象付けるカメラワークとしても効果的だが、大尉の無言の髭剃りを不思議なカット切替えを使いながら延々と写すことで、彼の人物像に不気味なオーラをまとわせる。
そういった写し方だけの問題ではなく、台詞も演技も鳥肌もののかっこよさだ。
・父の死の時間を示す止まった時計を持ち歩き(丁寧に手入れまでして)、いつでも死ねるように、あるいは死に場所を探すように行動する
・戦闘では最前線に立ち自ら銃火に身を晒す
・敵を掃討したあとも、四方どこから狙われてもおかしくない場所(ゴルゴなら絶対に立たない場所)に立ち、大声で隠れているゲリラたちを挑発かつ恫喝
(※ちなみに、ゴルゴの場合、遮蔽物が多く見通しの利かない場所で壁を背にして立ちます。理由は「臆病者だから」「ライフルでどこからでも狙える場所に身を晒すほど自信家じゃない」いずれもゴルゴ談)
・人違いで民間人を射殺しても言い訳しない。「私を呼ぶ前によく調べろ」
・頬を切り裂かれたら、自分で麻酔なしで傷を縫う。痛いとかもちろん言わない。
・しかもその直後、度数のむちゃくちゃ高そうな酒を飲み、さすがに顔をしかめるが、つづけてもう一杯飲む。
こいつは麻酔も要らない、意志の力でペインコントロールができる。
まるで碁に集中することで腕を切り裂き骨を削る手術の痛みを忘れる関羽のような奴である。
三国時代の中国に生まれ蜀につけば、五虎大将軍の一人くらいにはなれたかもしれない。
ここまで描かれると、男女差別なく敵なら冷静に拷問する姿も、子供を撃ち殺す姿も、軍人としての本分を貫いた当然の行動のように思え(もちろん独裁恐怖政治をする側から見た模範的軍人であるが)、憎しみというより畏怖の念が沸いてくる。
これだけかっこいい奴が、どのような最期を迎えるのかと気になり、やはりかっこよく自決するのだろうか
と気にしていると、いよいよ迎えた最期の時。
見苦しくうろたえたり、悪あがきしたり、命乞いしたりはしない。
ついに死に場所を見つけたぞ、というようなむしろ安堵した表情。
そしてかっこいい口上を述べて予想通り自決・・・・かと思わせて、やはり所詮は憎むべきファシストである。
ゲリラたちから、かっこはつけさせぬと、絶望的な言葉をあびせられ、誇りを踏みにじられ、あっさりと殺される。
あそこまで持ち上げといてあっさり落とす。ある意味もっとも残酷な殺され方だったが、残酷に殺されて然るべきやつだから仕方ない。その辺もまた、悪らしさを貫いて逝ったとも言えるが。
*********
この映画では随分多くの者が死ぬ。
しかしその死に方が皆印象深い。即死しない。
ドクターは撃たれた後も何歩か歩き倒れたら眼鏡が壊れることを気にするかのように、眼鏡を外してからばったり倒れる。
大尉も顔面に銃弾を喰らうが、本当に弾があたり致命傷を受けたことを確認するかのように、傷口を指で触れてから死ぬ。
少女にしても、被弾した傷口にあてた手についた血を確認してから死ぬ。
現実と幻想の入れ混じった世界の中においては、死と生も入り乱れている。正真正銘のあちら側の世界に行けるんだということを、夢かどうか頬をつねって確かめるかのように、人々は確実な死の証を探しているのだ。
ある意味、だれもが生きる意味を理解できず、不可解な生よりも、意義のある死を求めていたのかも知れない。
*********
パン、カエル、ダンゴムシ(拳大)、手目怪人、カマキリ妖精・・・純な少女と出会うゲロキモクリーチャーにまみれた幻想。
戦争、負傷者へのとどめの発砲、足の切断、拷問、頬切り裂き・・・血みどろな現実。
そういった汚らしいものに埋め尽くされた結果、ラストの命の讃歌とまばゆい光の王宮の感動が100倍増しになる。
しかし、ついに闇が晴れ、光が差し込み、心の平安と人として正しい選択、そして手にする王女の資格が、無垢なる少女の命と引き換えでしか得られない。
感動と同じくらいの強さで、悲しみと絶望までが襲ってくる。
うれし泣きと悲し泣き、両方同時に味わえてしまう、希有な感動作であった。
とりあえず今年のマイベストテンには確実に残るだろう・・・
最後に・・・音楽。すっごく良かった。
********
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「ブレイド2」が大好きで、この監督はいいかもしれないと思って「ミミック」を借りたらやっぱり面白くて、「ヘルボーイ」は見逃したけど注目はしていた監督がギレルモ・デル・トロ。バカパワー炸裂のB巨匠だと思っていたが、まさかこんないい映画を撮るとは思っていなかった。
あまり情報仕入れずに観にいって、きっとこの映画はとても才能のあるプロデューサがいて、素晴らしい脚本を手に入れ、そして監督の才能を見抜く眼力もあって、結果この名作が生まれたのだろう・・・つまりこの映画の最大の功労者はきっとプロデューサなのだろう・・・と思っていた。ところが・・・監督・脚本・プロデューサ、なんと全部セニョール・デル・トロではないか!!
完全に見くびってました。心より謝罪いたします。
・・・ま、そうはいってもピージャク並のグロゲロキモなセンスはさすがデル・トロよのお・・・と、そんな自分の異常な趣味も堂々とさらけだし、且つテーマとも結びつけて感動のラストへと持っていくところもピージャクに似ている。
「メジャーになったのでキモいの卒業します」と言わんばかりのサム・ライミなんかより遥かに評価したい二人の監督。
今後しばらくは、ニュージーランド産のゲロキモ巨匠とメキシコ産ゲロキモ巨匠による、『キウイvsタコス(どちらも中には気持ち悪い生物がびっしり入ってる)~ゲロキモゆえに感動対決』で楽しませてくれそうだ。
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余談~スペイン内乱とラビリンス~
本作を語る上ではどうでもいいことだとは思うが・・・
この映画の舞台となるのは内戦中のスペインである。
スペイン内戦というのはとても複雑で一口に語るのが難しいと言われるが、それでも批判を承知で一口で説明すると、ナチの援助を受けたフランコ将軍率いるファシスト勢力と、ソビエトの援助を受けた共産ゲリラの内戦である。ドイツとソ連の代理戦争で第二次大戦の前哨戦だったとも言われる。米英仏ら資本主義の連合国は静観を決め込んだが、ファシスト討つべしと米英仏などからも多くの義勇兵が赴き内戦に参加したという。
だが内情は「ナチvsアカ」などという単純な構図ではなく、様々な派閥が離合集散し、寝返り裏切りで、義勇兵もスペイン人も誰と戦っていいのかよくわからない状態で疑心暗鬼に陥ったという。
(以上の知識は主に、ジョージ・オーウェル著の『カタロニア賛歌』より得た。スペイン内戦に参加したオーウェルのルポであるが、オーウェル自身が、私の意見は絶対に偏っているから、スペイン内戦をよりよく知りたければ色んな人の色んな話を読んでくれ・・・という旨の事を言っている。)
この映画で描かれるスペイン内戦はそんなに複雑怪奇なものとして描かれてはおらず、ビダル大尉率いるゲリラ掃討部隊と、山岳に潜む共産ゲリラの戦いに特化され単純化されている。
だが基地のそばのラビリンスとそこに蠢く魑魅魍魎たち、そのイメージは混沌としたスペイン内戦がバックボーンとなって生まれたのではないだろうか。泥沼の内戦と狂っていく人間たち、そんな歴史の暗黒部分からダークファンタジーのイマジネーションが膨らんでいったのだと思う。
最初にも書いたが、以上の話は知ってても知ってなくても、映画「パンズ・ラビリンス」から受ける感動にいささかの影響も与えない。ただ面白い話を考えつくイマジネーションの源を知ることは、脚本を作る上で参考になるかも知れないと思ったから、考えてみたまでである。
(もっとも時代設定が1944年だから、フランコ側がほぼスペインを制圧しゲリラの抵抗も下火になってきて、内戦は大戦前ほど混沌とした状況ではなくなってきていたのかもしれないが)
*********
この映画の一番の魅力は、幻想世界の不気味な住民たち、妖怪変化というか魑魅魍魎というか、の描写であるのは間違いないが、それに負けず劣らず普通の人間たちのキャラクタ描写も印象深かった。
特に、きっとみんな同意見だろうが、ビダル大尉。
憎むべきファシストであり、倒さねばならない敵として君臨し物語の第二の目標となる。(第一目標は少女が試練を乗り越え女王となること)
しかし、そんな悪の化身である筈の彼だが、これがつい憧れてしまうほどかっこいい。
ただ髭を剃ってるだけなのに、カメラは思わせぶりにゆっくり移動し、しかもカメラが遮蔽物の背後に回ると、別のアングルに移って移動撮影を続ける。
空間のひん曲がったようなファンタジー世界を印象付けるカメラワークとしても効果的だが、大尉の無言の髭剃りを不思議なカット切替えを使いながら延々と写すことで、彼の人物像に不気味なオーラをまとわせる。
そういった写し方だけの問題ではなく、台詞も演技も鳥肌もののかっこよさだ。
・父の死の時間を示す止まった時計を持ち歩き(丁寧に手入れまでして)、いつでも死ねるように、あるいは死に場所を探すように行動する
・戦闘では最前線に立ち自ら銃火に身を晒す
・敵を掃討したあとも、四方どこから狙われてもおかしくない場所(ゴルゴなら絶対に立たない場所)に立ち、大声で隠れているゲリラたちを挑発かつ恫喝
(※ちなみに、ゴルゴの場合、遮蔽物が多く見通しの利かない場所で壁を背にして立ちます。理由は「臆病者だから」「ライフルでどこからでも狙える場所に身を晒すほど自信家じゃない」いずれもゴルゴ談)
・人違いで民間人を射殺しても言い訳しない。「私を呼ぶ前によく調べろ」
・頬を切り裂かれたら、自分で麻酔なしで傷を縫う。痛いとかもちろん言わない。
・しかもその直後、度数のむちゃくちゃ高そうな酒を飲み、さすがに顔をしかめるが、つづけてもう一杯飲む。
こいつは麻酔も要らない、意志の力でペインコントロールができる。
まるで碁に集中することで腕を切り裂き骨を削る手術の痛みを忘れる関羽のような奴である。
三国時代の中国に生まれ蜀につけば、五虎大将軍の一人くらいにはなれたかもしれない。
ここまで描かれると、男女差別なく敵なら冷静に拷問する姿も、子供を撃ち殺す姿も、軍人としての本分を貫いた当然の行動のように思え(もちろん独裁恐怖政治をする側から見た模範的軍人であるが)、憎しみというより畏怖の念が沸いてくる。
これだけかっこいい奴が、どのような最期を迎えるのかと気になり、やはりかっこよく自決するのだろうか
と気にしていると、いよいよ迎えた最期の時。
見苦しくうろたえたり、悪あがきしたり、命乞いしたりはしない。
ついに死に場所を見つけたぞ、というようなむしろ安堵した表情。
そしてかっこいい口上を述べて予想通り自決・・・・かと思わせて、やはり所詮は憎むべきファシストである。
ゲリラたちから、かっこはつけさせぬと、絶望的な言葉をあびせられ、誇りを踏みにじられ、あっさりと殺される。
あそこまで持ち上げといてあっさり落とす。ある意味もっとも残酷な殺され方だったが、残酷に殺されて然るべきやつだから仕方ない。その辺もまた、悪らしさを貫いて逝ったとも言えるが。
*********
この映画では随分多くの者が死ぬ。
しかしその死に方が皆印象深い。即死しない。
ドクターは撃たれた後も何歩か歩き倒れたら眼鏡が壊れることを気にするかのように、眼鏡を外してからばったり倒れる。
大尉も顔面に銃弾を喰らうが、本当に弾があたり致命傷を受けたことを確認するかのように、傷口を指で触れてから死ぬ。
少女にしても、被弾した傷口にあてた手についた血を確認してから死ぬ。
現実と幻想の入れ混じった世界の中においては、死と生も入り乱れている。正真正銘のあちら側の世界に行けるんだということを、夢かどうか頬をつねって確かめるかのように、人々は確実な死の証を探しているのだ。
ある意味、だれもが生きる意味を理解できず、不可解な生よりも、意義のある死を求めていたのかも知れない。
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パン、カエル、ダンゴムシ(拳大)、手目怪人、カマキリ妖精・・・純な少女と出会うゲロキモクリーチャーにまみれた幻想。
戦争、負傷者へのとどめの発砲、足の切断、拷問、頬切り裂き・・・血みどろな現実。
そういった汚らしいものに埋め尽くされた結果、ラストの命の讃歌とまばゆい光の王宮の感動が100倍増しになる。
しかし、ついに闇が晴れ、光が差し込み、心の平安と人として正しい選択、そして手にする王女の資格が、無垢なる少女の命と引き換えでしか得られない。
感動と同じくらいの強さで、悲しみと絶望までが襲ってくる。
うれし泣きと悲し泣き、両方同時に味わえてしまう、希有な感動作であった。
とりあえず今年のマイベストテンには確実に残るだろう・・・
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自主映画撮ってます。松本自主映画製作工房 スタジオゆんふぁのHP
それぞれの死に方にもこだわりがあったなんて、そこまで深読みなさるのもすごいことです!
俺なんて、空いてる映画館で後ろに座られることがうっとおしくてしょうがなかったりします・・・臆病なのかなぁ・・・
「レリック」はこれまたごく一部からマニアックな人気のあるピーター・ハイアムズの映画です。おもしろおかしいバカホラーでしたが、巨大な虫がごそごそ出てくるところはマジびびりした記憶があります。
ハイアムズは「シカゴ・コネクション」に「カプリコン1」に「カナディアン・エクスプレス」に、そうそう「2010年」も彼だっけ。
シュワが悪魔とマシンガンで戦う「エンド・オブ・デイズ」に、ヴァン=ダム作品の中ではかなりの傑作「タイムコップ」に「サドン・デス」と、B界では巨匠だと思います。
それはさておき、私がkossy様にあったら、まず握手を求めておいてから「おっと、君は利き手を他人にあずける握手という習慣を好まないのだったな。失礼失礼」と説明的な謝罪をしようと思います。
もちろんkossyさまの背後には立ちません。つい手が出て殺されてはたまりませんので・・・